世渡りの天才と共に過ごした一年

高校時代の話をしてみよう。
高校三年生の頃、「中村君(仮名)」という男の子と私は仲が良かった。というか、私が中村君の側近、家臣のようなポジションだった。肥満体型の子で、私とは真反対の体格をしている。もう何年も会ってないので、今はわからない。

私は別に一人でも生きていけるタイプだが、中村君は違った。基本的に、誰かを伴っておきたい人だった。しかし、高校三年の頃のクラスには元々繋がりの深い男子が集まっており、たちまちグループを形成した。もっとも、文系のクラスだったので男子は9人しかおらず、そのグループも3名程度なものだったが、他がバラバラだったので力があった。でも中村君は誰かを伴いたい。ということで選ばれたのが、日陰者の私だった。ところが、この中村君は天才的な話術とユーモアと勢いの持ち主で、いわば「人たらし」な一面があった。快活なトークで笑いを取り、自身の体型も巧みにネタにして既存のグループの懐に簡単に入り込んだ。ところが中村君はどの男子とも繋がりがそこまで深くなかったし、求めるユーモアや価値観のベクトルも違ったので、グループに入ることはしなかった。そうすることで相性の決して良くない男子と対等か、それ以上の渡り合いを見せた。ところが、中村君は私と一緒にいる時は私の事を大して大事に扱わなかった。むしろ、

「唐揚げ買ってきて」

とぶっきらぼうに頼んできて、拒否したら砕けた態度で敬語を使い買ってください!と懇願してきた。唐揚げを買っていくと、

「早く買ってこいよ笑」

と、手のひらを返す。そんなやりとりが毎日の光景だった。だが、当然これは彼なりのユーモアで、嫌がらせとかでもなんでもない。私はむしろそのコミュニケーションを楽しんでいたし、中村君はクラスでは繋がりを持たないというだけで学校内ではわりと人気があった。

その側近としていつも一緒にいると、人気というのはある種のブランドのようなもので、初見の同級生も「得体の知れないメガネ」ではなく「あの中村君の仲良しか」、とハードルが下がっていたっぽく、単独行動をしていると確実に得られないような人脈ができたりした。

得体の知れないメガネと思われないので、男子も女子も気軽に話しかけてくれたり、こちらが話しても聞いてくれたりした。前項で述べたような書けない話をした女子との繋がりも彼との関係ありきだ。私が中村君の接近を拒否して単独行動を貫いていたら、そうはならなかったと思う。

客観視していると、相手の懐に入り込む時の中村君は、どうも「実力者」たちと対等に渡り合うために無理にテンションをあげているように見えた。私はそこまでテンションは高くないし、基本争いはしない。言葉もそう多いわけではない。簡単な論戦では私はいつも彼の速さについていけなかった。

中村君は私といる時はそこまでテンションが高くなく、私を使ってクールダウンしつつ、私といることで「ひとりぼっちにはならない」という状態を維持していた。それだと世間体もいい。実力者と対等に渡り合ったあとで孤独だと、寂しい人だと思われるのは確かだからだ。私という「巣」に戻ることで、大多数の女子にも孤独にはならないというアピールができる。そうした地盤を作るのがとにかく早かった。頭の悪そうな感じこそ出していたが、隠れてちゃんと勉強していた。嘘であろう事を自信満々で言うのも得意なので、面接も相当うまくやったらしい。大学も合格が早かったが、そのことを大ぴらには自慢しなかった。ヘイトを買わないような配慮か、無意識かはわからないが巧みだ。

体育祭などの大きな行事になったら、中村君のような人気者といると表舞台に駆り出されそうなものだが、そうでもなかった。逆に、グラウンドの隅で二人で座って、あの子は可愛いとか可愛くないとか、あの先生は可愛いとかそうじゃないとかいう話をした。

いつもテンションをあげて実力者と渡り合う彼にとっては、そういう他愛もない会話がガス抜きにもなっていたかもしれない。とにかく、今述懐しても彼は世渡りの天才的な才能を持っていると思える。懐に飛び込む話術と勢いとユーモアを無理をしてでも出せる。無理をするが限界を知っている。だからガス抜き要員を作って居場所も作る。大人物にはならないかも知れないが、巧妙に生き抜いていくタイプだろう。しかし、それは友情ではなくある種の契約関係だった。だからか、卒業後連絡が途絶えた。この前連絡してみたら、働いているらしい。

しかし、私も私で、中村君がガス抜き要員を恐らく欲している事、彼と仲良くすれば単独では不可能な関係が開ける事など、多くのメリットが頭に浮かんでいたのも事実だ。何年も前の話なので流石に曖昧な部分もあるが、お互い無意識でこの関係を築いたかもしれないし、互いに計算していた可能性もある。いずれにせよ、高校三年生の年は彼との共生で生き抜いた。中村君に後で言わせれば、

「俺は三年に一度陰キャと絡むんだ」

ということで、私がそれに選ばれたわけだが、もしかするとあれは、中村君という華のある人たらしと、私と言う巧妙に世を渡る曲者二人の「玄人」の立ち回りであったのかもしれない。いずれにせよ彼との交友は財産になった。今、彼はどうしているのだろうか。きっと今も、巧みに立ち回っているのだろう。世の中には、そうやって世の中を渡る奴もいる。

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