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ざわざわする日本語

日本語は語彙が豊富で多様性があるといわれているけど、果たしてそうだろうか。むしろ適切なことばが不足しているようにも思える。言われたり耳にすると心がざわざわすることばが誰しもあるように思うが、私個人が感じるざわざわすることばを挙げてみた。


1. 女性

これは別に差別語でもなんでもないので、なぜここに挙げられるのか疑問に思う方も多いことだろう。現代社会ではむしろ丁寧な部類に入るのであろうから。テレビやラジオのニュースを聞いていると被害者や目撃者には男性・女性が使われ、加害者や容疑者は男とか女と報道されている。ということは男・女とういう呼び方は侮蔑的で男性・女性というほうが敬意を表している…ということなのだろう。世間一般には。
男の人がこのことばを発していても実は別に気にならない。けれど女の人、特に女の政治家とか有識者が女性、女性と連呼すると何とも後味が悪い妙な気持になる。こう感じるのは私だけなのかもしれない。おそらく、男、女、という表現は生々しく感じられるのかもしれない。しかし私は男性、女性、特に女性という言い方がなんだか空々しく感じて好きになれない。

日本各地の婦人会が女性会と名を改めている。それは婦人会ということばの響きがババくさいというのが主な理由だ。後術するが、私はむしろ女性よりも婦人のほうが好きだ。婦人会はことばそのものが悪いのではなく、運営の仕方にむしろ問題があったのだと思う。それは町内会や商店会にも言えることだが、『これまでこうやって来たから』という伝統ばかりを重んじて、新しい風潮を取り入れようとしなかったからだろう。故に若い人が抵抗を感じて近寄らず、いつまでもある特定の世代ばかりが集う。結果その人たちが年を取って婦人会がおばあさんの集まりのようなイメージになってしまった。
そんなだからあと20年もすれば女性会という名称もババくさいイメージになって改められるかもしれない。

2. 主婦

これは抵抗を示す女の人も多いと思う。抵抗の理由は主に2つある。

1つは働いている女の人達の意識だ。彼女達はふつう職業欄には主婦とは書かない。会社員、パート、事業主なりと書くだろう。あるいは弁護士とか教師とかファイナンシャルプランナーなどの職業名を書く場合もある。いずれにしても働く女は自分が働いていることにプライドを持っている。ちゃんと職業のあるところに敢えて主婦とは名乗りたくない。
いまだに誤解している人が多いが、主婦とは職業を持たずに家事・育児・介護などに従事している人のことで、職業を持っていれば基本主婦ではない。結婚している女イコール主婦だと思っていたら、今すぐ考えを改めてほしい。結婚していることを示したいのならは既婚者というちゃんとした日本語もある。

こう書くと専業主婦の人たちから
「主婦は立派な仕事よ!」
と反論されてしまいそうだが…確かに家事や育児は立派な仕事だと思う。誤解しないでいただきたいのだが、私は主婦を軽蔑してはいない。むしろ尊敬している。家事や育児は確かに大切な仕事であるし、本来やりがいのあることなのだろう。ところが私のようなエゴイストにはひどく退屈であり、欲求不満がたまってイライラしてしまい、その持て余したエネルギーが夫や子ども達へぶつかってしまう。なので、心の平安が保てない自信がないのならば、子どもがいるからと言って無理に専業主婦になる必要はない。子どもを育てるのに最も大切なことは、母親の心持が安定していることだから。
それだから、自分のことは後回しにして穏やかに家事と育児に専念できる女の人は偉いですよ、本当に。

ただ、家事は立派な仕事ではあるけれど、職業ではないと私は思う。職業は働いた代価(お金)を受けることができるもの、なので仕事と職業は明確に分けるべきではないだろうか。例えば自称主婦の人でも家でアクセサリーを作って、それを売って月に1~2万の収入があるのなら、その人の職業は内職、もしくはジュエリーデザイナーなどになるのだと思う。
もちろん家庭内に稼ぎ手がいるのなら別に稼ぐ必要もないわけだし、収入がないことに引け目を感じる必要もない。

