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【評論】なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆


はじめてこのタイトルを目にしたとき。
なぜ本が読めなくなるのかって、働いてるからって表題にアンサー出とるじゃん」と、脳内あたりすまえ体操が流れた。

本屋の一画を占領して、平積みの特設コーナーが設けられている。答えがタイトルで分かりきっているのに、何やら読むべし読むべしと高圧的なオーラ。
しかもそれを「本を売っている本屋」自体が放っていることに、なんだか釈然としない気分になった。


「なぜ読めなくなるのか」の理由を説いた本を推すとは、実質本屋の敗北宣言みたいなものじゃ…?
働いて時間がなくても、読みたくなる売り場づくりや働きかけが本屋の本領では??
ネット社会では難しいだろうけど、開き直るのはどうかしてるぜジュ〇ク堂。

ところがどっこい、このタイトルは意外にも何度も目にすることになる。
他の本屋やAmazonの新書ランキング、Twitterの読書垢のおすすめ欄。きまって多くの高評価コメントが添えられていた。

◆◇◆

その謎を解明するべく、我々はAmazonの奥地へ…とすぐ向かうのは尚早なので辞めて、
自分の肌に合うかあらかじめ同筆者のライトな文章テク本を読んでみてから、本書を図書館で予約した。
東海のはずれの片田舎の町の図書館でも二か月は待った。恐るべし。なぜそこまで人気なんだろう。

気になって、借りた当日に読み切ってしまった。
勿論、おもしろかった。
ジュンク堂は間違っていなかったんだ。


◆◇◆


個人的評価

★★★★★★★☆☆☆(7)

読書家には「読書史」で満たされる知的好奇心を。
読書家に非ずとも苦でない読みやすさで道は開かれ、
そしてとびきりの福音を、社畜へ。

まず上手いなと思ったのが、普段からどれだけ本を読んでるか、読み手の読書量に関係なく、恐らくどの層にも「ほう…」となるポイントがあるという点。
いろんな人から評価されている理由はコレでしょう。


自分は核心で刺さる立場でなかったので、評価MAXではなかったものの、この本を読んでほしいなと思う知人が何人か、頭に浮かびました。

そして自分がなぜ最近になって読書熱が再燃し、こうしてnoteまで始めるにあたったのか。
ひとつ理由に気が付いたりもして。

きっと人それぞれに、新たな発見があるはず。
労働に対する価値観とか、読書に対する姿勢、人生観によって感想に幅が出てくるんだろうね。
これはレビュー巡りが面白そう!わくわく!

硬派かと思えば親しみやすく、
かといって内容は薄くない本格派。
触感は多様性に富み、
ラストを締める言葉は優しくあまい。

…これは、コメダのジェリコ!
読むジェリコ!ジェリコ大好き!


◆◇◆

あらすじ

【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」
「仕事に追われて、趣味が楽しめない」
「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」
…そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。

「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。

そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

Amazonより

読書×労働の組み合わせで時代を考察

急に好きなコメダ珈琲スイーツ発表ドラゴンになってしまって、驚かせたらごめんなさい。
どこがジェリコ的なのか、私の拙筆技量で理解してもらえるかは不安なんですが、目を通していただけたら嬉しいです。

まず「なぜ働いてると本が読めないのか」の謎を解くひとつめの足掛かりとして、
そもそも日本人は昔っから長時間労働ぎみだったけど、本を読んでる人はいたよ
という前提から、話は進んでいきます。

【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章   労働と読書は両立しない?
第一章  労働を煽る自己啓発書の誕生――明治時代
第二章  「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級――大正時代
第三章  戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?――戦前・戦中
第四章  「ビジネスマン」に読まれたベストセラー――1950~60年代
第五章  司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン――1970年代
第六章  女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー――1980年代
第七章  行動と経済の時代への転換点――1990年代
第八章  仕事がアイデンティティになる社会――2000年代
第九章  読書は人生の「ノイズ」なのか?――2010年代
最終章  「全身全霊」をやめませんか

あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

こちらが本書の目次です。
時代ごとに、労働と読書の関係を考察していく構成。

戦後史って社会の授業だとおわりの方で、駆け足ぎみじゃなかったですか?
そんなぼんやりとした時代背景を、当時の働き方やベストセラーを交えつつ紐解いていきます。

戦後高度経済成長期のがむしゃらな労働に
追いつくために必須だった「教養」。
マイホームブームが魅せた、サラリーマンたちの
理想の書斎」に相応しかった本たち。
職業選択の自由がもたらした、「個人の能力」で
評価が決まる世界の拠り所、自己啓発本。

読書を通して、大衆が何を得ようとしていたのか。
歴史の変動が分かってくるのです。

薄ぼやけた時代感を、読書というレンズ越しに絞ってみると、ピントがあって身近に見えてくる不思議。
なんだか文学版のブラタモリを見ている気分。
これだけでもう、本を読む層は面白いと感じてしまうのではないですか?

