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大麻のおはなし

出会ったのは中3、今では毎日のようにRegret!

22歳になりまして、もうこの先吸う意味も理由も見当たらなくなってきたので
今回はわたしの人生に結構大きめな影響を及ぼした大麻について書いておこうと思います。
正直に言うと、吸っている時期の記憶はあまり鮮明ではないので、憶測も入りますがご了承ください。
ちなみに他の違法ドラッグにはあまりハマりませんでした。覚醒剤だけはやっていません。

吸い始め(中学3年生〜フリーター期間
ありますよね、悪いことがカッコいいと思う時期が。
当時のわたしは完全にそれでした。
訳もわからず吸い、必ずストーン後、バッドマインドになっていました。唾奇がすきだったので、そういう世界に興味がありました。分かっていたのは、吸うと世界がグラグラして、点が見え始めて、その点が動いて見えるようになるから、身体を揺らすのが楽しくなること、音楽と一体化するような感じがすること。その後身体が固まって、猛烈な不安が訪れること。

少し付き合い方がわかり始めた(高校1〜2年)
しばらくして、扱い方がわかってきました。吸っている時に絵を描くことや、コンビニで爆買いをして、吐くまで食べることが楽しかったです。
また、光が神や仏のように見えることが多々あり、この頃から、ボジけると祈のポーズをするようになります。
しかし、やはりパニックを起こすことも多々ありました。
(あまり大麻でそうなる人はいません)

時間の感覚がなくなり、ループしているように感じたりしたことや依存への不安からだと思います。
タバコをおいしいと思ったのは、大麻を吸っている時にはじめてタバコを吸ったからです。
この辺りから、大麻の効能や、記憶について少し興味を持ち始めます。悪いと言われているものが本当に悪いのか、考えていました。飲酒はしていませんでしたがMDMAやLSDなど他の薬物も併用していたので、何の作用でそうなっているのかわからないはずですが、わたしはなぜか大麻に惹かれていました。
ループしていると感じる原因や、記憶が混乱し、過去現在未来の区別がつきにくくなる原因を、吸いながら本を読んでずっと考えていました。思いつく訳もないですが。
また、尾崎豊の晩年の思考が、かなりドラッグにやられていたと気付きます。彼は大麻にはハマらなかったようだけど。

記憶についての情報収集
時間の概念の崩壊
楽しめるようになってきた頃



離れた時期(高校三年生〜専門1年)
友人関係が変化し、完全に大麻などの違法ドラッグから距離を置いていた時期です。この時期にも、破滅的な生き方をしている時期と、違法ドラッグ使用時期が重なることについて少し疑問を持っていました。どちらが先なのか。結局あまり深く考えず、シラフの時期を穏やかに過ごしました。

再会(専門2年)
先輩が吸っていたことをきっかけに、再会します。再開した瞬間は、とても心地よいものでした。ストレスが溜まっていたこともあり、吸って数十分後、世界の彩度が上がり、視界が広がった気がしました。ほんとうに。山の奥に、鳥が飛んでいるのが見えました。雲がシナモロールの軍団に見えたり、太陽の光が仏像のようなものに見えたり、森の中にいるのに音楽が聞こえてきたり、コンビニの商品が話しかけてきたり
とにかくいろいろなものが見え、聴こえました。この時期はみたり、きいたりしたかったのだと思います。色々なことを。
その色々なことを、絵にしていました。アイコンの仏像のようなものは、この時期に太陽を見て、見えたものです。
アルコールも多飲していたし、精神疾患についての知識も前よりはあったので、以前よりも強い精神症状が出ていたのだと思います。時間の概念はなくなりつつありましたが、ループしているとまでは感じませんでした。
この頃にも、ボジけると祈るポーズをする癖がありました。
神が、そこらじゅうに見えているように感じていました。その神に向かってひたすら手を合わせていた感覚です。

みえたり、聞こえたりするのは、決していいものばかりではありませんでした。コンビニの商品は次第にわたしの悪口を言うようになり、そこらじゅうに恐怖の塊みたいなものがみえるようになってきました。それから、一緒にいる人に考えが全て透けて見られているかのような感覚を持つようになりました。
この辺りから、完全に自己コントロール能力を失っていきます。誰かに操作されているようでした。死や、負傷に向かって。わたしがしにたいと思っているのか、何かに動かされているのか区別がつかなくなってきて、たびたび自殺未遂をして怪我をしていました。たくさんの人に迷惑をかけました。何度も川にお迎えに来てもらって、びしょ濡れのわたしを毛布で包んでもらいました。
今思えば、統合失調症に近いところまでいっていたと思います。コンビニの商品が話すのは、きっと幻聴だし。作為体験や、思考伝播もあったようです。しかしそれらの症状は、自我の障害であり、それは一体化していく感覚を持っていました。
分離された存在でないこと、一体化したものとともに移り変わってゆく感覚は、仏教でいうところの諸行無常でしょうか。
そのように体験していた覚えがあります。
当時それが大麻によってもたらされていると考えていたため、やめるのが惜しかったのだとおもいます。
今ではシラフでもそう感じられると気がつきましたが。


でも大麻は本来幻覚作用はあまりないのです。このようになる人は少ないです。でも現在のわたしの特性上、そうなってしまうのでしょう。分からないけど。その分からなさが、わたしをより魅了したようです。なぜそう考えたかは覚えていませんが、このとき「右脳が全開である」とよく言っていました。

