ハラ と キモ
精神性の強さの表現として、「腹が据わる」だとか、「肝が据わる」という言葉がある。
辞書によると、この2つには違いがあるらしい。
曰く、「腹が据わる」のは意思決定について決断をした状態を指すとのことで、前景には迷っていた時期があったことを想起させる。一方の「肝が据わる」のはワンショットの状態ではなく、人間性そのものを指す表現という。
「肝が据わった」生き物になれば、一回一回「腹を据える」必要がなくなる。なるほど。エコだ。つまり、据えるべきは肝。
じゃあ、腹と肝って、どこ?
生き物は、腹の中に肝がある。少なくとも、これまで私が捌いたり、食べたことのある哺乳類や魚類、両生類は、物理的に腹の中に肝が存在していた。
では、「肝」はどこだろう?文字通りには肝臓であろうし、実際にそのエリアがぴしっとした人間や生き物を、わたしは強健だと感じる。だけど、私自身が精神が動じない時に据わる場所として捉えている身体の部分は、もっと下、小腸のあたりの感覚がある。いわゆる丹田と呼ばれている場所。
そして、肝を据えることを目指すとしたら、同時に、肝が浮いていることに気づくことも大事だと感じる。気づくためには、まずは自分の身体の中にある「肝」の場所を特定すること。
いま、あらためて、わたしの身体の中の感覚を感じてみた。
「腹」は個別の臓器ではなく、スペース、空間だと感じる。
「肝」は存在するもの。下っ腹にあり、そう大きくない。
肝臓のあたりの感覚も感じてみる・・・
んー、ここはどっちかというと「腑に落ちる」の「腑」だなあ。
同時に、最近、あらためて五臓六腑にアクセスして、自分の臓器にあいさつをする機会がなかったことに気づく。
おおきく呼吸をして、腹のスペースを空け、今日のわたしの肝はどこでどうあるかを感じる。
カパラバディという強く短い呼吸を繰り返して、お腹の空気を頭に通す。
おお、意図を持って呼吸ができる豊かさよ。
今日もわたしは人間で、しかも、生きている!
あなたに、かならず、いいことがあるよ