◆◇◆

読書とはノイズである

ところで本書では、映画「花束みたいな恋をした」のサブカル好きが高じて付き合うようになった、菅田将暉と有村架純のカップルがよく引き合いに出されます。

ちなみにこの映画、今をときめく人気俳優を起用した切ないラブ♡ムービーみたいな顔をして、昔は同じ価値観だったけど片方の立場が変わって結局「私と仕事、どっちが大事なのよ!」となる、擦られまくった命題への超リアルアンサー作品なので、大抵の人はメンタルやられるよ。くすみカラー通り越して彩度ゼロになっちゃった邦画ラ・ラ・ランドだからもう。
「泣ける~」とか言えるのは、有村架純ちゃんポジの、過去に銀魂の新八並みに芋っぽい菅田将暉を振ったのを懐かしめる女子くらいじゃないかな。

ド偏見映画感想は置いといて。
この菅田将暉、帯の「疲れてスマホばかりみてしまうあなた」への具体例にぴったりな役どころなんです。

かつて小説や漫画や音楽といったカルチャーを愛していたのに、社会人になって余裕がなくなり、暇があればパズドラで時間をつぶし、本屋に行っても手に取るのは自己啓発本。

これは思い当たる方、多いはず。

社会人になって新しいコンテンツにハマる余裕がなくなること。
自分の対人スキルや話し方に不安があって、自己啓発本ばかり読んでいたこと。
休みの日の午前中、出かけたりすればいいのにTwitterとYouTubeで無意味な時間をすごしていたことも。

私は身に覚えがあります。
ありすぎます。
私は菅田将暉なのか。

きっと10人に1人くらいはそうだろうから、割合でいうと日本人のうち東京在住はみんな菅田将暉。

余裕や時間がない中でもスマホが触れるのは、
手軽で便利、検索すれば欲しい情報やエンタメが
受動的に手に入るから。

自己啓発を読むのは、足りてない能力を補う
ノウハウが欲しいから。
タイトル見れば「これ読めば このスキル得られる」くらいの分かりやすさで、ハズレを引く可能性は低い。

つまり、得られる情報に無駄がないということ。
欲しい「情報」をダイレクトに得られるから、タイパとコスパに優れてる。

対して作者は、読書をこのように語ります。

読書で得られる知識と、インターネットで得られる情報に、違いはあるのか?という問いについて考えてみると、どうだろう。


「情報」と「読書」の最も大きな差異は、知識のノイズ性である。
つまり読書して得る知識にはノイズー周然性が含まれる。

本文より

働くと本が読めなくなるのは何故か。
それは読書が与える情報には
ノイズが含まれている
から。

うわあ、なんて残酷だけどその通りなんだ。

例えば偉人の格言から自分を変えよう!と思っても、
その意味について理解を深め、さらに自らの立場に当てはめて具体的な行動へ落とし込んでいくのは、相当な労力がかかる。

そのノイズの予測不可能な部分こそが読書の醍醐味だと著者は述べているけど、
倍速視聴やファスト映画で、作品の結末だけを把握しちゃうような人もいるタイパ重視の現代において、そんなやり方が流行らないのもわかる。

本から知識を得るにあたっては予備知識や読解力が求められ、ひいては読む習慣の壁・お財布事情も絡んでくる。
そんなら一生懸命働いて、疲れてる時に本なんて読んでらんないよ!

そんな叫びへのアンサーが、『最終章「全身全霊」をやめませんか』で語られていきます。

◇◆◇

社畜に向けられる「無理しないで」

お金や時間に余裕がないと、役に立つかどうかわからない本を読む気になれないのは当然のこと。

仕事以外の本来ならフリーの時間にまで、有益か不利益かだなんて判断をさせてしまう、
そんな窮屈な働き方はおかしい!

自分の好きなことすら存分に打ち込めない、
「若者の○○離れ」ばっかりな社会がおかしい!


