「貫く」って、かっこいい。

ここまで世渡り上手な人間を紹介したり、巧妙に世を渡り抜いてきた方法だったりを紹介して来た。だが、当然そういう技術は全員が持ち合わせている者ではない。読者の中には、自分は不器用で身の振り方が下手だ、という方もおられるだろう。それで苦しい思いをされているなら、このマガジンに書いてある事は若干の参考になるかもしれない。そのようにして他人のやり方を真似る、盗むというのは世渡りに限らず時に役立つ技術になる。

だが、中には敢えて身を振らないという人もいる。かくいう私も、実を言うと学校などではうまく立ち回って来たが、社会に出てからはどちらかといえば自分を貫く方である。自分の技術が通用すればいいが、無理をしてまで相手には合わせない。だから、好き嫌いもはっきり別れるタイプの人間だ。

三島由紀夫という人がいる。日本の将来を憂いて自衛隊の駐屯地に乗り込み、そこで演説をした後、割腹して果てた。死に様があまりにも衝撃的で多くの人の記憶に残っている作家だ。彼は、ノーベル文学賞候補にもなっていたという。つまり、自ら命を絶つことはなくても、作家としてそれなりに生きていくことができた。しかし、とても端的に言えば自分の思いを貫いた。自分の思いを貫くということは、時に時代の流れに逆行することがある。ややもすると、三島のような強烈な国家への意識を持った人物は戦国時代や幕末の動乱の中にあれば、英雄のような存在になっていたかもしれない。

生まれてきた時代が悪くて・・・

三島は実際、昭和四十一年のNHKの番組の中でそう言っている。もっとも、今あげたものは台詞の途中を切り抜いたもので、前後もちゃんとある。その動画はYoutubeのNHKの公式チャンネルで調べると出てくるので、気になった方は「三島由紀夫」で検索していただければと思う。ここまで散々世渡りの方法などを書いておいてなんだが、私は時代に逆行して自分を貫く人物がとても好きだ。判官贔屓といって、負けていく人に日本人は時に同情を感じるというが、私も典型的な日本人であるといったところだろう。

自分を貫いた人間は他にもいる。14世紀、聖書に書かれてある事と違うことをやっている、とカトリック教会と真っ向から対立したウィクリフという人物もそうだろう。時代を先取りして亡くなった吉田松陰や、佐久間象山という幕末の偉人もきっとそうだ。地動説を唱えたガリレオガリレイもその一人だと思う。私が思う自分を貫く人というのは、

「そんなことをしなくてもよかったのに」

という状況にありながら、敢えて逆の道を行く人のことを言う。従順にしておけばそれなりに穏やかな人生が送れたかもしれないけど、真っ向から立ち向かおうとした。そこには美しさすら見いだせる。

センメルヴェイスというハンガリー人の医者がいた。彼は、「手洗い」が医療においてとても大事である、ということを提唱した。いや、当たり前の事じゃないか、と思われた方が多いだろう。だが、19世紀の欧米では全然当たり前のことではなかった。感染症による妊婦の命のリスクが高かった当時、同じ病院にいながら「科(わかりやすくいうと部門だろうか)」が違うだけで死亡率が違うという奇妙な状況にあったセンメルヴェイスは、死亡率が高い方は解剖を行った後で手洗いをせずに妊婦の対応をしているところに目をつけ、手洗いを徹底させることで死亡率を減らした。しかしそのことが当時受け入れられず、やがて追放されてしまった。彼が評価されたのは、死後の話である。

挙げた名前がビッグネームすぎただろうか。皆さんの周りにはそういう方はいないだろうか。意外と、そういう人って今「嫌われている」人かもしれない。不登校でもいいんだ!と声高に叫んだ人がいたが、何年か後には学校に行かないことが当たり前になっているかもしれない。私は、挙げたような人達を心底カッコいいなぁ、と思っている。

私も三島ほどではないが「生まれてくる時代が違えば」と思った事は正直ある。このおしゃべりを必要とする人がいたかもしれない。この客観視する冷めた人間が必要な時代があったかもしれない。そう思うと少しわくわくする。自分の主張、といえば、「弱い人に寄り添う」くらいなもので地味で目立たないものだ。だが、多くの人が大抵やりたがらなかったり、見落としていたりすることにどうしても執着してしまう。それで貧しくなっても、自分はいいと思っている。誰にも感謝されなくても、それでいいと思っている。

是非は後世が決めることだ。

生き方に正解があれば誰も悩まないし苦労しない。ワンピースのレイリーが、四十を過ぎた大将黄猿に対して「戸惑いこそが人生だよ」と言っていたが多分その通りだ。急に漫画の話になったが、いろんな所に実は人生のヒントになりそうなパーツって落ちていると思っている。人生を旅に見立てる人間もいるが、割と同意である。そのパーツを集める旅をしていて、集まったパーツで作ったものが、死ぬ前に、或いは死んだあとに残る。それを見て、「美しい」と思うのか「愚かだな」と思うのかは、それを見る第三者なのである。

「死ぬ日は生まれる日に勝る」

とは旧約聖書の「伝道の書」の言葉だが、一片の真理を含んでいると思う。死ぬときに、あるいは死んだ後になって評価されるということは割とある。結論私が言いたいことは、

貫ける人は、カッコいい。

ってことだ。

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