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惑星別性格診断~陰キャ・陽キャ論~

僕の中では、太陽と月と地球、人間には3つタイプがあると思っていて

そんな言葉を軽い気持ちで職場で言ったことが、想定以上に同僚の反響を招いた体感があったのがこの記事を書くことになったきっかけである。インターネットに性格診断のサイトはとてもたくさんある。エゴグラムやエニアグラム、MBTIをはじめ枚挙にいとまがない。内容も多岐にわたる。もちろんそれらは楽しいものではあるのだが、じゃあどれほど役に立つかと言われたら、専門家でもない限りはやはり実生活への適用は難しい。

私は基本的に人を「3つ」に分類している。
「太陽タイプ」「月タイプ」「地球タイプ」の3種類だ。似たような分類をしているサイトや人がいてもおかしくはないが、ここに書いているのは私オリジナルの考えのつもりだ。星占いとかではない。自分がどのタイプであるかといったことを考えながら読んでいただけたら有難い。

注:これはあくまで私の独断と偏見、経験に基づく理論です。正確な心理テストとかそういうものではないので、あしからず。でも、どれかに当てはまってるかもしれないから、自分はどのタイプだろう?って思って読むと面白いかも???

太陽タイプ

長所
・外向的。外向上手。
・高いコミュ力
・ムードメーカーになりやすい
・シンプルに楽しい、モテる
・ユーモアのセンスにもたけていることが多い
・経験上メンタルが強い人が多い

短所
・陰キャとの相性が悪い
・ハメをはずしてしまいがち(太陽型はそれも楽しい)
・テストの点が高くない人が多い(これは私の偏見だが

太陽タイプは俗にいう「陽キャ」「根明」である。陽キャという言葉そもそもが死語になる可能性もあるので、わかりやすく太陽と表現してみた。因みに私が高校の頃は陽キャは「イケイケタイプ」と言われていた。意味するところは一緒である。
どうして太陽かというと、「存在しているだけで明るい」という特徴をこのタイプは往々にして持っている。後述するが、月と地球にはこれほどの明るさはない。

このタイプの特徴としては「外向上手」「高性能なコミュ力」「異性との関係づくり◎」などがある。パワプロで言ったら特殊能力とされそうなものをたくさん持っている。

芸能人で例えたら、典型的なのは手越祐也さんだ。もうどこからどう見ても太陽だ。私は彼がイッテQに出てた時めちゃくちゃ楽しんでみてたし、現在の活動もちょくちょく見ている。が実際会うと多分ノリについていけない気がする。

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基本的に人と接することを好む。得意でもあるし、好む。盛り上がったほうが楽しい。飲み会が好きで仕方ない。読者の中には、「陽キャではないけど私は飲み会が好きだし、テンションが高いほうが好きだし」と思われる方もおられるかもしれない。私の思う太陽型の決定的な部分は、「月タイプとの距離がめちゃくちゃ遠い」ことにある。もちろん後述するが、ここを読まれた方はお察しとは思う、月タイプというのが俗にいう陰キャのことである。経験上、「太陽型」と「月型」が仲良くしている様子というのはほとんど見たことがない。ただ、稀なケースもあって、めちゃくちゃ性格の良いもしくはコミュ力の怪物のような人物はタイプ関係なしに関係を築ける。

月タイプ

長所
・真面目で忠実な割合高い
・一芸に長けていることがある(必ずしもではない)
・自分の世界や持論を持っている

短所
・コミュニケーション能力、人間関係構築に難あり
・メンタルが弱い場合が多い、自信がない
・経験上ネガティブな人が多い

月は太陽の対極。このタイプは陰キャである。クラスに1人は必ずといっていいほどいる。偏見だが大概本を読んでいる。誤解しないでほしいが、この性格分類はどれがいいとか悪いではない。それぞれに長所短所がある。それに、頑張れば別のタイプに変わることだってある。

