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ライター歴約10年でも、書くことが怖いと感じる理由

初回公開日:2022年5月29日 08:56
加筆後公開日:2024年8月18日

会社員時代を含めれば約10年にわたって、文章を書く仕事をしています。これまでどれくらいの文章を書いてきたでしょうか。原稿用紙換算で、何百枚に及んでいるのかな。考えたことはないのだけど^^; 
たくさんの人にインタビューをする経験もしました。

会社員時代には、日経や朝日といった大手新聞社が記事を書く際の資料となる文章を書いていましたし、自社の営業活動で使う販促物制作にも携わりました。

当時は「働き方改革」なんて言葉すらなかったですし、副業が公に認められていなかったので僕の活動はグレーかもですが、会社以外の活動として、ぐるなびさんのオウンドメディア「ぐるなびみんなのごはん 」で執筆もしました(時効だよね、もう)

それほどまでに僕は文章を書くのが好きだったんですね!

その後31歳のとき、病気退職中にできる仕事としてライティングをしたことがきっかけでフリーのライターに転身。

最初は稼げなくて600円のラーメン一杯を食べられらない時期があったし(しかも新婚で!)、納品したらダメ出しやり直しの連続で凹んだこともありました。

その後は徐々にお仕事の依頼をいただけるようになり、書籍協力の仕事をすることもできました。周りに恵まれているなぁ。感謝しかありません!

そんな感じで10年も文章を書く仕事をしているのですが、僕は未だに書くのが怖いです。

「10年も書く仕事をしていて、未だに怖いの?」と不思議に感じる方がいるかもしれませんよね。「文章を書くのが好きだからライターをしているんでしょ?」って。僕もそう感じます。でもこれだけは言わせてください。「文章を書くのが怖い=文章を書くのが楽しくない」ではないのです。楽しいよ。でも怖い。

僕が書くのを怖いと感じる理由は、主に2つあります。


梅雨と聞いてどんなイメージを持ちますか?


ひとつめは、物事にはいろんな見方があるのに、言い切ってしまうことが怖いこと。

たとえにするには何がいいかな。そうだ、梅雨にしよう。まもなく梅雨入りですからね。(この部分は初回公開時のママとしています)

梅雨と言えば雨が多い時期なわけですが、「雨ばかりで嫌だな」と感じる人もいれば、「お気に入りの傘を差して歩ける!」と思ってワクワクする人もいるでしょう。スキンケアに余念がない方なら、「紫外線量が減って嬉しい」と感じるかもしれませんね。

気象に関心がある人なら、「梅雨があるから水不足が防げる」という見方をするのかなぁ。ちなみに僕が梅雨から連想するのは、「雨の中保育園に子どもたちを送るのは大変だな」です。びしょ濡れになるし、レインコートは暑いし、最悪!

どうでしょう。「梅雨」の2文字を語るだけで、これだけたくさんの見方が考えられる。もし原稿を書く場合、これらの見方の中から「これだ!」と言い切らないといけません。仕事で上司から、「この結果になった理由を報告して」と言われたら、どんな気持ちになるでしょうか。

「大前提としてAがありましてですね、そこでBという出来事が起こりまして、いやでもCもありまして」

そんな風に語り出したら、上司から「何が言いたいんだ!?」と怒られます、きっと。僕がライティングを怖いと感じるのは、例に出した上司への報告に似ています

僕は間違っているのではないか?


ライティングを通じて感じているのは、多くの解釈がある中で特定の言葉で言い切るのは勇気が必要ということです。本当にそうか、なぜそう思うのか。それが言えないと文章は書けません。

もしかしたら、自分の見方が間違っているのかもしれない。僕の頭の中にはいつも、この考えが浮かんでいまs。

梅雨を嫌だと思う人がいる一方で「好き」だと感じる人がいるように、自分とは正反対の解釈をする人が必ずいます。

その人たちが読んでも不快にならないか(どんな感情を抱くかは彼らの自由ですが、あえて煽る必要はない)まで考えるとなると、文章を書くために相当気を使うんです。言い切った考え方が理にかなっているのか確信を得るため、ネット、雑誌、書籍、時に人に聞くなどして調べるわけです。

