受け流し力と人に役立つ力。

最近のことをまとめてみようと思いました。
ウイルスの影響で、飲食店のお客さんが減っているようで、近所のお店も例外ではないようです。
ランチや考え事で使用している喫茶店に夕方入ると、普段よりもお客さんが少ない店内。
いつも少し会話をする店員さんがいたので、雑談をしました。
 
こういうときはウイルスの話ではなく、何でもない話をします。
何かに対してやられているとき、そのまま弱ってしまうのはもちろんダメージがありますが、「負けないぞ」と頑張ることもダメージがあります。
運動で頑張ったら筋肉痛になるように、精神的に踏ん張ることも、負荷がかかるのです。
この負荷は、精神的な筋肉痛となります。
だから、何でもないようにする時間を設けますし、与えるようにしています。
 
ぼくは物心つく前に腎臓病を患ったお陰(?)で、病気で苦しむことも、病気で死ぬことも普通のこととして受け止めています。
これは、身の回りでお亡くなりになる人たちが増えていく中でも、やはりそういうものとして受け止めているようなのです(不謹慎と思う方々がいるのはわかった上で書いています)。
「ようなのです」と書くように、ぼくはぼくのことを客観的に見ているようです。
病気の再発で身体的にも、社会的にも苦しむことに耐性がつき、踏ん張らずに受け流すこともできるようになりました。
 
もちろん、世の中の全員が、ぼくのようになる必要もないと思っています。
だから、こういうときのぼくは、皆と違う役割として、「普通でいること」にしています。
天気の話とか、美味しい食べ物の話とか、ドジな話とか、人と会ったときにはこういったことを話すようにしています。
もちろん、仕事であれば、仕事の話をします。
あまりにも変わらずに淡々と仕事をして生活をしている姿が、「安心する」と先日妻からも言われました。
お金がなくなって死ぬことはないですし、人はいつか死ぬものですし、人は人に迷惑をかけるものです。
 
お互いの共通の敵の話をした方が、親密度が上がるのかもしれませんが、踏ん張ることを強化していく必要はないんです。
稼げない日があるのなら、仕事のノウハウやレシピを公開したりとか、人に役立つことをしていた方が、楽しくなるものです。

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