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時計回りの人、反時計回りの人

こんにちは。

昨日はついにOZMAFIA!!-vivace-を全てクリアしてですね。
それから、買い物にも出かけました。

結果、noteの投稿を忘れていました←
連日投稿は15日で途切れてしまいました。ちょっと残念。


『感情の輪』

小説を書くために、いろいろなことを勉強しています。
たかが趣味なのに全力投球。

その勉強していることの一つに、心理学っぽいことがあって。

心理学とはいえ、そんなガチガチの難しいものではありません。
あくまでも小説を書く上で必要な、人の感情の自然な流れ方だとか、感情によってどんな行動をするかだとか、その程度のものです。

小説を書かずとも、だいぶ実用的なので面白いですよ。

まあそんなことを勉強している時に偶然見つけたのが、『Plutchikの感情の輪』というものです。

感情の輪

内側にある8つの感情が『基本感情』
恍惚、敬愛、恐怖、驚愕、悲哀、憎悪、激怒、警戒

そして隣接する2つの感情からなるものが『応用感情』
楽観、愛、服従、畏怖、失望、後悔、軽蔑、攻撃

基本感情は3段階あって、外へ行けば行くほど薄い感情になっていきます。

まあ詳しくは調べてください。(適当)


惚れた相手と付き合う、そして別れる

恋というものは、感情の移り変わりが分かりやすくて良いですね。

相手に惚れた時、相手に対し『恍惚』とした感情を抱きます。
しかし、大抵の場合、その感情は長続きしません。

『恍惚』が薄れて、単なる『喜び』や『安らぎ』になったり。
相手の良くない部分が見えてきて、『怒り』や『嫌悪』を示すようになってきたり。
自身が献身的であったり、相手が支配的であったりすることで、『服従』するようになってきたり、相手を『畏怖』するようになってきたり。

長続きするカップルってのは、『恍惚』を中心に近くの感情を揺ら揺らし続けるばかりだったり。
波のように定期的に、『怒り』や『心配』くらいまでの振れ幅はあるものの、その度により惚れ直して、今まで以上に好きになったり。

そんな感じなのではないかなぁと、個人的には思ってます。


右回りの恋

『Plutchikの感情の輪』は、名前の通り、見た目の通り、『輪』になっています。
『輪』というものは、今いるところから反対側へ行くまでのルートが、必ず2つ存在します。

『恋』を例として、『右回り』に感情が変わっていくことをイメージしてみましょう。

感情の輪 2


まず初めは、『恍惚』
『敬愛』や『愛』でも良いかと思われます。

幸せな気持ちいっぱいで始まった恋でしたが、ある時ふと、恋人が他の異性と仲良くお喋りしている姿を見つけてしまいました。

それを見てふと、嫌われてしまわないか、本当は自分よりその子の方が好きなのではないか。
そのような『不安』や『心配』が芽吹きます。

嫌われないように、相手に好かれる努力をしよう。
言われたことはなんでも聞いてしまおう。

相手のことが『好き』という気持ちと、相手に離れられることが『怖い』という気持ちが混ざっているような感じになるのかなと。結果、言われるがままになってしまう。
この状態はまさに『服従』ですよね。

そんな状態が続けば、そのうち一人では抱えきれなくなって、誰かに相談したり、恋人に正直な気持ちを伝えてみたり…。
何かしらアクションを起こすのではないかと思います。

相談したら、「それはおかしいよ」みたいな、冷静な意見が飛んできたり。
恋人に正直な気持ちを伝えたら、恋人の方からも正直な気持ちを教えてもらえたり。

アクションを起こすことで、今まで単なる『服従』だったものが、『畏怖』となり、一方的な支配へと形を変えてしまうこともありますが。
そこまできたら、裁判所なり、共通の知人なり、親なり、誰かしらを挟んでの解決をした方がお互いのためな気がします。

閑話休題。

冷静な意見を信じて、冷静に相手を見つめ直してみたり。
恋人の本心を垣間見たり。
そうして見えた相手に対し、多少の疑心を抱き始め、『服従』『畏怖』を抜け出すことができたのならば。

そういうことを乗り越え、もう一度互いに惚れ直し『恍惚』へと戻るか。
そうでなければ、『失望』へと進んでいくだけでしょう。

一度失望すると、相手に対して良い感情を抱くのが難しくなります、少なくとも私は。

今までどれだけ良くしてくれていたとしても、今まで以上に優しく接してくれたとしても。
たった一度の『失望』のせいで、それら全てになんの重みも感じなくて、相手の親切心でさえ歪んでいるように感じてしまいます。

