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「冥界ラジオ」ep3:悩める地獄の隣人よ|創作大賞2024

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ニムラの様子がおかしい。

おそらく原因は昨日飲んで帰ってきたという地獄カクテルのせいだろう。飲む者に地獄を見せるという、この世界の特殊な製法で作られたカクテルは、自分は飲んだことがないが、飲めば堪え難い絶望にのたうち回ることで知られている。自分の抱える地獄が体の中を巡っていつまでも消えないというのはなかなかに気が狂いそうだ。

はたしてこいつはどんな地獄を見たんだろうか。


「いつまでもうだってないでそろそろ切り替えろ」

背もたれにもたれかかり一点を見つめているニムラをサキモトは丸めた台本でペシッと頭を叩く。叩かれてもなお変化を見せないニムラは心どころか魂までもが抜けているようだ。小さな声で何かをブツブツと呟いているようだが、サキモトには聞こえない。

「なんだって?」
聞き返すも同じことを再度喋るのが面倒くさいようで、ニムラは気にせずに喋り続けている。

「……なんか、どす黒いもんに片足から吸い込まれていく感じがする。頭は靄がかってるし、目を閉じれば最悪の風景が湧くように出てくる」
表情筋が機能していないニムラの顔はなかなかに不気味であり、いつもの軽薄さはどこへやら、地獄の住人にふさわしい顔つきになっていた。

「だからあんなもの飲むなって言ってるんだよ。お前みたいのには向いてないの」
「あのおじさんは飲んでんじゃん」
「ああ、閻魔王もあんなの飲まなくていいのにな。なんで飲んでるんだか」

昨日飲んだ地獄のカクテルが尾を引いて、翌日の今もなお気分が悪かった。じっとしていると暗闇へ足から引きづられていきそうな感覚がする。あれは一体何から作られているんだろうか。おかげさまで気分は最悪だ。

「お前そんなんで喋れるのか」
サキモトが手元の作業を止めて見極めるようにこちらの顔をじぃっと覗き込む。

「大丈夫ダイジョーブ。腐っても地獄の住人ですからね。どんな地獄をみても喋りますよ」
よっと、という掛け声で伸びきっていた体を起き上がる反動で起こし、正しい姿勢に戻る。

今日の放送では久しぶりに再現ラジオドラマ企画をやるのだ。「地獄ミーティング」と名付けられた企画は、地獄の住人から送られてきた〈地獄エピソード〉を自分とサキモトが再現ドラマ風に演じて〈あなただったらどうするか〉を他の地獄の住人に問うリスナー参加型企画だ。



「ーさんはA案でーさんはB案、コジマくんはC案をお願いね」

「ー喋りかけられるとまた最初から確認しなければいけない。ひとつ前の作業もまだ途中なのに、新しいタスクが振られる。僕は再び息を止めてひとつめの枠から確認をしていく。頭がパンクしそうだ」
「デスクが濡れている。僕の手汗が酷すぎるせいだろう。カーソルの位置、クリックの回数、ファイルの場所。決してこのルーチンは崩されてはならないのだ」

「僕は限界のあまり、上司の一人に相談をした。そうしたらその話が他の上司にも伝わっていてこう話しかけられたんだ」
「コジマくんなんかあれなんだって?最近アタマがちょっとアレなんだって?」

「その言い方は僕を心配するものではなかった。咄嗟のことに何も言い返せなかった。もう何も見たくない。見なければ何度も確認しないで済む。誰か僕の頭と手を止めてくれ」

セリフを言い終えたニムラとサキモトは顔を上げる。

「今日の「地獄ミーティング」の地獄の持ち込み者はコジマさん。確認行為が止められないことで仕事や生活に支障が出て地獄だという。さあ、あなただったらどうする?お便りの受付はインターネットで「地獄の語り場」で検索してください」

ニムラが呼びかけると、深海を思わせるようなアンビエントな音楽が流れる。少し不気味だがそのほの暗さが心を落ちつかせる。メロディに声を被せるようにしてニムラは口を開いた。