もう1つのざわざわする理由は、おそらくこれは専業の人も兼業の人も同様に感じていることだと思うが、どことなく小ばかにされている感じがある。前述のように日本は経済社会なので自分の稼ぎのない人を子どものように無意識に見下してしまっている部分もあるかと思う。それから「主婦」ということば自体にも問題があるように思われる。

昭和の時代に看護婦・助産婦・保健婦と呼ばれていた人たちは、現在ではそれぞれ看護師・助産師・保健師と呼ばれるようになった。この表向きの理由は〇〇婦というと女の職業のように思われてしまうため、男女の別なく就けるようにとのことだ。その考え方には異存はない。最近は男の看護師さんや男のCAさんが増え、逆に建設現場などで働く女の人がいたり、職業選択の自由が広がったように思える。
別の理由は、〇〇師というといかにも専門職のようで、その仕事に従事していいる人達も誇りを感じられるかと思うが、〇〇婦だと何となく「下働きの女」といったニュアンスがつきまとう。今では農婦なんてことばは死語になり、掃除婦は求人広告では清掃作業員と表記されるようになった。明治時代に見られた農夫、水夫などの男の職業もやはり下働きのイメージがあったが、ずいぶん昔に消滅している。現在〇〇婦とつくのは主婦と家政婦くらいなものだ。

「主婦」ということば自体を、もう返上してしまえばいいんじゃないか?結婚している女の人ならば前述のように既婚者、既婚女性と言えばいいし、家事に従事している人なら「家事従事者」とか「家事専従者」など、呼び方はいくらでもありそうだ。そもそも現代では家事を奥さんやおかあさんがやっているとは限らない。父子家庭やおかあさんが病床に伏せてる場合はおとうさんや子どもが家事を担っていることもあり得る。家事専従者はなんとなく堅苦しいしセンスもイマイチなので、どなたか的確で嫌みのないことばを作っていただけないだろうか。

3. 奥さん

おばさん、おくさん、おかあさん…あなたが言われて一番いやなことばはなんでしょうか。私自身はおかあさんはちょっと抵抗があるけれど、おばさんと奥さんは実はそれほど抵抗を感じていない。でも、おばさんが嫌だという人は多数派のようだ。それはさておき、ここでは奥さんについて考えてみよう。

ご存じのように、英語では未婚女性はミス、既婚女性にはミセスをつけて呼ぶ…と私が中学生の頃習った。ただ、そのころ(1970年代)から既に男の人は未婚も既婚も変わらないのに女の人だけ未婚と既婚を分けるのはおかしいという意見は出ていて、未婚既婚どちらにも使えるミズという敬称もすでに存在していた。

やはり中学生のころの英語の時間に、初対面でミスかミセスかわからない女の人にはどうしたらいいのか?と誰かが質問し、先生の答えは
「どちらかわからない場合は、とりあえずミスと言っておく」
というものだった。これはとっても日本的な感覚だ。もしかするとアメリカでもそうなのかもしれない。けれど、フランスでは場合によって失礼になることもあるそうだ。

英語のミセスとフランス語のマダムは実はイコールではない。ミセスは正に結婚している、夫のいる女、漢字で書くなら「夫人」。一方マダムは必ずしも既婚を意味しているのではないようだ。フランスでマドモアゼルと呼ばれるのは本当に若い、せいぜい大学生くらいの女の子で、大人には未婚でもマダムと言うほうが丁寧なのだそうだ。いい年した大人の女に未婚だからと言ってマドモアゼルと呼ぶのはむしろおちょくっているのだと聞いたことがある。

若くても結婚して入ればマダムだし、会社を経営していたり、組織の中で然るべき役職についている人は、どんなに若く独身でもマダムと呼ばれるらしい。マダムを漢字で書くなら夫人ではなく「婦人」。そもそも婦人の婦の文字には働き手となる女、一人前の女といった意味があり、正にマダムなのだ。女を未婚・既婚で分類するのではなく、一人前かそうでないかで分けるところに文化の厚みを感じる。

