読書日記②『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』vol.1
こちらも『言葉の地層』と同じく東京のtwililightさんで年末に購入した本。
そのあとに書いた2023年の振り返りでも、「共感されなくても大丈夫になる」とか、「全部わかりあえなくても、大丈夫になりたい」などのワードが出てきていたので、きっと「大丈夫になる」というのが、20代の宿題なのだと思う。
頭の中での処理と心身の一致はなかなか難しい問題だ。頭ではわかっていても、「なぜか涙が出る」とか「朝どうにも起きられない」とか。優等生気質故に、物分かりよく頭では処理する一方で、心身はどうやらそうもいかず、「いや~、しんどいよ~」「なんかよくわからないけどつらいよ~」みたいなアラートが発生する。
今でこそ自分の気質への理解が深まったり、ちょっとした心身からの合図で、ケアをしてあげられるようになってきたこともあって、少しずつ「心身の足並みを揃えていく」に意識を向けられるようになってきたものの、社会人成り立てかつミスマッチ前提で入社した会社では、本当に苦労したのを思い出して、ほろ苦い気持ちになる。
最近はこの、「日常のささいなことで落ち込み、過去のできごとにつまずきつづけている自分」からの解放もテーマなのだと思う。
多分もう、本当はもっと軽やかに生きられるんじゃないかと思っているのです。でも、足かせになってしまっている過去の出来事や、本当はそこにもうその足かせはないはずなのに、躓いて思いっきり転ぶのが怖いから、自分で勝手にちいさく転んじゃったり。人に笑われたり馬鹿にされて他人から傷つけられる前に、自分で傷つける癖をなくしたい。
うん。そうそう。これスノボに似てる。思いっきり転ぶの恥ずかしいし痛いし怖いから、いい感じに滑れはじめてスピードがでてくると、自分から転んじゃうんです。でもそれと同時に、「ああ、わたしもっと滑れたなあ」とも思うわけで。もちろんこの慎重さ故に、心身ともに大怪我をしてこなかったという恩恵を受けてはいるものの、もう少しだけ自分を信じて、その先の景色をみてみたいのだ。
わかる。冷凍保存しちゃってきたものがわたしにもある。
それがきっと、英語であり、家事だったり、即興で何かすることだったり、ルックス全般のコンプレックスだったり。それらに触れるとき、ちょっと身体がこわばるものが、いくつかある。
ひとつひとつ、大丈夫にしていきたい。ちゃんと時間を進めていきたい。
これから起こる、ちょっと身体がこわばる出来事も含めて。
うん、これもきっと20代の宿題だな。
でも、今より心身が軽やかに柔らかくなったわたしは、しなやかな強さをもって、次のステージにいける気がしているのだ。あと3年でどこまでいけるか、試してみようじゃないか。
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