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連載『ロマンスはカイロにて』 #3 どうせなら、可愛い女の子と出会いたかった。



大学3回生の冬休み。寒さの厳しいアレクサンドリアを脱して、「恋するダハブ」という異名があるリゾート地に逃避行した。そこでの出会いと束の間の日常を描く。
#1はこちら




十数時間にも及ぶバス移動の末、ついにダハブに到着した。バスから降り、思いっきり体を伸ばしていると、いつものようにタクシー運転手による攻撃が始まる。餌に群がる池の鯉のようにタクシーの運転手は観光客に営業をかける。

「ユー・ニード・タクシー?」

彼らはカタコトの英語を何度も何度も繰り返す。私は、

「シュクラン!」

と、何度も言い、攻撃を躱した。シュクランとはアラビア語で「ありがとう」と言う意味だが、何かを了承する時も、逆に断る時にも使える。顔に微笑を浮かべ、手のひらを相手に見せるように動かしこの呪文を唱えると、相手は丁寧に断わられたのだとわかってくれる。No と言う意味の「ラ」をつけて、ラ・シュクラン(No thank you)と言うこともできるが、なんだか強く断っているようで私は好きじゃない。

***
Google Mapを頼りにダハブで一番の安宿、ディープブルーを目指す。ここは日本人宿として有名で、今でも日本人の旅人が多くいると聞いた。しばらくあっちへウロウロ、こっちへウロウロした後、やっとの思いで宿を見つけた。その宿は大きな通りから一本狭い通りに入ったところにあった。ログハウスのようなその二階建ての建物は私に「夏休みの秘密基地」を想起させた。


宿への道を宿の二階から撮影した写真。なぜか宿の外観の写真はない。

ディープブルーに到着した時、受付には誰もいなかった。仕方がないので二階に上がってみた。ちょっとした共用スペースとなってる2階の部屋にはテーブルと2つのソファーが配置されていた。さらに本棚があり、そこにはいくつか日本語の書籍も置いてあった。


日本語の書籍が充実したディープブルーの本棚

共用部分には何人の若い男女がパソコンで何やら作業をしながら座っていた。日本人の大学生、ロシア人の男性、アメリカの女性、そしてヨーロッパ系の女性がいた。彼らに話を聞くと、もう翌日には旅立つという話だった。

彼らはたまたまこの宿で出会い、一緒に飯を食ったり、シュノーケリングに行ったり、深夜までギターを弾き、酒を飲む宴会をしていたようだ。そんな生活を1週間ほど続けたのち、そろそろ潮時だということで全員でタクシーをチャーターし空港に向かうという。私は、祭りの翌日、骨組みだけ残された屋台を見た気分になった。祭りはもう終わっていたのだ。

ただ一人、あとしばらくダハブに残ると言っている人がいた。その人は、ソファーには座らず、少し離れたところにある本棚の本を整理していた。髭面の青年、と言うには少し歳をとっているがおじさんというにはまだ若いと言った年恰好の日本人男性だった。目鼻立ちのすっきりとした彼は、髭さえなければ俳優としてでもやっていけるんじゃないかとさえ思った。

「日本人の方ですか。」意を決して、話しかけてみた。

「あ、そうです。」

「このソファーに荷物置いても大丈夫ですかね。」

「全然大丈夫だよ。ここ誰も来ないし。ってゆうか飯食った?」

「今着いたばっかりで、食べれてないです。」

「近くにサンドイッチの店あるけどいく?」

「ぜひぜひ」

***

これが彼との出会いだった。私たちはこの後、約二ヶ月近くに渡り行動を共にすることになる。「恋するダハブ」で出会ったのは、28歳男性。人生は甘くない。


ディープブルー二階の共用スペース。手前がソファーとテーブル。

***

私は宿の受付が帰ってくるまでの間に、昼ごはんを食べることにした。何よりダハブに少しの間滞在している彼に興味を持ったので、何か情報を引き出せないかと思ったのだ。また、アレクサンドリアに滞在している一ヶ月のあいだ、一人の日本人とも会わなかったため、久しぶりに日本語で喋りたかった。

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