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悪女考察③井上靖『淀どの日記』

日本三大悪女と聞いて北条政子、日野富子はすぐに頭に浮かんだ。あと一人は誰だろうと思って調べてみたら、淀殿だった。ちょっと意外な気がした。他の二人とはやや毛色が異なるが、知名度で言ったらダントツで、これまでに実に多くの女優さんが映画やドラマで演じてきた。当然小説の数も多い。あまたある小説の中から今回は井上靖さんの『淀どの日記』を読んでみた。1955年とだいぶ古い作品なので最近の研究とずれてる部分もあるかもしれないが、とりあえずこの小説の世界に埋没して感じたことを書いてみる。

最近はご無沙汰しているが、若いころ『敦煌』『天平の甍』『蒼き狼』『額田女王』などの歴史小説に親しんでいた。改めて読んでみると、井上靖さんの文章はなんともクール!そして登場人物も皆クールで、凛としていてカッコいい。淀殿の気性の激しさ、秀吉の残忍さ、京極高次の器の小ささなど負の要素も描かれてはいるが、
「それぞれ背負ってきたものが重たいので、性格に歪みが出ても仕方ないのね」
といった気分にさせられてしまう。

茶々(淀殿)の恋の話が印象的だ。といっても妹の初(本書では平仮名のはつ)のように好きな人の前では顔を赤らめ何も言えず、いなくなるとその人のことばかりしゃべり続けるような女子とは違う。本人も好きだとか恋してるとかいう自覚がなく、ただなんとなく気にかかる。それもまた、思春期の少女らしくて微笑ましい。

大河ドラマ『江 姫たちの戦国』と同様に初は従兄の京極高次に夢中になっている。しかし高次のほうは茶々を慕っている。実際はわからないが、自分と年の近い、美人と誉れ高い姉のほうを好きになるのは当然あり得ることと思う。茶々のほうも高次に惹かれている。どんなことがあっても生き延びてみせるという彼の生への強いこだわりに茶々も共感してしまう。

もう一人の気になる人物が蒲生氏郷。茶々は人生の転機になるとそれとなく氏郷の意見を聞いて、それに従っている。彼の冷静さ、聡明さに敬意を払っている。本能寺の変のあと、どさくさに紛れて秀吉の長浜城を攻撃した高次に対しては、間違っていると感じたが、光秀の誘いに乗らなかった氏郷の姿勢を高く評価している。

淀殿という人は、幼いころから力関係に非常に敏感だったように思える。親の仇である秀吉に対しても最初からあまり悪い印象を持っていない。それよりも大物であることを嗅ぎ取っている。
信長にとって、父・浅井長政は敵にはならず、秀吉にとっての柴田勝家も敵にはならない。力関係が歴然としているのだと冷静に判断している。

しかし、彼女は徳川家康にとって息子・秀頼は敵にはならない事実が理解できていない。しかも秀頼は秀吉以上の優秀な武将だと思い込んでいる。「親ばか」とうことばがあるが、人間、親になると本当にばかになってしまう、哀しいことに。もしも、彼女に子どもができなければ、そのあとはどうなるかは別として、とりあえず秀次が無事家督を継ぐ。秀吉亡きあとは茶々は別の力のある人物とくっついて第二の人生を歩めたかもしれない。たらればの話ではあるが…。

茶々は昔から気の強い女として知られているが、昨今のドラマなどではお市の方と三姉妹、浅井の女は皆気丈に描かれている。『江 姫たちの戦国』でも上野樹里ちゃん演じるお江(本書では小督)はお転婆で茶々以上に気が強い。天下人の秀吉や家康に対しても物怖じしないで言いたいことを言う。水川あさみさん演じるお初は食いしん坊で陽気なムードメーカーだが、戦になると自ら鎧をつけて城内の士気をあおる勇ましい姿が印象的だった。

本書ではお市の方も三姉妹もおとなし目に描かれている。歴史小説は事が成された時代のことを書いているのだが、どうしても書かれた時代が反映されてしまう。それから作者の見立ても。
茶々はしっかりしているが、お初は悲しいことがあれば素直に泣くし、楽しいときは澄んだ声でおしゃべりする。今時の女子にも通じるかわいい女だ。一方お江は口数が少なく、何があっても動じない器の大きさがある。

最後に著者が三姉妹のうち誰が一番幸せだったかと問うているが、私はやはりお初が最も幸せな人生を歩めたと思う。権力はないが、自分が好きになった人と一緒になり安定した人生を送れた。お江は、その人生をなぞれば三人の中で一番波乱万丈で不幸な生涯を送ってきたように思われるが、持ち前のしぶとさで案外ひらりと苦労を乗り越えてきたように思う。

茶々は悪女に数えられているが、私は彼女は悪女ではないと思う。ただ気が強く権力欲が強かっただけだ。強い男に惹かれ、天下人豊臣秀吉の側室になったが、死ぬまで正室にはなれず、北政所の下に置かれたことは彼女としては憤懣やるかたなかったのではないだろうか。一度は頂点に上った豊臣家が滅んで行く姿を目にするのも、やはり哀しかったことだろう。美しく生まれ、一時は栄華を誇ったけれど、哀れで不幸な人だと私は思う。


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