ずっとあきらめてきた、28歳の自分へ
8月で、28歳になります。
28歳にもなると、自分との向き合い方もだいぶわかってくるわけで。
自分の「わからなさ」もわかってしまって、心底嫌になります。
27歳で天才は死ぬって、よく聞きます。
最近見ているドラマ「コントが始まる」でも神木隆之介くんが言ってたし、大好きなR-指定も「サントラ」でも歌ってました。
28歳は「人生のあきらめポイント」なんだろうか?
これまで本当にたくさんのことを諦めてきたけど、「根本的な何か」を諦めるトキが来たんだろうか。
最近、とても悩んでいて、向き合う意味も含めてnoteにしたためます。
(知人は、私のいないところで読んでほしい…)
「学習性無力感」という厄介もの
学習性無力感って言葉があって。
とってもカワイそうなことに、イヌを使った実験で実証されています。
片方のイヌには電気ショックを止めるスイッチを与えて、もう片方の犬には与えない。
与えられなかった方の犬は、止めるスイッチを与えても、そのスイッチを押さなかった、という実験結果です。
端的にいうと「失敗を繰り返すと、努力しても無駄だということを学習する」という、生き物の習性です。
これが、たかがこんなことが、これまでもこれからも自分の頭を悩ませている。
宿題が全然できない12歳
小学校高学年のころ、宿題が全くできない子どもになっていた。
思えば、低学年の頃は全然提出していたんだけど、高学年になるとゲームとか、当時やっていたバスケとか、他にやりたいことが多くて。
もちろん、死ぬほど怒られていたんだけど、どうしてもできなかった。
いつも通知表を隠す子どもだった。
このころから「あっ、これはできないことかも!」と思うスイッチが入ると、どうも頭が切り替わらず、逃げるように他のことに集中していた。
思えば、この時に無意識に感じていたのが「学習性無力感」だったのかもしれない。
なりたいものができた14歳
中学2年の頃に、人生を変える出会いが。
それがアニメや漫画。
特に、「京アニ作品」というか、「ハルヒ」「らきすた」だった。
学校を休んだ日に、たまたま見たそれが、人生で初めてできた「こういうものを作る人になりたい」と思ったものだった。
小学校のころから、落書きが大好きだった私は、漫画家を目指し始めた。
そのとき、同じ趣味の仲間ができて、特にラノベ作家を目指していたSくんとは、一緒にゲームを作るだの、片方原作でマンガを描くだの、たくさんの夢を描いた。
Sくん。一緒にコミケ出れなくて、ごめんね。
漫画家をあきらめた18歳
高校1、2年まで、なんとなーくお絵描きチャット(当時あった絵を描きながらチャットする文化)とか、たまーにpixiv(イラストサイト)に投稿する生活が続く。
そんな中、受験期を迎えた高校2年の終わりごろ。
母親に進路のことを聞かれ「漫画家になりたい」「京都精華大学のマンガ学部に行きたい」と言った。
今思うと学費もかかるしとんでもなく甘い考えである。
が、厳しくも優しい母親なので、条件付きで応援してくれた。
その条件というのが「高校卒業までになんでもいいから漫画の賞を取る」というものだった。
そこから、本当にあまり覚えていないのだけど、ちゃんと漫画を描いた。
(設定は覚えていて、学園能力バトルでテストの成績に応じて能力が強くなる、というものだった…今思うと「バカとテストと召喚獣」に影響されまくっている!)
2本だけだが、漫画の賞に投稿した。
当たり前のように落選し、近くの私立大学にギリギリ合格し通い始めた。
はじめて「夢をあきらめる」経験をした。
コピーライターになることをあきらめた20歳
漫画家という夢が破れた状態で大学生活をスタートしたのだけど、大学のゼミで「コピーライター」なる職業を知る。
「あ~糸井重里ね!MOTHERMOTHER」とはじめは思っていたのだが、授業が面白かったのもあり、働くならこんな仕事が素敵だな、と思い始める。
大学2年のころに宣伝会議の【コピーライター養成講座】に通い始めた。
ぜんぜん素敵じゃなかった(涙目
その講座では、毎回キャッチコピーを書く課題があるんだけど、周りの受講が当たり前のように毎回100本以上書いてくるのだ。
宿題が苦手な私には、無理だ!(と思った)
楽しくないわけではなかったんだけど、どんどん頑張れていない自分が恥ずかしくなって、次第に行かなくなっていった。
この時、思ってしまっていた。
「あんなに好きだった漫画がダメだったのに、漫画より好きじゃない『キャッチコピー』で頑張れるんだろうか?」と。
どうしようもなく、またあきらめてしまった。
その後、就活を支援してくれたゼミの教授 D先生のおかげで専攻していたマーケティング/データ分析という分野を武器にして、広告会社に入る。
(正直、なんとなく!!)