私が女性よりも婦人が好きだと述べたのは、そのような理由からだが、ババくさいイメージや下働きのイメージがついてしまったからには、もう平塚らいてうさんの時代には戻れない、婦人ということばが復活する兆しはないであろう。

言われていやなことばというのは、そのネガティブさを逆手に取って利用することもできる。子ども達が学校へ行っている平日の午前中、その日は仕事が休みで知り合いの家にちょっとした用事を済ませに行っていた。歩いていけるほど近くではなく車で行ったのだが、古い住宅地の中なので車を止められるスペースもない。仕方ないので公園のフェンス寄りにしばし停めさせてもらった。ほんの数分のつもりが30分近く話し込んでしまい、車に戻ってみたら電気工事が始まっていた。私の車は見るからに邪魔だった。

「すみません。すぐ、どかします」
と謝って車に乗り込もうとすると、その場にいた純朴そうな作業員さんが
「ああ、奥さんの車だったんですかぁ」
と、ちょっと訛りのあることばでつぶやいたので、すかさず
「私、奥さんじゃないんです」
と言ってしまった。そうしたら、その人は申し訳ないことを言ってしまったという反省モード全開の表情になり、そのすきに私はとっととその場を後にした。

平日の日中に住宅地の中をうろちょろしているなんて、普通奥さんですよね。話をすげ替えてしまいました。
あの時の作業員さん、ごめんなさい。悪いのは私です。

4. おかあさん

友人の中には奥さんと呼ばれるよりはおかあさんと呼ばれるほうがまし、と言う人もいるが、私は逆におかあさんと言われるのは堪える。私は割と若いころ子どもを授かっていることもあり、同世代の人やちょっと若い人におかあさん、おかあさんと呼ばれるとおばさん扱いされているような気分になってしまう。

上の子を音楽教室に通わせていた時、担当の先生が私が英語を教えていることをどこからか聞きつけて、
「おかあさん、大変ですね」
と、まあ一応ほめてくれた。ただそのあとおかあさん、おかあさんと連呼するので、その先生を殴ってやりたい気分に駆られた。殴りはしなかったけど。私はその当時まだ30歳になるかならないかくらいで、先生はおそらく20代の半ば位の独身、向こうはオバサンだと思っているかもしれないが、こちらからすれば大して年も違わないのに…っ感覚だった。

実際に私は自分のクラスの保護者を鈴木さん、佐藤さんと名前で呼んでいた。鈴木さんが2人いるようなばあいは「〇〇ちゃんのおかあさま」、一括りで言うばあいは「おかあさまがた」と呼んでいた。「おかあさん」と「おかあさま」ではたった一音の違いでも言われたほうの受け取りかたが大きく異なる。学校の先生が生徒の保護者をさま付けで呼ぶ必要はないと思うが、塾やおけいこ事など余分なお金を払って通って来てくださる方にはそのくらいの敬意を表してもいいんじゃないかと思う。

もう1つ、抵抗を感じるのはおかあさんということば自体に重みがあるからなのだろう。「母は強し」なんてことばを軽々と言う人がいるけれど、私はあの表現は大嫌いだ。おかあさんになったら自分のことをすべて度返しして子どものために生きる、それが当たり前みたいな風潮がどうにも受け入れられない。しかし、世間では母性神話のようなものが未だに存在し、直接ことばで言われなくても、「あなた、おかあさんなんでしょ」と無言の圧力をかけられると、実際のところ身動きができなくなってしまう。
女なんだからこうしなければいけない。大人なんだからこうしなければいけない。奥さんなんだからこうしなければいけない。と、古くから言われてきたそれぞれの立場に対する規制のようなものは時代とともに緩和されてきた。しかしおかあさんだけは、まだまだ規制で縛られているように思える。

