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ダメなりに/書く習慣1ヶ月チャレンジ11日目

さて、前回の記事では好きなところと来て、今回は反対に嫌いなところである。
とはいえ、前回の記事を読んでもらった人はわかると思うのだが、好きなところを「割と全部」と答える私には当然、パッと思いつく自分の嫌いなところがない。

嫌いというか、アホやなと思うところは多々あるんだけど、それを全て「ま、いっか」で許容し「寧ろそこがチャーミングなのでは??」と言い出すお気楽さである。

昔は嫌いなところだらけだった

けれど、昔からこんなに能天気だったわけじゃない。
寧ろ、昔は嫌いな事だらけだったし、言ってしまうのなら死にたかった。
死にたいと思う自分が何よりクズだと思っていた。うちの姉は持病持ちで、医学の進歩で今まで生きてるとは言え、1度は心肺停止までいきかけた事もある。
そんな本当に死ぬかもしれない姉が産まれた時からそばにいると言うのに。
姉の入院先でいつ死ぬかも分からない子を何人も見てきたのに。
死にたくない人の日々を見てきたのに、それでも死にたいと思う自分が最低の屑野郎にしか思えなくて、流石に口に出したことは無い。
でも、兎に角死にたかった。

学校というシステムも、場所も、自分には心底相性が悪く、ただただ疲弊していくばかりの日々。
母はどんな理由で何を言われても、暴力を受けても「お前が悪いから我慢しろ」という教育方針だったので、正直小学校1年生の最初の体育の授業の日以降は何をされても家族に言うことはやめた。
足が遅いのは、確かに自分のせいと言えばそうなんだろうし、受けた暴言や暴力を母に訴えて二重に疲弊するなら、言わないまま我慢を続ける方がマシだと思ったのだ。
めんどくさい事は避けたい合理主義者がゆんである。

小さい時からそんなにめんどくさがりなおかげで、その後まさか中学になっていじめを知った父が「そんな相手は殴れ」ととても直情的な意見を述べて、母の教育方針を守っていたゆんにはそれが実行できず、カッとなった父に「産まれてきたのが間違いだ」とまで言われてしまうのだけれど。

ちなみに、これを聞いて当時私より大泣きした母はそんな事があったこと自体をケロリと忘れていた。

受けた本人以外はそんなもんだよな。
いや、母のは本人の性格的な問題も大きいのだろうけど。

ひねくれたガキだったよなと思う。
よくそれ以上ひねくれなかったな、とも思う。

よく、家族を捨てたくならなかったなとも思う。

精一杯頑張ってきた今だからそんなお前も可愛いし大好きだよって言える、心底ボロボロの、未だに偶に報われ無さに泣きたくなる過去のゆんだ。

大嫌いだったからこそ

昔のゆんがゆんを大嫌いだったのは、きっといい子を諦めきれなかったからなのだろう。
父の要求に答えきれない。
母の要求にも答えきれない。

ゆんは、偶に本当になんでこんなにって思うほど両親とは価値観が違う。

答えたかったのだ。
ゆんだって、答えたかった。
未だに答えてあげられるのなら答えてあげたいと思う。
でも、結局無理なのだ。
ゆんはそこまで自分の嫌いな事を頑張れない。
ゆんは、そこまで何もかも許せる優しさは持ちたくない。
ゆんは、その仕事に一切の興味を持てない。

頑張って、頑張って、実家の跡継ぎすら無理ですと告げて父に絶縁されかけて(そもそも代々してる稼業ですらないのに急に跡継ぎって言われると思わんしと言いたくもある)。
そこで、ようやくゆんは、もう頑張らなくていいと思えた。
この人たちと私は、一番近しいし、血が繋がっているけれど、それでもどうしようもなく別人なのだから。

昔、ゆんが大嫌いだったゆんは。
ゆんがダメなりに一生懸命頑張ったゆんだ。

だから、あの日のゆんの大嫌いと言う口を塞いで、大好きだとハグしてあげよう。

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