太陽の光がなければ輝けなかったり、もしくは地球人にちゃんと認知されていなければただの暗い惑星である月に例えられたこのタイプの人の特徴は文字通り、社交の場に自らが躍り出ることはないに等しい人間。出ざるをえないとか、でなければならないという状況以外では基本的に前に出ないのがこのタイプ。陽キャのことを「苦手」と感じる傾向が最も強いのもこのタイプだ。

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ただ小説を書くこともある私としては、このタイプは「キャラクター性」でいうと非常に強い個性を持っている場合が強く、思想が強かったり何かに詳しかったり、メカに強かったりと一芸に長けていることも少なくない。「オタク」が最も多いタイプと言える。オタクというと何かと印象が悪い捉えられ方をすることがあるかもしれないが、一芸に長けるというのは素敵な事だ。

社交の場では、「太陽型」「地球型」の高い外交力によってもっている良さを引き出される場合が多く、その様子を見て「面白いんだなこの人」と周りの人が認知したりすることもある。ただ裏を返せば、良さを引き出されるかどうかは他人の力量にかかっているとも言える。学校でいうと相性のいい子と一緒のクラスにならなければ、きつい。

もともと内向的である人はいる。が、あくまでも私の経験上だが、このタイプの中にはそれに加えて「人と接するトレーニング」をしてこなかった(できなかった)人もいると考えている。それが環境故なのかなんなのかは人それぞれ違う部分なのだが。

因みに筆者は典型的な「月型」だ。中学の時は陰でこそこそしていたため先生から「ゴキブリみたい」と言われたことがある。高校の時は合宿に本を持ち込み、ひたすら周りを寄せ付けないムーブをしていた。その後も、「クソ陰キャ」などと言われているなど散々だったが、高校時代にみんなの校則違反をこっそり助けたりしていると周囲から信頼されるようになり、「陰キャの帝王」と呼ばれるようになっていた。褒められているのか貶されているのか未だによくわからないが。

高校3年の時陽キャのデブと生活したエピソードはこちらhttps://note.com/efuchan3676/n/n87daeb9334d3

学校でもとりわけ悪さをしたりするわけではないので、先生からの評価が高かったりする。だがそれが問題をこじらせる部分が少なからずある。社会に出たら先生はいないし、自分を理解してくれる人に出会えなければ自己主張も難しかったりするわけだから人生が運ゲーということになる。や、まあ確かに正直言って人生なんて運ゲーなのだが

それはおいといて。
他人の評価を自分の自信に直結させている人には、私はタイプ関係なく黄信号を光らせる。承認欲求が満たされなくてツイッターに張り付いている人の中には、他者からの反応を酸素として生きている人がいると散見されるからだ。それだと、いつか酸素がなくなる。それを解決する方法はまあ、色々あるのだがここでは書かないでおく。

時々、誰にでも優しいという優良な性格を持った地球型や太陽型が月の人にやさしくすることがある。陰キャは結構こういうのに弱い。そういう人達の優しさや笑顔を私は「陰キャ殺しの笑顔」とか言ったりしている。

地球タイプ

長所
・バランス感覚に長けている。これにつきる

短所
・地球型の短所というよりも、その人自身の短所が短所であることが多い

陰キャと陽キャ。よくこの対比がなされる。月と太陽という例えの元ネタはそこからきている。だが、私は忘れられがちな地球タイプに触れたくて仕方がない。このタイプは、恐らく大多数の人類をさしている。学校のクラスに所属している人間の殆どはこのタイプだ。

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私が出会ってきた地球型の人は、この画像みたいに励ましてくれた優しい人が多かった。

太陽と月の真ん中にいる地球は、「どちらにも顔が利く」というバランスに長けているという意味でつけたネーミングだ。時には太陽のハメを外す感じを嫌に思ったり危なっかしく思うこともできれば、月を見てもう少し自己主張すればいいのにとか思う事がある。かといって批評家気質というわけではなく、自分は自分というものを持っている。時には遊ぶし時には引きこもる。偏らない。周囲との調和も大事にするし、できる。

