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ライター歴10年なのに、書くのは未だに怖いです。

会社員時代を含めれば約10年にわたって、文章を書く仕事をしています。これまでどれくらいの文章を書いてきたでしょうか。原稿用紙で換算したら何百枚に及んでいるのかな、考えたことはないのだけど^^; また、たくさんの人にインタビューをする経験もしました。

会社員時代には、大手新聞社さんが記事を書く際の資料となる文章を書いていましたし、紙の販促物制作にも携わりました。当時は働き方改革なんて言葉すらなかったので副業が公に認められていなかったのでグレーかもですが、会社以外の活動として、ぐるなびさんのオウンドメディア「ぐるなびみんなのごはん 」で執筆もしました(時効だよね、もう)

それほどまでに僕は文章を書くのが好きだったんですね!

その後31歳のとき、病気退職中にできる仕事としてライティングをしたことがきっかけでフリーのライターに転身。最初は稼げなくて600円のラーメン一杯を食べられらない時期があったし(しかも新婚で!)、納品したらダメ出しやり直しの連続で凹んだこともありましたが、その後は徐々にお仕事の依頼をいただけるようになり、書籍協力の仕事をすることもできました。周りに恵まれているなぁ。感謝しかありません!

そんな感じで10年も文章を書く仕事をしているのですが、僕は未だに書くのが怖いです。

「10年も書く仕事をしていて、未だに怖いの?」と不思議に感じる方がいるかもしれませんよね。「文章を書くのが好きだからライターをしているんでしょ?」って。僕もそう感じます。でもこれだけは言わせてください。「文章を書くのが怖い=文章を書くのが楽しくない」ではないのです。楽しいよ。でも怖い。

僕が書くのが怖いと感じるのは、大きく分けて2つです。

梅雨と聞いてどんなイメージを持ちますか?


ひとつめは、物事にはいろんな見方があるのに、言い切ってしまうことが怖いこと。

たとえにするには何がいいかな。そうだ、梅雨にしよう。まもなく梅雨入りですからね。

梅雨と言えば雨が多い時期なわけですが、「雨ばかりで嫌だな」と感じる人もいれば、「お気に入りの傘を差して歩ける!」と思ってワクワクする人もいるでしょう。スキンケアに余念がない方なら、「紫外線量が減って嬉しい」と感じるかもしれませんね。気象に関心がある人なら、「梅雨があるから水不足が防げる」という見方をするのかなぁ。ちなみに僕が梅雨から連想するのは、「雨の中保育園に子どもたちを送るのは大変だな」です。びしょ濡れになるし、レインコートは暑いし、最悪!

どうでしょう。「梅雨」の2文字を語るだけで、これだけたくさんの見方が考えられる。もし原稿を書く場合、これらの見方の中から「これだ!」と言い切らないといけません。仕事で上司から、「この結果になった理由を報告して」と言われたら、どんな気持ちになるでしょうか。

「大前提としてAがありましてですね、そこでBという出来事が起こりまして、いやでもCもありまして」

そんな風に語り出したら、上司から「何が言いたいんだ!?」と怒られます、きっと。僕がライティングを怖いと感じるのは、例に出した上司への報告に似ています。

僕は間違っているのではないか?


これまでライティングをしてきた中で感じているのは、多くの解釈がある中で言い切るのは勇気が必要ということです。本当にそうか、なぜそう思うのか。それが言えないと文章は書けません。

もしかしたら、自分の見方が間違っているのかもしれない。いつもこの考えが頭にあります。

梅雨を嫌だと思う人がいる一方で「好き」だと感じる人がいるように、自分とは正反対の解釈をする人が必ずいます。その人たちが読んでも不快にならないか(どんな感情を抱くかは彼らの自由ですが、あえて煽る必要はない)まで考えるとなると、文章を書くために相当気を使うんです。言い切った考え方が理にかなっているのか確信を得るため、ネット、雑誌、書籍、時に人に聞くなどして調べるわけです。

