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その「大したことない言動」が、誰かを傷つけも勇気づけもする

先日、僕は相当落ち込みました。心がポッキリと折れた感じがしました。

それは、皮膚科での出来事でした。

次男がアトピーで、かき壊してしまう


僕がなぜ1歳半の次男を連れて皮膚科を受診したかというと、彼のアトピーがひどいからでした。次男は夜間でも痒がって何回も起きます。夜だからこそ痒がります。お昼寝時も痒がります。

次男はだいたい、深夜0時半〜3時の間に眠りが浅くなり、痒がって布団の上をゴロゴロと転がることが多いです。僕はその度に病院でもらった薬を彼の肌に塗って落ち着かせ、寝かしつけるというプロセスを踏むわけですが、すんなり寝ないこともしばしばです。

特に手の甲、手首、そしてあごの赤みと痒みが強いのですが、ひどいときには寝ながらかき壊してしまい、血がたくさん出る事態に発展します…。あごから出血するとパジャマの上の胸元に血液がたくさんついて、その様子が痛々しい。血が出るときは痛いからか次男は泣いてしまいます。僕は患部の血液を拭い、頭を撫でて「大丈夫だよ」と伝えながら絆創膏を貼って傷を守ろうとするものの、部位が部位だけに次男は嫌がってすぐに剥がしてしまう。せっかく貼ったのに、すぐにバリ。絆創膏が次男のあごに付着している時間、2秒。

先生のちょっとした一言が心にグサリと刺さる


そんな状況ですから、ある日、少し早めに保育園へお迎えに行き、とある皮膚科に行きました。だいたい皮膚科は混んでいるので、「外に行きたい!」「待っているのに飽きたー!」とじっとしていられない次男をなだめるのは大変なので、空いていそうな病院を選びました。

診察室に入り、僕は先生に症状の説明をしようとしたのですが、先生は次男の顔を見るなり「これはひどいアトピーね」と冷たく言い放ちました。

先生は表情ひとつ変えず、まるで「先生」と書かれたロボットが発言したかのような、文字通り機械的な対応でした。先生は1日にたくさんの患者さんと話しますからね、あまり感情を込めて接すると疲れてしまう。だから仕方がないと思います。

その後先生からは医学的なコメントをいくつもいただきました。発言を要約すると、

お父さんね、息子さんへの保湿がなっていないんですよ。かわいそうです。しっかりとやってください!!

皮膚科の先生の発言

でした。

先生がおっしゃることはもっともだし、理にかなっています。保湿、スキンケアは大事です。言われてみれば僕は忙しさにかまけて、お風呂上がりや寝る前の保湿を怠ったこともありました。それは僕の間違いで、次男にはかわいそうなことをしました。

でも僕は、先生のその発言を聞いたとき、強烈なショックを受けて「あ、はい…」と返すのが精一杯。受診まで、ずっとずっと抑えてきた何かがブチ切れたというか、あまりの悲しさに診察と処置の途中にもかかわらず、すぐにでもその場を立ち去りたい気持ちでした。

頭が締め付けられて、自分がちっぽけで価値のない人間に思えました。何もかも捨て去ってしまいたいような感情を必死に抑えて平静を保ち、病院と薬局での薬受け取りを終えてベビーカーを押し始めたのだけど、つらかった。

大げさに聞こえるかもしれませんが、なんだか自分のやっていることが無意味で馬鹿らしいと感じてしまったんです。

頑張って、頑張って、心が折れてしまう


たしかに僕の次男に対するスキンケアはまずかったかもしれない。彼の肌の調子に意識をもっと向けるべきだったかもしれない。しかし、しかし、僕は僕なりに夜中に何度も起きて次男に薬を塗り、天気予報で翌日の気温をチェックして着るものや室温に注意し、しっかりと食事を与え、一緒に遊び、体調を崩したときには仕事を調整して看病もした。いや、親として当然か。それでも、そうであっても精いっぱいしてきたつもりでした。

初めて知ったのですが、アトピーで出血し、患部を覆えない場合は保育園で預かってもらえないのですね…。朝は元気いっぱいで登園した次男なのに、11時半くらいに園からお迎えコールが入ったんです。「こんなに急に発熱するなんて、やばいんじゃ…」と感染症を警戒しながら電話に出ると、「次男くんが食事中にあごをかき壊してたくさん血が出てしまいました。絆創膏も貼れないのでお迎えに来てください」とのこと。アトピーのかき壊し出血でのお迎えコールは盲点でした。

保育園からは「あごには絆創膏を貼っても、すぐにはがしてしまいます。自宅でのケアをお願いします」と言われ、皮膚科からは「保湿がなってない」と言われ、小児科へ予防接種を受けに行けば「もっとテンポよく打ちに来て欲しい」と言われる。育児以外には家計を担う重大な役割もあります。