べた褒めじゃねえか。と思われるかもしれないが、悪く言えばそれ以上でもそれ以下でもないことが少なくない。良くも悪くも、「自分」の範疇を超えることがない。

何度も強調しておくがこれは私の持論であり、経験から語られている事だ。全てのタイプを語る上で、この理論が「大雑把」であることは間違いない。ここまで書いておいてなんだが、そもそも人という生き物を分類しようというする行為自体にそんなに意味を感じていない。人は変わるものだから。

昨今、「何者か」になりたいという人の話を聞くことがある。人気者だったり有名人だったり偉人と呼ばれる人であったり。だが、これまで歴史を作り続けてきた人というのは往々にして何者でもなかった人達だ。歴史に残らないだけで、頑張って生き抜いた人間はたくさんいる。もちろんその中には太陽も月も地球もいるのだが、地球型の人はその中でもとりわけ割合が高く、もしかすると歴史のオーディエンスの役割を担い続けてきた存在かもしれない。

決してそれは、恥ずべきことではない。むしろ、人類の本質を語ることのできる存在だとさえいえるかもしれない。

どのタイプでも生きてる人はみんな偉いんだけど

大まかに3つ紹介してみたが、当てはまるものがあっただろうか。
例えば「太陽型」にくっついて動くことで生き延びる「水星型」とか、地球ほどのバランス感覚はないが月よりはコミュ力がある「火星型」のように、細分化していけば色々あるかもしれない。言い換えれば「太陽寄りの地球」もいるし、「月よりの地球」もいる。陰キャの帝王と呼ばれた私は、「地球寄りの月」と表現することもできる。3タイプに分類したとしても、その中にはどうしようもないクズもいるし、聖人君子のような人だっている。

だが、ここで紹介したタイプによらず全ての性格診断の類に言えることだが、人というのは変わることがある。何をトリガーとしてそれが引き起るかはわからないが、とにかく変化は起こりうる。自分はこんな人間、と決めるにはまだ早い。これを読んでいるあなたは多分まだ若いから。

こうした性格分類は最初は基本的に何かが誰にでも当てはまるが、クレームをつけてくる厄介な人間をはじめ、話の通用しないタイプの人間というのもいる。そういう人たちは私に言わせれば「隕石型」、もう死んでしまった惑星だったりする。

先生、あれは何?
わしらには救えぬものじゃ・・・

願わくば、すべての人間が「落ちていく星」にならないことを祈るばかりなのだが、そうはいかないのもまた人間というものだ。

さきほど私は性格診断はあてにならんみたいなことを書いたが、人にたまに勧めることがある。「自分が何だかわからない」と悩んでいる人にそうする。何かのきっかけになればという思いで、だ。だが基本的に人は数値やデータで測ることができないと思っている。
そうしたほうが、私は人と出会うのが楽しい。

「この人は、どんな人だろう。
今日は、どんな顔を見ることができるんだろう」

そう思う余裕が、ようやっと自分の中に出てきた。
何かに追われると余裕がなくなる。

バイオハザードをやっていて、ゾンビに追いかけられている時はハンドガンに残った弾丸の数が気になる。追いかけられている時に、壁にかけてある絵素敵だな・・・とか、インテリア綺麗だな・・・と言っている余裕がないのと同じだ。
私たちは何に追われているのだろうか。時間?仕事?

それらはきっと、ゾンビよりは怖くないんじゃないだろうか。
月タイプの項目で、人生は運ゲーみたいなことを書いた。最近巷で話題の本の著者マイケル・サンデル教授も似たようなことを著書の中で述べている(私とサンデル氏を並べるのは彼に対して失礼ではあろうが)。
まあ、そこについては気が向いたら掘り下げるとしよう。

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