歴史学の面白さについて(ダーントン『猫の大虐殺』を題材に)③:歴史を語る前に気をつけること
引用文は、ダーントンの『猫の大虐殺』の第1章に収められた「農民は民話をとおして告げ口する」からの一節です。
この章で、ダーントンは、18世紀に生きた農民たちの精神世界に迫るために、当時彼らが言い伝えていたであろう民話を分析しています。
その最初の民話が、皆さんもご存じであろう「赤ずきんちゃん」です。
ダーントンは、その「赤ずきんちゃん」の物語が、現在我々が知っている内容と違いがあることを示すために、18世紀に流布してていた原初版の物語を叙述しています。
そして、ダーントンは、農民たちにとってのこの物語の教訓は、「狼を避けよ」(『猫の大虐殺』p. 5)というシンプルなものだったと言います。
一方で、ダーントンは、この物語についての精神分析学者たちの解釈も説明しています。エーリッヒ・フロムもそのうちの一人です。
フロムは、「この民話を原始社会の集団的無意識に関する謎」(同、p.5)として捉え、その内容は「大人のセックスに直面した思春期の青年の問題」(同、p.5)と解釈しました。
そして、フロムはその解釈に基づいて、物語の中に様々な象徴を見出していきます。例えば、「赤頭巾を月経の象徴、少女の抱えている壜を処女性の象徴」(同、p.5)と解釈しました。
しかし、ダーントンが説明するには、17世紀及び18世紀の農民たちが聞いていたであろう原初版には、赤頭巾も壜も存在しないのです。
確かに、ダーントンが載せていた「赤ずきんちゃん」の原初版の物語は、祖母に食料を届けにいった少女が狼に食べられてしまうというシンプルなものでした。
つまり、フロムは、存在しないモノを使って、精神分析を行っていたことになります。そこから導き出せる精神世界は、どんなに説得力を持っていたとしても、そもそも無意味でしょう。
そして、ダーントンは、フロムが誤ってしまった理由を、フロムが民話がどのように歴史的な経緯を経て編纂されたのかについて関心を払っていなかったためだとします。
歴史学の面白さのひとつは、歴史そのものについて、とてもセンシティブであることです。
多くの人は、歴史を使って、何かを語りがります。それは、戦後史を紐解いての政治的な主張かもしれないですし、資本主義の歴史を辿った経済的な見解かもしれません。
その人たちにとって、歴史はただの材料にすぎないように見えます。
でも、ダーントンが教えてくれるのは、その歴史自体を丁寧にたどることの大切さです。
歴史を使ってもっともらしい解を導き出すのではなく、歴史そのものを問うこと、そして、歴史自体を理解することの複雑さや困難さを感じることが、歴史学の面白さだと思います。
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