「全部趣味」と「サンポノ」。

ちょっと厳しい話になってしまうかもしれないが、人には「〇〇してくれる」や「〇〇してあげる」義務はない。
親は子どもを育てる義務はあるが、子どもが成人になったら育てる義務もなくなる。
だから、パラサイト(死語)と言われる、成人した子どもを家に置いておく義務も親にはない。
「親だから」「友達だから」「上司だから」「仲間だから」というのは、やってあげる人が言うことであって、やってもらう人が理由として挙げれば、単なるわがままになる。
いや、立場や間柄を理由にするのは、やってあげる方も止めた方がいいだろう。
すべて、自分がやりたいからやったことだ。

やった方が、自分が気持ちがいいからやったことだ。
「やりたくないことをやらされている」という人もいるだろうが、断る選択肢だってあるわけで、やらされる方を選び、断る方を選ばなかったのは、断る方が大変だからだ。
選ばない理由を大別すると「大変」「面倒臭い」「嫌」「不安」だ。
こういった理由が少ない方を選んでいることになる。
自然災害、交通事故、先天性のように不可避なもの除いて、言動というのは、自分がやりたいものでできている。

去年、「全部趣味 – All works are hobbies.」という言葉を考えつき、これは今でもぼくの指針になっている。
好きなことを追究した結果得意になり、得意なことで他人に貢献できるようになり、他人への貢献が仕事になった。
はじまりは好きなことであり、好きな人と仕事をする。

飽きたり、嫌いになったら趣味をやめるように、仕事だって飽きたり、嫌いになったらやめればいい。
釣りが趣味だとしても、嫌いな人とは釣りに行かないように、嫌いな人とは仕事をしない。
こう言っているとわがままなように聞こえるかもしれないが、ぼくは自分から人との付き合いを切ったことは、数回しかない。
大学の頃にはじめたことを仕事にしているように、自分でも驚くほど根気強いようだ。

そんな自分だからこそ、自分で自分を窒息させないように、あえて「全部趣味」とふざけているように思われることを言うようにしている。
ぼくの事務所の名前を「サンポノ」としたのも、「仕事は人生という名の散歩のついで」と、企業戦士(死語)にならないようにするためだった。
そして、これらは功を奏している。
どこか頑なになりそうなとき、「サンポノ」や「全部趣味」という言葉が頭をよぎることで、随分と気持ちが楽になる。
こういった軽妙さが、日本人には必要なんだ。

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