また、まだ、何かを目指している28歳
そして、広告会社で丸5年間働き、現在に至る。
仲のいい先輩、後輩のおかげで、仕事は本当に楽しいんだけど。
もう28歳か…。
”別の何か”を志すには、遅いんじゃないのか?と、思ってしまう年齢になってきた。
ただ、なんといえばいいのか分からないんですが…。
まだ、何者かになりたい気持ちが残ってる。
大物でも職業でもなくて、何者かになりたい気持ちが…。
つまり「自分じゃなくなりたい」という思いがある。
これまで色んなことをあきらめてきた自分じゃなくなることを、
恥ずかしくも、あきらめていないんだと思う。
「何者かになりたい」っていうのは、受け売りの表現で、最近読んだ本に株式会社GOの三浦崇宏さんの『「何者」かになりたい』という本を読んだからです。
(Amazonのリンクを貼ると、宣伝みたいになってしまいましたね)
革命的なクリエイター三浦さんが、9人の新時代で活躍している人と対談をしていく中で、今の時代の「何者かになりたい」気持ちって何だろう、というところを紐解いていく。という本。
正直、答えは見つからなかった(≒今の生活や気持ちが大きく変化しなかった
んだけど、ヒントを見つけることができたと感じています。
対策:誰かにゆだねること
著者が言っていた「何者かになりたい気持ち」への向き合い方は「目の前のこと、周りの人に一生懸命、丁寧に接すること」。
はじめは全く理解できなかったんですが…。
このnoteを書いている中で色んな周りの人のことを考えて、その人たちのおかげで気持ちに折り合いがつけられたんだな、と思いました。
自分では許せなかったあきらめも、誰かが許してくれたし、
まだ、俺をあきらめていない人がいるのだと。
ときには、プレッシャーになって、周りの人たちのせいでもっと自分を嫌いになるんだけど。
28歳で、振り返ってやっと、ありがたさに気づきました。
みなさんへ
一緒に漫画を描いてくれたSくん。
中学時代、一緒にイラスト描いてくれて、夢を見させてくれてありがとう。
そして、一緒にあきらめてくれてありがとう。
自分だけがあきらめていたら、もっと自分のことを嫌いになっていたかも。
お母さん。
ずっと迷惑かけてすみません。
今思うと、漫画家という選択肢は、たぶんいばらの道で。
漫画家の夢をあきらめたのも、お母さんのせいにした時もありました。
そう思うことで、楽でした。
P.S.母の日なにもプレゼントしてなくてごめん。
ゼミのD先生。
ありがとうございます、先生のおかげで何とか生きています。
ほめて伸ばすタイプの先生が、コピーライター養成講座を途中で離脱したときに「もったいないけど、しょうがないや」と言ってくれたこと、今でも覚えています。
そして別の武器を教えてくれたこと、感謝してもしきれません。
会社の先輩Yさん。
しょうもない私といっしょに仕事してくれてありがとうございます。
何度、裏切ったことか。(最近もありましたね…)
たまに、なんで一緒にいてくれるのか分からない、不安なときがあります。
そのくらい尊敬していて、大好きです。
これからも、私をあきらめないでいてくれると、本当に助かります。
あなたがいるから頑張れます。
……。
誰が読んでいるかもわからないnoteに、手紙を書いてしまうの、恥ずかしい…。
とにかく、28歳になりかけの今思ったことは、
誰かと一緒にいることで出来ていく自分を楽しむために、
自分で自分を評価することをあきらめよう、と。
そんなポジティブなあきらめがあってもいいんじゃないかと。
そう思った次第でございます!
それにしても誕生日、来ないで!!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?