率直に言えば、あらゆることに一生懸命。頑張って、頑張って、頑張ってきて、うまくいかなくてもなんとか冷静さをキープしてきましたでも、意識はせずともストレスは溜まっていたんですね。皮膚科の先生の「保湿ができていない。次男くんがかわいそう」の一言が、ギリギリのところで抑えてきた感情のフタを決壊する一撃となってしまいました。

金属疲労ってあるじゃない?金属に長い時間、繰り返し負荷がかかると、ちょっとずつ金属が傷んできて、あるときわずかな刺激で壊れてしまう現象のことを言います。これは人にも当てはまって、感情疲労っていうべきなのかな、我慢の限界があると思います。ぱっと見は大したことがないことでも、その大したことない言動が誰かの心をポッキリと折るきっかけとなる。

ここで主張したいのですが、僕は皮膚科の先生を責めているわけではありません。実際、処方されたお薬のおかげで次男の肌の具合はかなりよくなりました。先生の言動がたまたま僕の心を折るダメ押しの一発になってしまっただけなんです。

どしゃ降りの雨。エレベーターの扉を押さえてくれたおじいさん


話は変わって、別の日。

ちょっと前に書いた、あごのかき壊しによる出血で次男が通う保育園からお迎えコールが入った日のことでした。実はこの日は朝からどしゃ降りで、子どもたちの登園に1時間くらいかかりました。我が家は兄弟別園なので、大雨の中2カ所行かなければならず移動に手間取ったからです。登園をすませて自宅に戻り、ようやく仕事ができたのにお昼前にお迎え要請ですよ。

急いで保育園に向かうと、出血に驚いたのか次男は大泣きしていて、僕は彼を抱っこして励ましながらベビーカーへと乗せて自宅へと歩き始めました。

とにかく雨は強いし、次男は不機嫌だしどんよりとした気分で駅のエレベータに乗ろうと待っていました。降りるお客さんがいなくなり、いざ乗り込もうとしたら、先に降りたおじいさんが扉を抑えてにっこりとほほ笑みながら「どうぞ」と言ってくれたのです。

その姿を見た瞬間、僕はすごくしあわせな気持ちになりました。「なんて優しいんだろう!!」見ず知らずの親子連れのために、わざわざエレベーターの扉を手で押さえてくれるなんて。エレベーターの開くボタンを押しておけば、よほどぐずぐずしない限り扉は閉まりません。なのに、わざわざ扉を持って僕と次男がエレベーターに乗れるようにしてくれたのね。僕は「ありがとうございます!」と感謝を伝えた後も心の中で「ありがとう」「ありがとう」を何度も繰り返しました。

月曜日の昼からのお迎えコール。これから一週間の予定はどうしよう。そんな焦りは、おじいさんの優しさに触れて和らいでいきました。雨は強かったけど、自分の気持ちは晴れやかで、「なんとかなる」って思えたよ。

できるだけ丁寧な対応を心がける


片方は心を折る出来事、もう片方は心が軽くなった出来事。相反するふたつの出来事を経験して、僕はあることを意識せずにはいられませんでした。

僕にとって大したことがない、ちょっとした発言や行動が、誰かの心を折るきっかけになったり、反対に誰かを勇気づけるかもしれない。

たとえば、忙しさのあまり、周りにぞんざいな対応をしたとします。ぱっと見は大したことはなくても、もしかしたら相手は朝から嫌なことだらけで落ち込んでいて、もう限界と感じているかもしれません。そんな人にとって、僕のちょっとした感じの悪い言動が、その人が抑えてきた何かを破壊する駄目押しの一撃になってしまうかもしれない。

反対に、なんてことのない笑顔や「ありがとう」の言葉、丁寧な対応が相手の気持ちを軽くすることもある。そう言えば学生時代の同級生と20代半ばのときにバッタリと会った際、「あのときのそのべくんの言葉に救われた」と感謝をされたことがあります。その友人は学校を休みがちだったのだけど、どうやら何かの病気で治療が必要だったのね。しかし、僕はどんな言葉をかけたのか覚えていなんです。

お釈迦さまは「無財の七施」の教えの中で、「優しい眼差しで人を見つめましょう」「優しい言葉をかけましょう」と説いています。たしかに誰かに対して穏やかに接すると、自分も不思議と穏やかな気持ちになります。

僕の感情は一定じゃないし、気分や天気、仕事の進み具合などによって上下します。それに、僕は完璧な人間ではありません。いつもニコニコは無理だけど、誰かと接する時はできる限り対応に気を付けようと思った次第です。

お読みくださり、ありがとうございました。

そのべゆういち 
charoma0701@gmail.com


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