「彼は同じ手順と同じ回数の決まったルーチンで確認をしないと気が済まないそうで、これ、側から見たら真面目に仕事をしていてミスもなくていいじゃんと思うかもしれないけど、ある種本人の意思とは関係なく行われる強迫行為のようなものなんだよね。やめたくてもやめられない」

台本の角を指でいじくり、手元に目線を送る。今まで普通に行っていた行動が自分の思考と癖によって妨げられるのはどんなに苦痛だろう。想像してみるが、きっと本人が日々苦悩している現実には及ばない。意識しないと気がつきもしないが、普段の日常には確認を必要とする行為が数多に潜んでいる。台所のガス火の点検、家のドアの戸締り、仕事先でのメールの送信。我々が気にも留めないような動作も、些細な行動が彼にとっては脳のリソースを大幅に割く負担になるのだ。

「えーさっそくお手を拝借……ということでラジオネーム通行人Aさん。〝いつものルーチンを一回だけやる。そこでコジマくんはちゃんと確認をした。終わり。自分の手から離れたものはもう自分の手を離れたと思って深追いはしない〟ーー僕もこれ賛成。適当なやつは知らんけど、コジマくんみたいな真面目な人はもうそのくらい開き直っちゃった方がいいと思うなあ」

不安というのは厄介だ。かもしれないという不確定要素だけでどこまでも一人歩きを始めてしまう。放置しても消えることはなく肥大化したりもする。コジマくんの場合その不安の糸を自分では切れず、自分が疲弊するまで追い詰めるのだろう。だからこそ多少乱暴でも、もうここから先は僕は知りませんと対象を断絶するやり方が合っている気がするのだ。慣れればそのうち距離感も掴めてくるだろう。

「次はラジオネーム鮭おにぎりさん。今の仕事を潔く辞める。やり方を変えたり考え方を変えることでよくなることもあるかもしれないけど、とりあえず今の場所から離れて体制を立て直してみては?ーーあと一件、ラジオネームメガネマンさん。ひとつ確認したらメモにチェックマークを入れる。確認が可視化されると違うのではないか」

「うん。うん。あれもこれも手を尽くした。それでも膠着状態ですっていう時は一旦その場から離れて物事を見ることも一つの案だよね。あと確認を脳内で完結するんじゃなくて可視化できるようにする。このやり方がしっくりくる人もいるんじゃないかなあ。いやあ確かに確かに!」

ニムラは手をポンと叩き相槌を打つ。お便りをくれたリスナーが同じ悩みをもつ人間なのか、問題に対して全くの素人なのかは分からないが、どれもなるほどなと思わせられる回答だった。

人は自分に事件が起こった時、起こった事象のことで頭がいっぱいになり、パニックや負の感情で覆い尽くされてしまう。そういう時に横からフラットな目線で「こんな考え方もあるんじゃない?」と選択肢を広げてくれる人がいたら、少しは余白をもって物事と向き合えるのではないか。

そもそも「地獄」の解釈も尺度も人によって異なるのだ。同じ地獄を抱える者同士分かり合えることもあれば、同じ地獄こそ知らないものの地獄を歩いてきたことで他者の苦しみを想像できることもある。

そんなニムラの考えと遠からず、リスナーである地獄の住人はここに寄せらたお便りに対していつも柔軟な思考をもち回答を寄せてくれていた。その人の辛さを否定する訳でも、大げさに庇う訳でもなく、ただ耳を傾けて、相手辛さに寄り添う。彼らは特筆して偽善者でも優しく出来た人間という訳ではない。ただ、己が地獄をみてきたぶん、人の地獄を馬鹿にすることも軽視することもないというだけだ。

暗闇に迷った時には手元にランタンを、目が慣れるまではこうしてやり過ごすといい、どこにも出口がないのだったら策があると自分の経験から得た知識を少しずつ持ち寄るのだ。一人では見つけられない出口までの地図だって人の知恵を借りれば暗闇に風穴を開けられることもある。それが例え身近な人間ではなく、素性も知らぬリスナーでも。

