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研修の入り方について指摘されたこと

前回は、教育や研修に関わる者として注意したい落とし穴について検討しました。
それにしても思い入れというのは人に言われないと気づかないもので、私は過去に研修の進め方を指摘されたことがあります。

研修の入り方

私が指摘を受けたのは、これから学習する内容を紹介するときの入り方。
これまでの入り方として、多くの場合に
・今これを身につけておかないと将来◯◯の場面で困る
・知っておかないと◯◯に対応できない
など、「学ばなかったらどんな大変な未来が待っているか」を伝えていました。
「前向きな要素もほしい」と言われるまで、自分の方法に偏りがあるのだとは思いもしませんでしたし、それも一度の指摘ではなく何度か頂いて初めてようやくハッとしたのだから、無意識のレベルで染み付いたものだったのでしょう。
指摘されなければ今でも気づかなかったでしょうから、癖というのは難しいものです。

危機感への期待とズレ

思い返してみると、私がこんな伝え方をしていたのは、学び手に危機感を抱いてもらうためというのが大きかったです。相手を怖がらせるつもりはありませんでした。
ただ、危機感が果たす役割について、認識のズレというか、偏った思い込みがあったはずです。
それは、
・こういう未来を避けよう
・こんな未来にはなりたくない
という気持ちが、理想へ向かうエネルギーになるはずだという思い込み。
それによって説得力が増すことがあったかもしれませんが、学び手によっては違和感を抱くこともあったのでしょう。
理想があったとしても、危機感にがんじがらめになっては身動きがとれませんし、そもそもこれから理想を明確にしようという段階で危機感だけ与えていては未来を描くこともできないはずです。

自分の人生を支えていた危機感

今でこそ多少冷静に振り返っていますが、指摘を頂いたばかりの頃は素直に受け取ることができませんでした。
その指摘に何か意味があるとすら感じていなかったというのが実情です。
危機感以外に何を伝えたらいいのか思いつかなかったし、前向きな事例が原動力になるということがピンと来ませんでした。
・~~をやってはいけない
・~~するとこんな損をする
振り返ってみると、過去の自分自身が危機感を原動力に動いていたと思います。

意識はすれど道は遠し

そんな自分の傾向を認識してからというもの、研修設計をする際には
・これを学ぶとこんな前向きな未来が待っているという期待
・これを学ばないとこんなマズイことがあるかもしれないという危機感
両方を準備するようにはしています。
ただ、予想外の展開で事前の想像とは違うことを伝えようとしたとき、あるいは補足情報を伝えようとしたとき。つい口をついて出てしまうのは危機感だったりします。
捉え方は人それぞれだからこそ、相手によってどちらも出していける自分でありたい。
けれどもなかなか道は遠し。
フィードバックを真摯に受け止めながらやっていく必要がありそうです。

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