けれど社会の風潮を変えていくのは、個人がどうこうできる訳じゃない。

ならせめて、全力投球・全身全霊の働き方をやめて、「半身半霊」なスタンスでどう?と提案することで結論、本書は締めくくられます。

最終章になってから急に、論文からメンタルケアのメッセージへ変調してくるわけです。

例えれば、今まで冷静に歴史考察したり、読書はノイズだ!と正論ぶちかましてきたお堅いキャラが、
「じゃあどうすればいいんだよう」とオイオイ泣いている読者を、突然抱きしめてきたイメージ。

このツンデレならぬクール→デレの落差に、こころの急所に刺さった人多いんだろうなと思いました。

プライベート捨ててがむしゃらに仕事して、
空き時間も自己投資!
自分がんばってるよね!ねえ!!
(ほんとは休みたい…好きなこともしたい…)

きっとTwitterで流れてきた『スパ あんこうの胃袋』の導入パートに共感しまくっちゃうタイプの人。

(スパ部分は魅力的すぎて引き合いに出せないです)


そんな限界ぎりきりな人ほど、
「そんなに頑張らなくてもいいよ」の甘い言葉は、
どれほど心が欲した救いの福音ではなかろうか。

弱ったときの慰めの言葉は、求めていたほど嬉しく、
正論であればあるほど頼もしいもの。

本に寄せられた評価の高いコメントがどれも必死というか情熱的だったのは、
そのメッセージに心から救われた、感謝の意が込められているように思いました。

◆◇◆

そもそも過去の日本人がバリバリ働いていけたのは、男は仕事、女は家事育児、多世代同居が当たりまえだったから。
役割分担と担える人数が多かっただけで、今の核家族共働きの働き方とはそもそも次元が違うわけで。


疲れて寝たバスの先であんこうが口を開けている訳でもないし、
薄給で無茶な働き方をさせる現実が、急に変わることはない。


それでも「半身半霊で仕事しませんか」のメッセージに、肩に凝り固まった重荷に気づけて、降ろせる人も絶対いる。
仕事で思いつめた人にぜひ手に取ってもらいたいな。

でもそんな状態の人、
このタイトル絶対手に取らないと思う…!

う~ん、矛盾ッ!

◆◇◆

あと私はどちらかというと経営者側で働いているので、半身半霊の働き方はシンプルに合わないなと思いました。

そんなスタンスで働いてたら、会社が潰れてしまうよ。考え方が甘すぎるってね。


そう、それはまるで、
コメダの盛りすぎソフトクリームのように…。
(伏線回収失敗)

◆◇◆

おのれイーロン インスタの二番煎じは宇宙でやってろ

私は隙あらばTwitterを開いているような人間でした。

されどイーロンに買収されてから仕様が変わり、自分に興味があると判定されたトピックスが重点的に表示されるようになりました。

表示される情報はどれも似たり寄ったり。
タイムラインはいつか見たような内容ばかりで、いつものクルルルルーポッの更新音が、日を追うごとに虚しさを増してゆく。


たとえ便所の落書きのようなくだらない内容だって、新しい発見に出会える場所だったのに。
その確率はガクッと下がった。

こうか は ばつぐん だ !!

欲しい情報「しか」くれないTwitterに、
嫌気がさしたのです。



トドメを刺すように湧くインプレゾンビ。
掲載している漫画の次ページですら、アラビア語と絵文字に流されしまう。

今やほしい情報ですら、
満足に受け取れないではないか。
私がTwitterを眺める時間は次第に減っていきました。

本書の内容に基づいた見解ではないけれど、
ひとつ理解した事があります。
私はTwitterにノイズを求めていたんだ。
時に有益で、とびきり無駄でもある、
思いがけず出会える数多のつぶやきを。


だけど、Twitterは変わってしまった。
だから本の世界に飛び込んだ。

なんという、納得。

冒頭で『自分がなぜ、最近になって読書熱が再燃したのか理由が分かった』の経緯は以上です。
この本を読むことで、なんとも悲しい答え合わせが自分の中で成立してしまった。

そうか、私はいつのまにか、
大切なものを失っていたんだね。

ありがとうございます三宅さん。
貴女のおかげで、自分の傷心に気が付くことが出来ました…。

◆◇◆

ちなみに私は、いつまでもJRを国鉄と呼び続けるおばあちゃんみたいに、現XをTwitterと永遠に言いつづけます。イーロンの奴ぜったいに許せない。

こんな方にオススメ

・昔は結構本読んでたのに最近ご無沙汰な人
・帯通り「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」
・私生活に余裕がないことに嫌気がさしてる人
・真面目すぎる自覚がある人

あまり向かないかも…
・仕事に全力投球!が楽しい人(めっちゃいいことだと思う)
・自己啓発本ジャンキー

◆◇◆

今回はここまで。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。


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