仮説を立てたら、それについて調べて自分として納得できたら書いていく。ひとまず書き終えても読み直し、「本当にこの内容で良いか」と自分に質問する。ちょっと性格の悪い人になりきって、「君はこう主張するが、このような考え方もあるんじゃないのか?」「この部分は因果関係にしていいのか?本当に?」みたいに突っ込んでいく。気が滅入ります。はい。

書くとは、イメージに言葉のラベルを貼る作業


もうひとつは、必ず言語化しなければならないプレッシャーです。

書くことをざっくりと言うと、思考、考え、感情といった形のないものを、形のある文字にすることだと僕は思っています。

この写真を見てください。

自宅で妻が焼いたスコーンを食べました

これは、妻が手作りしたスコーンにたくさんのジャムを添えていただいたときの写真です。ちなみに、そのジャムはすべて近所のスーパーで30%オフでお得に購入しました。私たち夫婦は、スーパーのチラシをチェックするのが好きなんです。

スコーンの写真を見て、「美味しそう」「ジャムがたくさんある」「器の絵柄が花だな」「香ばしそう」「ホイップクリームを取るスプーンが小さじなんだ」など、いろいろなことを思ったかもしれません。

でも「思った」だけでは、それが人に伝わりづらいものです。目の前にいる人になら、スコーンを凝視したり、舌をペロリと出せば「食べたい!」という気持ちを伝えられるでしょう。でも、スマホやパソコンの画面越しの相手には、それでは無理ですよね。写真を見て感じたことや思ったことには、何かしらの言葉のラベルを貼らないと伝わりません。ここで、目に見えない感情を文字という目に見えるものに変換する作業が必要になります。

中には、そのラベル貼り、つまり言語化が天才的に上手な人もいるでしょうが、多くの人は「本当にこの言葉でいいのか?」と悩むはずです。

スコーンについて思ったことを言葉にするとしましょう。「美味しそう」という言葉でもいいですが、それだけでは漠然としています。なぜ「美味しそう」と感じるかは、人によって違うからです。

では、こう表現してみたらどうでしょうか。「ほんのりついた焦げ目が食欲をそそります」。この表現なら、焦げ目が美味しさのポイントであることが伝わりますね。

同様に、「スコーンパーティーは楽しそう」よりも、「何種類ものジャムやホイップクリームもあるので、いろんな味でスコーンを楽しめそう」とすれば、より具体的に伝わります。

こんなふうに、誰かに何かを伝えるには、言葉選びが重要で、だからこそ悩むのです。

その一言が、誰かを傷つけるかもしれないから


スコーンパーティーなら和やかなムードで気楽ですが、もし言語化するテーマがジェンダー、子育て、政治のようなものであったらどうでしょうか。ほんの少しでも言葉選びを誤ると、読んだ人に不快感を与える原因となり、記事への批判につながる可能性があります。たった一言を表現するために、かなりの時間を費やすこともあります。読み手への配慮が必要だからです。

「男らしさ」や「女らしさ」といった言葉には特に注意しています。なぜなら、何をもって男らしい、女らしいと感じるかの解釈は、人によって大きく異なるからです。たとえば、たくさんのお金を稼ぐことを男らしいと考える人もいれば、自分の非を素直に認める姿勢を男らしいと感じる人もいるでしょう。

もしどうしても男性や女性といった性別に関することに触れる必要がある場合、僕は「一般的には男性が担うとされることが多い」といった表現を用いて、言葉をマイルドにするように心がけています。また、家事育児に費やす時間や労働時間といったデータを交えて書くこともあります。日常会話では気軽に言えることでも、不特定多数が読む記事に書くとなると、言葉選びには慎重になります。

以上が、ライター歴10年であるにもかかわらず、未だに文章を書くことが怖いと感じる理由です。

25歳のとき、僕にライティングを教えてくれた師匠のような方が「書くことに怖さを感じない人には仕事を任せられない」と言っていましたが、当時はその意味が理解できませんでした。でも、今では彼の言わんとしたことがわかります。

自分の日記に書くのであれば、何でも好きなように書けばいい。しかし、記事として自分の名前で世の中に発信するのであれば、書き手としての責任を感じる必要がある――僕はそう思います。

そんな重みを感じつつ、今日も僕はライティングを楽しんでいこう。

お読みくださり、ありがとうございました。

そのべゆういち

charoma0701@gmail.com

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