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【創作】子猫

コハルちゃん

初めて会ったどしゃ降りの日、あなたは私をこう呼んだ。そして、小さかった私を拾い上げ、部屋に招き入れてくれた。濡れた身体を丁寧に丁寧に拭いてくれた、優しいあなた。もしも私が子猫じゃなくて、あなたと同じ姿だったら迷わずハグしていたと思う。

コハルちゃん

日を追うごとに、あなた以外の人から呼ばれることが増えた。あなたの友達、お仕事の仲間、離れて暮らすご家族や親しくしてくれるお隣さん…みんなあなたのことが大好きだった。だから、私にもすごくすごく優しい人たちばかりだった。

コハルちゃん

そう呼んでくれる人が1番多く集まったのは、あなたのバースデーパーティー。部屋には大勢の人達が入れ替わり立ち替わりに訪れた。私も名前を呼ばれ、時には抱き上げられ、頭を撫でられた。そして「彼女のこと、これからもよろしくね」と耳元で囁く人もいた。

この日、パーティーを主催してくれたのはあなたの大親友のカコちゃん。部屋にお泊まりした彼女とあなたが楽しそうにおしゃべりしている。そして、初めて知った。

私と会ったあのどしゃ降りの日、あなたは病院でお医者さんからあまりにも短すぎる自分の余命を告げられた。その帰り道、雨に濡れてブルブル震えていた私を抱き上げ、こんな状況で生き物を飼うのは無責任だと思った。でもこの子猫がいてくれたら明日も頑張って生きられる。そう思ったから、部屋に連れ帰ったのだと。

「じゃあ、また明日。おやすみコハルちゃん」

あなたが私の名前を呼んでくれたのは、これが最後だった。翌日、なかなか起きないあなたの身体をカコちゃんが大きく揺らしている。少し微笑んだような表情を浮かべたあなたは、2度と目を覚ますことはなかった。カコちゃんは、長い間声を上げて泣いていた。そして、少し落ち着くとあなたの頭を撫でながら「おつかれさま、小春ちゃん」と言った。

…コハルちゃん、コハルちゃん

そう呼ばれて、私は顔を上げた。どうやらうとうとして、ずいぶん昔のことを思い出していたらしい。

今の私は、人間でいえば80〜90代のおばあちゃん。あなたが亡くなった後、私はあなたのお父さんお母さんの家に引き取られた。さっき、私を呼んだのはあなたのお母さん。娘と同じ名前がついた私のことを、いつも愛おしそうに呼んでいる。

私の日々の暮らしは、あなたの部屋にいたころと何も変わらない。美味しいエサをもらって、時々遊んでもらって、眠りについて…もうあなたには会えないけれど、あなたを知る人たちが今でもこの家を訪れて私の名前を呼んでくれる。

あなたの家族にしてくれて、ありがとう。
あの日からずっと、私を幸せにしてくれて
ありがとう、小春さん

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