子育て失敗
こんばんは。
次にnoteを投稿する時は、自宅に帰っていると思います。
長いようで短かった帰省ですけれども、実家にいたからこそ書けることを書いて、自宅に帰ろうと思います。
一体私はどうすれば
本当にどうしようもないことですが、自分の人生は、どこからやり直せばどうにかなったのか、なんて考えてしまうことがあります。
あるいは、今の自分ならあの時、どうにかできたのではないか、とか。
後悔をしているわけではないのです。
だって結果的に、私はいつだって、その時の私にできた最大限をやっていた自信がありますし、最適ではなくとも最善を尽くしてきた自信がありますし。
それでもどうしようもなかったというのが結論だったと、十分に理解しているからです。
だから、後悔をしようにも、隙がなくてできないわけです。
一体私はどうすれば良かったのか。
どうしようもなかったのですよ、私には。
そんなに恥ずかしいもの?
生活保護を受けていることを、開き直るつもりはありません。
見方によっては開き直っていることになるのかもしれませんが。
私が生活保護を受けることになった時、母は泣いたそうです。
そこまで身を落とさなければいけない娘に対し、何も助けてあげられないことが悔しかった、みたいなことを言っていました。
中学〜高校の時の話ですが、私が発達障害の検査を受けたいと言った中3の時、初めは真面目に考えてくれましたが、結局受けさせてくれませんでした。
ずるずると伸びて高校生になってから、スクールカウンセラーを通じて病院を紹介していただき、検査を受けることになりました。
検査結果の診察の際、母は、「えぇ〜!?」って、見るからに意外そうな様子で、半信半疑みたいに、医者からの診断を聞いていました。
あと、つい最近の話ですが、「親は子どもが障害だということを、なかなか受け入れられない」と、話をしていました。
まあこれは、職場のママ友さんのお子さんが発達障害で、幼い頃からトレーニングを続けてきたのに、普通のクラスは全て断られてしまって…というお話も踏まえての言葉ではあったのですけれども。
母は、私が発達障害ですし、現在進行形で社会不適合者ですし、そのママ友さんの辛さとか悔しさがなんとなく分かる風に言っていましたけれど。
母は『設定を受け入れられない』からで、ママ友さんは『不条理を受け入れられない』からで、二人の『受け入れられない』は全く別のものだと思うのです。
ママ友さんが、幼い頃からトレーニングを続けてきたというのは、『普通クラスに入らせてあげられたら』という想いからくるもので、根本的に『障害という現実を受け入れたくない』という母の持つものとは違うと思うのです。
母の持つ心労を理解する気がないわけではありません。
論理的に考えて理解できないわけではないですし、破綻しているわけでもありませんし、母の性格や立場を考えると自然な言動です。
ただ、いくら頭でそう理解ができるからって、言っていいことと言わない方がいいことがある、みたいな。
オブラートを取って言うなら、自分の気持ちや考えを無闇に口にすれば、相手に心配が伝染してしまったり、言葉以上の情報が相手を追い詰めたりする可能性があることを考慮してほしい、みたいな。
私は表面上、母の言葉を論理的に、冷静に捉えていますから、心が大きく動くことはありません。
でも、私の無意識の中に、例えば『生活保護はバッシングされる対象』みたいな認識が、母によって刷り込まれてしまったように。
自分が今、こんな生活をして息をしていることが、母のそういう言動ひとつひとつによって、無意識のうちに、否定的で、自嘲的なものになってしまいました。
私の人生は、そんなに恥ずかしいことなのですか?
社会からの目は、どうしても厳しいのです。
私は失敗作だから
つい最近、母に「自信を持って子育て成功したって言えない」と言われました。
あと、「子育て失敗した」とも言われました。
もちろんそれは冗談半分の会話の中での言葉でしたが、その言葉自体は本当のものだったと思います。
流れが流れですから、悪気なんてこれっぽっちもなかったと思います。
まあそれでも、言葉は言葉ですし。
私の今という現実は、確かにそこにあるわけですし。
まあ確かに、少なくとも成功ではありませんし。
失敗といった方がしっくりきますし。
この先、私が芽を出したら『成功』と手のひらを返すでしょうが、その先でまた失敗すればまた『失敗』と言うでしょう。
当然のことではありますけれど、この世界でたった一人しかいない私の親には、せめて『失敗』とだけは言わせたくなかったですね。
不甲斐ないじゃないですか。
何のためのお母さんの子どもで、自分のどこに希望があって、究極的に、自分はどうして生きているのかなんてことすら見失ってしまいます。
失敗になってしまうくらいなら、いない方が良かったんじゃないかって。
いることを望まれていない気になれば、いないことを望まれている気になってしまっても仕方がないことでしょう。
そんなことを望んでいるわけがないと分かっていたとしても、ね。
失敗作はそれでも生きる
だから、実家に長居することは嫌なのです。
いらんことを言われると、傷つくというよりかは心がモヤモヤとしてしまう。
進もうと思っても、足元がどんどん沼にハマっていくような感じ。
私が実家から離れた場所にこだわる理由は、それが大きいです。
実家で病気を治そうだとか、就職しようだとか、そういうことをいくらしてもどうにもならない自信しかありません。
目が出れば土をかけられて、長ネギが完成します。
土をかけられない畑で、ネギとして伸びたいです、青々と。
よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。