そうするともう、その人を好きでいる理由も、その人にこだわる理由も感じません。

『別れる』という選択を自然と選ぶようになるかと思います。


『Plutchikの感情の輪』において、右回りの恋愛は

『恍惚』『愛』『敬愛』

『服従』『恐怖』(畏怖)

『失望』

のように、『失望』することで終わるのではないかなと思います。


左回りの恋

右回りをやりましたから、今度は左回り。

感情の輪 3


始点は右回り同様に『恍惚』
こちらも、『敬愛』や『愛』から始まってもかまいません。

最初は幸せいっぱい。相手を敬っていて、うっとりもしていて、愛情だって満ち満ちている。
ある時ふと、恋人が他の異性と仲良くお喋りしている姿を見つけてしまいました。

恍惚としている自分は、それを『楽観』していて、まあ大丈夫だろうと。

『警戒』ほどに強くはなくとも、『関心』の対象くらいではあるということです。
自分の立てる『予測』も『楽観的』なものであることの方が多いでしょう。
まさか恋人に限って、みたいな。

しかし恋人は、別の子に恋心を抱いていた、あるいは二股していたとしましょう。

それを知った自分はおそらく、『攻撃的』になります。

どうしてそんなことをしたの!?
私のことはどうでもいいの!?

相手の返答次第では『激怒』することもあるでしょう。
それを飛び越して『軽蔑』『憎悪』の感情を抱く人もいるでしょう。

そうやって互いにぶつかり合って、互いの気持ちを晴らして、互いに許し合って仲直り。『恍惚』へと戻る。
そんなことを繰り返す恋愛もあるとは思います。

けれどここでは、相手を許せなかったとしましょう。

『激怒』や『憎悪』は膨らみ続けます。
するとその二つから成る『軽蔑』の感情も強くなっていきます。

『軽蔑』は、相手に呆れるというか、どうでもよくなるというか。
最終的には、相手に対する興味も関心もなくなって、相手にすることが面倒になってしまいます。

時と共に『激怒』という燃え盛る感情は消火されてゆき、次第に『憎悪』からくる『後悔』が自分を支配するように。

どうしてこんな人と付き合ったんだろう。
こんな人に必死になっていたなんて馬鹿みたい。

一度『軽蔑』をしていますから、今更相手に対する期待なんてありません。
そもそも、相手のした行為を憎んでいて、許すことができないのです。

『別れる』という選択を自然と選ぶようになるかと思います。


『Plutchikの感情の輪』において、左回りの恋愛は

『恍惚』『愛』『敬愛』

『攻撃』『激怒』

『軽蔑』

『後悔』

のように、『後悔』することで終わるのではないかなと思います。


『失望』と『後悔』の、その先

『Plutchikの感情の輪』というものは、『輪』です。

2つのルートを辿って、それぞれ『失望』か『後悔』により終わった恋ですが。
恋はそこで終われど、感情というものは続いていきます。

『恍惚』と対極にある感情、『悲哀』です。
恋人と別れたあとは誰だって必ず、『悲哀』でいっぱいになる時間がやってくると思います。
どんなに怒っていようが、怖かろうが、共に過ごした人と別れるというのは寂しいことですから。

『悲哀』は必ずやってきますが、その期間のはその人次第だったり、年齢や恋愛経験の有無、相手と共にした時間の長さ、別れ方などによってまちまちでしょう。
1日で終わる人もいれば、何週間、何ヶ月、何年といった長い間続く人だっています。

もしかしたら、『悲哀』に沈んでいる時にふと、もう一度やり直そうと思えるかもしれませんし、そんな時だからこそ新しい恋愛が始まることだってあるかもしれません。


『Plutchikの感情の輪』

今日はなんだか、自分の学んだこと発表会みたいになってしまいました。
けれど、たまにはこういうものも良いかもしれません。

知識はいくら持っていてもいい。
咎められることも、税を取られることもない『宝物』ですから。

『Plutchikの感情の輪』というものに、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。

ここで書いたことはほんのさわりの部分。
調べれば、いろいろな記事が出てきます。

また、『Plutchikの感情の輪』に使われる単語も、人によってまちまちです。
それだけ、感情を表す言葉はいろいろあるということでしょう。


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