PCの画面には届いたお便りがポコンポコンと更新されていく。その光景はまるで暗い道に街灯が順に明かりを点けていくようで、この瞬間がニムラは好きだった。

「紹介し切れなかった回答は掲示板の方に載せるので、コジマくんも他の地獄の住人も気になる人がいたらチェックしてみてくださいね。さあ続いては今日のお便りはラジオネーム黒猫さん。もう何もかもに疲れてしまいました」

「ーーー」
冥界ラジオの放送はほとんど企画で成り立っているが、フリートーク枠のうちに番組宛に届いたお便りを不定期に紹介する時間もある。そのお便りにこんなメッセージが届いた。

二、三行の文章は単語をいくつか拾えば視界に入れたときに大体は読めてしまう。故にニムラの喋りは一旦止まった。出演者の表情と音声が同時に発信されるテレビだと一瞬の間くらいは気がつきにくいものだが、ラジオでの沈黙はリスナーにも伝わる。

「ここにいる皆さんは、なぜ自分がいる場所が地獄だとわかっても、それでもなお地獄で生きるのですか」

幼い子供がつぶやくひとり言のような、または言葉の音を確かめながら喋るようにニムラは読み上げた。背中がひやりとする。室内が、シンとする。同じ緊張感が自分だけではなくリスナーに伝わるのがわかる。

心の中で、そうだよなあとニムラは呟く。ここにいる地獄の住人も、または自分も、何度地獄を見て聞いて通っても辿り着く疑問。シンプルながらもこれといった答えを出すのに時間がかかる問いだと思った。サキモトを一瞥すると視線が交わる。基本的にラジオで扱う企画やお便りはパーソナリティである自分も混ざることもあるが、ディレクターであるサキモトが主導で決めることが多かった。よってこのお便りを選んだのは彼である。

あんたはどういう意思をもってこのお便りを選んだんだと問いたいかった。しかも時間は終了間際。さて、どうしようか。ひとまず喋らねばと思い、固くなった自分の雰囲気を意図的に緩めた。

「これはまた難しい問いですね。うーん、こんな問いを番組の終盤に持ってくるうちのサキモトにも悪意を感じるんですがね。これは、お答えするのに少し時間をもらってもいいですか。そしてせっかくならば地獄の住人の皆さんにも、お聞きしていいですか」

ニムラはリスナーにも問いをかけた。
〝それでもなお地獄を歩き続ける理由を〟

「ということで、次のラジオではこのテーマを扱いたいと思います。掲示板のお便り投稿欄を開けておくので、みなさんの意見を聞かせてください。ではみなさん、また地獄で会いましょう」
同じ地獄の住人から投げかけられた問いは、リスナーと、そしてニムラにひとつの宿題を残し、ラジオは幕を閉じた。



「なんであれを最後に持ってくるかなあ」
何食わぬ顔でタバコを吹かすサキモトに呆れがきて、ため息交じりに言葉を吐く。
「いろんな方向にセンシティブそうな話題扱うのやめろって、入り込みすぎるなって言ったのサキモトさんじゃん。なに自分からぶっこんできてんの」

このラジオのリスナーはみんながみんな地獄を受け入れられているわけではない。他の人にアドバイスする余裕もなく、中には世界や自分を憎み動けなくなっている人もいる。だからこそ大なり小なり人の地獄を扱うこのラジオでは、向こう岸にいる人間に対して入り混みすぎない、話は受け止めて流すというポジションを徹底していた。

ニムラに背を向けて話を聞いていたサキモトは、タバコに火をつけたまま身体をくるりと向き直す。

「地獄を表面上受け入れてそのまま進み出すのと、本当の意味で受け入れて歩いていけるのはまた訳が違う。確かに個人に入り込みすぎるのは厄介ごとの種だからやめとけとは言ったけど、こういう問いみたいなものは自分に向き合うための一助になる。お前にとってもな」

じっと覗き込まれる目線に耐えきれず、ニムラは先に目を逸らした。この男のこういうお節介の仕方がニムラは嫌いだった。自分の感情や思考を遠巻きから観察されているような感覚はむず痒く、居心地が悪い。

椅子に深く腰をかけ、背中を思い切り伸ばした。天井を見ながらニムラは考える。自分はあの子の問いにどう答えてあげられるだろうか。



次の話は最終話です。こちらから読めます


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