昨今はおばさんとかおばあさんと呼ぶと気分を害する人もいるため、あまりそれらのことばは使われなくなった。その代わりにおとうさん、おかあさんという呼び方が蔓延した。テレビの中継で巣鴨のとげぬき地蔵付近を歩いている人におとおさん、おかあさんと呼び掛けているのをよく見る。一昔前ならおじいさん、おばあさんだったのだろう。話しかけられた老人達はにこにことインタビューに答えているけど、中にはいやだなと思っている人もいるのではないだろうか。

こんなことがあった。近所のショッピングモールの携帯電話ショップで何やらキャンペーンをやっていた。大音量で音楽を流し、普段そこにはいない、キャンペーン用に雇われた若いスタッフが数人店頭で通りすがりの人に呼び掛けていた。一人の若い男の人が私に向って
「そこのおかあさん、見て行ってくださいよ…」
正直いやな気分になったけど、無視して隣にある靴屋の中へ入っていった。靴屋で買い物を済ませて外に出ると、またさっきのスタッフが
「そこのおかあさん…」
と、呼び掛けてきたので、
「おかあさんじゃありません」
と、大声で反論し、きっと睨みつけてしまった。その時は情けないことに、奥さんと言われた時のように心に余裕がなかった。先方は、
「申し訳ありません」
と深くお辞儀をして、反省していたようなので、それ以上は何も言わずに帰って来たけど、やっぱり気持ちはもやもやしていた。

5. 二人称が乏しい日本語

一昔前は商店街などで買い物をしている女の人にお店の人はみな奥さんと呼んでいた。そのうち奥さんということばに抵抗を示す人たちが表れて、老若男女隔てなくお客さんで通すようになった。携帯ショップのスタッフさんとしては、奥さんとかおばさんといった表現を避けて、いわば気を使っておかあさんと呼んでくださったのだろう。しかし、その表現はやはりおかしいと思う。

自分の子どもと一緒にいる時なら、おかあさんと呼ばれても仕方ないと思える。ただ、単独で行動していてる時はやめてほしい。実際、未婚か既婚か、子どもがいるのかもわからない人に対しては慎重にことばを選ぶ必要がある。家庭に入りたくなくて独身を通している人が奥さんと言われることは煩わしいだろうし、子どもが欲しくても恵まれなかった人がおかあさんと呼ばれるのはつらいことだと思う。

日本語は主語が省略されやすい言語だ。普段の会話の中であなたとか私は省略される。見ず知らずの人でも一旦会話がスタートしてしまえば、あなたも私も関係なく話を進めればいい。しかし、初対面の人に話しかける時、あるいは呼び掛ける時、適切な表現が乏しいように思われる。おばさんやおばあさんでもなく、奥さんやおかあさんでもなく、フランス語のマダムのように老若問わず、未婚既婚問わず、かつ敬意を表しているようなことばがないものだろうか。誰彼構わずお嬢さんとかお姉さんと呼んでる人を時折見かけるけど、あれもなんだか可笑しい。

ここまで、女の人に対する呼びかけのことばを中心に述べてきたけど、実は男の人に対する呼びかけのことばも乏しい。一旦お店の中に入ってしまえばお客さん、奥さんや子ども一緒にいればご主人様とかおとうさまでいいと思う。しかし単独で歩いているときに呼び掛けるとしたら…
年配の人なら旦那、若い人ならおにいさんだろうか。繁華街で通りすがりの男の人に黒服の人が「旦那」と声をかけているのを耳にすると、なんだかおちょくっているように感じるのは私だけだろうか。

ムッシュやマダムのように誰にでも使えて、尚且つ敬意も含まれている呼びかけのことばってないものだろうか。ただ、私は外国のことばをそのままカタカナにして使用するのはあまり賛成できない。漢字ややまとことばの中なにか適切なことばがありはしないか?あるいはやまとことばを変化させて、どなたかいいことばを作ってくださらないだろうか。切に希望する。

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