そんな中でも、大麻の作用についての興味は尽きませんでした。8月〜12月くらいまで、ほとんどの日々を吸いながら過ごしました。どうして吸うと、感じられるものが変わるように思うのか、また、吸うことによるメリットとデメリットどちらが多いのか、なぜ楽しそうに吸える人が多いのに、わたしは変になっていくのか
それについて考えたいと思い、何度も繰り返しましたが、相変わらず答えは出ません。わたしは、思い込みがつよいタイプなのですが、大麻はそれを助長すると思います。この時期は、どこにでも登れたし、どこからでも飛べたし、今はあまりできないスケボーなどもやっていました。

また、本来食欲増進作用があるとされていて、実際にそうなっていた時期もありましたが、この時はそうならず、食べ物を口に入れることが不快でたまらず、何を食べても、ゴムか、粘土みたいなものに感じました。だからとても痩せていました。

1月ごろ、精神科に入院します。診断はアルコール依存と、それに伴ううつ症状、軽度ADHDだったかな。


退院後
実は退院後も何度か吸っていますが再び常用するメリットが全く思いつかずに、今では全く吸っていません。
本当の効能について明らかにすることはできないけれど、法的にダメなことのメリットを考え始める時点で、少しおかしかったのかなと今では思います。また、依存気味だったのかなとも。この頃、内海さんの本を読み漁っていました。その時に出会ったのが「歴史の真相と、大麻の正体」という本。
歴史の部分はほとんど飛ばし読みをして、大麻の正体の部分だけ読みました。要約すると、大麻は本来神聖なものであり、大地の毒を吸い、浄化し吐き出しているとのこと。実際に、大麻の茎の部分と葉の部分の、悪い成分の割合が違うのだとか。
大麻を吸うのは、毒を吸っているに過ぎないのだとか。
大麻は風の谷のナウシカにおける腐海の役割を果たしているらしい。(詳しくは内海さんの著書を読んでください)
わたし、ジブリが好きなのでそれを知ってさらに、ああ吸うのはやめようと思いました。単純ですね。

毎日のようにRegretと書きました。たしかに大麻のせいで、恥ずべきことをたくさんしたと思います。本当に。後悔は大きいです。
でも、それではただの更生日記なので、よかったと思っていることも少しだけ書きたいと思います。自分のしてきたことを否定だけするのは、自分が可哀想なので、言い訳を並べたいのです。でも使用を助長したい訳ではないので、少しだけ。まあ実際に少ししかないのですが。

まず一つ目は、吸っていた時期があったという経験として早い時期から持っているということです。そんな経験は持たないに越したことはないですが、好奇心旺盛なわたしにとって、未知の経験は輝いて見えます。例えば中学3年生の頃に出会っていなかったとしても、いずれ出会うことになっていたと思います。遅ければジャンキーになっていたと断言できるわけではないですが、早めに知って、必要ないと判断できたことはよかったのではないでしょうか...

二つ目は、絵を描くことの楽しさや音楽を聴くこと、音楽に乗ること、身体を動かすことなど、直感的にやることの楽しさを知れたことです。
何をするにしても、頭が先に動いてしまう自分にとって、頭で考えるよりも先に、感覚的に動くということが新鮮でした。それが行き過ぎるとダメになってしまうのですが。
ガチガチだった頭が、柔らかくなった という感じがあります。吸うのをやめた今でも。
それを活用し、頭よりも先に動かすことを意識的に増やすようになったと思います。そのおかげで出来たこと、いくつかあります。グッズ販売とか、キノコ栽培とか、音楽に合わせて身体を動かすこととか。

この二つくらいでしょうか。言い訳は。

また更生日記に戻りますが
わたしはこの先、この社会で生きていくにあたって、法を守ろうと思っています。法を犯すことで、家族すらの信頼も失うと気が付きました。失わないのかも知れませんが、大切な人に、そうさせてしまったことへの罪悪感や、犯罪者の知人であるという罪悪感など、とにかく不快な思いしかさせません。
わたしのことを好きである感じてくれている人に、この人を庇う自分は、おかしいのではないかと、そういう思いにもさせてしまいます。
違法ドラッグが一概に悪いと言っているのではなくて
法律で定められていることを守ることができないことに大きな問題があるのだと思います。
自分の好奇心や快のために、どこまでするのか
これは、とても大きな基準です。社会で生きていく上で、大切な基準です。わたしは幸い捕まっていませんが、当時捕まってもいいからこの状況から救い出してくれと願っていました。

限りなく自分勝手な発想ですが、そこまで思わせてしまうものです。真面目な人にとっては、特に。

法律で定められている以上、一国民がそのことに関して善か悪かを決めることなどできません。好奇心で法を犯し続ける限り、法を犯す罪悪感が付きまとうので、悪にしか思えなくなるし、自己否定のループに陥る。

もしも、本当にもしも法律がない社会が今後生まれたとしたら、わたしはもう一度吸って、気が済むまで吸って、大麻は善か悪かについて考えたいと思います。
合法化している国があるそうですが、合法化ではなく、すべて法律自体がなくならない限り、わたしは吸いません。
合法化というのは、これまで何らかの理由で悪とされていたものが何らかの理由で善になっただけで、それはきっとえらい人たちの都合だから。
そういうこんがらがった善悪もない社会があるとしたら、吸っていたいということです。

自分の判断をなるべく減らして、長うものには程よく巻かれて生きるのが楽だと、最近分かってきました。
でもそれはやっぱりおもしろくないので、わたしはわたしの判断で吸うことをやめたと言いたいのです。
そしてそれが法律が変わったから吸うとなれば
なんだか違う気がするのです。
大麻によって法律を守ることの大切さを知ることはできました。でも、全て委ねる気には、まだなれずにいます。


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