入祭唱 "Adorate Deum omnes angeli eius" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ22)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 264; GRADUALE NOVUM I p. 228.
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更新履歴
2024年1月16日
「教会の典礼における使用機会」の部に加筆した。
対訳の部と逐語訳の部とを統合した。ついでに些細な点についての解説を少し書き加えた。
2022年1月15日 (日本時間16日)
「対訳」の第1文の解説に,この入祭唱の置かれている典礼暦的文脈に関する重要な加筆を行なった。
前回の更新で "exsultet" の訳を改めたが,ほかにも同じ動詞が出てきているのにそちらの訳は改めていないことに気づき,改めた。
「教会の典礼における使用機会」の部分を加筆・修正した (主に旧典礼での使用機会について)。
その他些細な修正を施した。
2021年1月20日 (日本時間21日)
対訳中 "exsultet terra" のところで,"exsultet" を「喜んで跳び上がれ」と訳した上で「一般的には『喜び踊れ』と訳されている」云々と書いていたのだが,「踊れ」ではなく「躍れ」が正しく,そして「躍れ」であれば「跳び上がれ」という意味であるから独自の訳し方をする必要がなくなり,「喜び躍れ」に改めた。
2019年1月20日 (日本時間21日)
投稿
【教会の典礼における使用機会】
【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】
1972年版ORDO CANTUS MISSAE (GRADUALE ROMANUM [1974] / TRIPLEXはだいたいこれに従っている) では,年間第3週 (1月21日~27日の間にくる主日=日曜日に始まる1週間) に用いられる。ただし,A年とB年の主日を除く (これらの主日に用いられる入祭唱はこちら)。つまり,A年とB年にこの入祭唱が用いられるのは週日 (月~土曜) のみである。C年であれば,主日にもこの入祭唱が歌われる。
(「年間」「A年」などの教会暦関係の用語についてはこちらをお読みください。長いので,ブラウザの検索機能を用いて該当箇所だけお読みになるのもよいかもしれません。)
ほかには,随意ミサのうち「聖なる天使たちについて」のミサで用いることができる入祭唱の一つともなっている。
2002年版ミサ典書では,この入祭唱はどこにも載っていない。上記いずれの使用機会にも,それぞれ別の入祭唱が割り当てられている。
【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】
1962年版ミサ典書ではこの入祭唱は「公現後第3主日」に割り当てられており,公現後第3主日というのは改革後典礼でいう年間第3主日と同じタイミングである。なお改革前典礼にはA年・B年・C年の別はない。
その後「七旬節」(四旬節の前段階的な季節。改革後典礼にはない) が始まるまではずっとこの公現後第3主日の入祭唱を用い続ける (ほかの固有唱も同様。聖書朗読箇所は変わる)。七旬節が始まるタイミングは年によって大きく異なり (早ければ1月18日,遅ければ2月22日),それに応じて公現後主日の数も増減する。最も多いときで第6主日まであり,その場合今回の入祭唱は4週間にもわたって用いられ続けることになる。逆に七旬節がごく早く始まる場合には公現後第3主日すらやってこず,つまり今回の入祭唱が全く用いられない年もあるということになる。
AMS (第26欄) にまとめられている8~9世紀の聖歌書でも,この入祭唱は公現後第3主日のところに載っている。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Adorate Deum omnes angeli eius: audivit, et laetata est Sion: et exsultaverunt filiae Iudae.
Ps. Dominus regnavit, exsultet terra : laetentur insulae multae.
【アンティフォナ】神を拝め,彼のすべての使いたちよ。シオンは聞いた,そして喜んだ。ユダの娘たちは喜び躍った。
【詩篇唱】主が王となられた,地は喜び躍れ。多くの島々は喜べ。
アンティフォナ,詩篇唱とも出典は詩篇第96篇 (ヘブライ語聖書では第97篇) であり,アンティフォナに用いられているのは第7節の終わり3分の1から第8節のはじめ3分の2まで,詩篇唱としてここに掲げられているのは第1節である。
アンティフォナでは "exsultaverunt filiae Iudae" で文が終わっているが,Vulgataでは "propter iudicia tua Domine (あなたの裁きゆえに,主よ)" と続き,ユダの娘たちが喜んだ理由が示されている。それ以外は,アンティフォナ・詩篇唱ともVulgataと完全に一致する。
【対訳・逐語訳 (アンティフォナ)】
Adorate Deum omnes angeli eius:
神を拝め,彼のすべての使いたちよ。
「彼 (神) のすべての使いたち」は天使たちを意味する。
前週の入祭唱に続き,ここでも「神を拝む」ことが話題になっている。これについて,Volksmissale (1962年版ミサ典書つまり改革前典礼用のミサ典書に解説・対訳がつけられたもの) ではこう述べられている。
そして,前週の入祭唱が「全地」による礼拝を求めていたのに対し今回は天使による礼拝を求めており,公現祭の広がりはついに地上を超えて天にまで至るものとなっている。
audivit, et laetata est Sion:
シオンは聞いた,そして喜んだ。
et exsultaverunt filiae Iudae.
ユダの娘たちは喜び躍った。
【対訳・逐語訳 (詩篇唱)】
Dominus regnavit,
主が王となられた,
動詞regno, regnare (>regnavit) はどうも本来「王である」「統治する」という意味であって「王になる」という意味ではないようだが,Sleumerの教会ラテン語辞典には「王になる」という意味も載っており,例として列王記下第12章第1節 (ヘブライ語聖書では第2節) が挙げられている。"Anno septimo Jehu, regnavit Joas (イエフの治世第7年に,ヨアシュは王となった)"。
Septuaginta Deutschのこの箇所 (詩篇第96篇第1節) も "Der Herr ist König geworden (主が王となられた)" となっている。
本来の意味に従って「王であった」あるいは「統治した」と解釈してしまうと,現在はもう王でない,統治していないかのようであり (あるいはそうでないなら少なくとも,現在王であるのか否かが語られておらず),すると次の「地は喜び躍れ」という言葉と合わない。「王となった」であれば,王となった結果現在君臨しているということを意味している,と考えることが可能であり,そうであれば「喜び躍れ」となるのも理解でき,これが唯一可能な解釈であると思われる。
exsultet terra:
地は喜び躍れ。
laetentur insulae multae.
多くの島々は喜べ。