仮説を立てたら、それについて調べて自分として納得できたら書いていく。ひとまず書き終えても読み直し、「本当にこの内容で良いか」と自分に質問する。ちょっと性格の悪い人になりきって、「君はこう主張するが、このような考え方もあるんじゃないのか?」「この部分は因果関係にしていいのか?本当に?」みたいに突っ込んでいく。気が滅入ります。はい。

書くとは、イメージに言葉のラベルを貼る作業


もうひとつは、必ず言語化しなければならないプレッシャーです。

書くことをざっくりと言うと、思考、考え、感情といった形のないものを、形のある文字にすることだと僕は思っています。

この写真を見てください。

妻手作りのスコーンをたくさんのジャムを添えていただいたときの写真です。余談ですが、ジャムはすべて30%オフとお得に購入しました。夫婦ともにスーパーのチラシをチェックするのが好きです。

スコーンの写真を見て、おそらく「美味しそう」「ジャムがたくさんある」「器の絵柄が花だな」「香ばしそう」「ホイップクリームを取るスプーンが小さじかよ」など、さまざまなことを思ったのではないでしょうか。

しかし「思った」だけでは、人にそのことが伝わりづらい。目の前にいる人になら、スコーンを凝視したり、舌をペロリと出せば「食べたい!」との気持ちを理解してもらえるでしょう。でもスマホやパソコンの画面越しの人に対してとなると、それでは無理です。写真を見て感じたこと、思ったことに何かしらの言葉のラベルを貼らないといけません。ここで、目に見えないものを文字という目に見えるものに変換する作業が発生するのです。

中にはそのラベル貼り、つまり言語化が天才的に上手な人もいるでしょうが、たいていの人は「本当にこの言葉でいいのか?」と悩むはず。

スコーンについて思ったことに言葉を当てるとしましょう。「美味しそう」でもいいのですが、あまりにも漠然としています。なぜ「美味しそう」と感じるかは人によって違うからです。

ではこうしたらどうでしょうか。「ほんのりとついた焦げ目が食欲をそそります」。この表現なら焦げ目が美味しさを感じさせるポイントであることが伝わりますね。

同様に、「スコーンパーティーは楽しそう」よりも、「何種類ものジャムのほか、ホイップクリームもあるのでいろんな味をつけてスコーンを味わえそう」とすると、より伝わります。

こんな感じで、誰かに何かを伝えるには言葉選びが重要で、これが悩むのです。

その一言が、誰かを傷つけるかもしれないから


スコーンパーティーなら和やかムードで気楽ですが、もし言語化するテーマがジェンダーだったら、子育てだったら、政治のことだったらどうでしょうか。ほんの少しでも言葉選びを誤ると読んだ人に不快感を与える原因となり、記事の批判につながります。たった一言を表すのにかなりの時間を費やすこともあります。読み手への配慮が必要だからです。

「男らしさ」や「女らしさ」には注意しています。なぜなら、何をもって男らしい、女らしいと思うかの解釈は人によって大きくな違いがあるからです。たくさんのお金を稼ぐのが男らしいと思っている人がいる一方で、自分の非を素直に認められる姿勢を持つ人を男らしいと感じる人もいるでしょう。

もしどうしても男性や女性といった性によることに触れる必要がある場合には、「一般的には男性が担うとされることが多い」のように書き、表現をマイルドにすることを僕は選びます。家事育児に費やす時間、労働時間といったデータを交えながら書くこともあります。日常会話では何の気を使うこともなく言えることでも、不特定多数が読む記事に書くとなると言葉選びには慎重になります。

以上が、ライター歴10年なのに文章を書くのが未だに怖い理由です。

25歳のとき、僕にライティングを教えてくれた師匠のような方が「書くのに怖さを感じない人に仕事を任せられない」と言っていましたが、当時は彼の気持ちが理解できませんでした。でもいまなら彼が言わんとしたことがわかります。

自分の日記に書くなら何でも好きなように書けばいい。でも記事として、自分の名前で世の中に発信するのであれば、書き手としての重みを感じる必要はある。僕はそう思います。

そんな重みを感じつつ、今日も僕はライティングを楽しんでいこう。

お読みくださり、ありがとうございました。

そのべゆういち

charoma0701@gmail.com


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