自分の精神疾患に関わる経歴をまとめたい

[私の経歴]

2015年春 K大学理学部に入学

中高一貫男子校に通っていた。環境的に大学行くのが普通みたいな感じで、両親からも現役で国立大学に行けみたいに言われていた。
この頃からなんか『自分の将来とかどーでもいいな』みたいな自分に対する投げやり感と逃げ癖サボり癖があって、大学受験も流されるまま何となくやっていた。
でも物理と数学の勉強は楽しかったな。
この頃の友人たちとは今も仲良く、一生の宝。
本当はもう一つ難しい大学を志望していたがセンター試験終わった後に急に自信が無くなり志望を下げてK大学を受験し合格。
両親からは志望を下げてK大学を受験するって決めた時に「今までも今回も大変な道を避け楽な方に逃げてる。楽な道に逃げるのはこれを最後にしろ」的なことを言われたのをよく覚えている。でも実際そうなので何も言えんかった。K大学合格したことはちゃんと讃えてくれたし喜んでくれてた。
これより昔にも色々あったとは思うが、大学受験の経験が私の今のメンタルを形成する1つ目の大きな出来事だった気はする。
なんだかんだ言っても最終決断は自分でしたし、数年楽しく一人暮らししてたし、大学生活も一応楽しいこともあったしで後悔しているわけではない。

2018年春 留年して2回目の3年生

一人暮らしをして、スーパーマーケットでバイトしたりバトミントンサークルに入ったり趣味のコーヒーを楽しんだりしながら大学に行っていたが、2年後期あたりから少しずつ授業をサボり出す。
3年生になりほとんど大学に行かなくなり留年。バイトとサークルを辞め、2回目の3年生をするが前期に2回ほどしか大学に行かず引きこもりに。
原因は人間関係が下手すぎて大学生活が上手いこといかなかったことかなと思う。実際友達数人しかおらんかったし、今でも繋がってる大学時代の友人は皆無。
そして研究室という閉じた人間関係に配属されるのが決め手だったのかな。
でも勉強について行けなかったとかそもそも怠け者だったとか自分自身の性能とかのせいだった気もする。つらいことに耐えて頑張るということができない人間なんだよな、そもそも。
この半年間でリスカとODをし始めて、酒飲みまくってた。なんか勢いで死ねたらいいなと遺書書いて首吊り用の輪っかを吊るしたまま生活してた。多分私の精神疾患はここから始まってる。

2018年夏 休学して実家へ帰る

夏休みになんか色々あり、とある日の昼過ぎ急に元気になって友人たちの旅行に突然合流。多分こんときもODしてた。その後そのまま急に実家に帰り両親にこの半年間のことを話した。この時助けてくれた友人たちには感謝しかない。
精神状態が少しおかしくなってると言われ、休学して一人暮らしの家を解約し実家に帰ってくることに。
そして初めてのメンタルクリニックへ通院し始めるが半年ほどで行かなくなる。私が精神疾患の診断を貰ったのはここが最初。こん時はなんか双極性感情障害やった。その後もう一度別の病院へ通ったりするがまた行かなくなりほぼ引きこもり状態に。
実家に帰ってきてからはリスカはしなくなって、ODも軽くなってたと思う。

2020年夏 コーヒー屋さんでバイト

父に勧められ、父の知り合いの友人が店長をしてるコーヒー専門店でバイトを始める。
ここの店長さんは正直あまり好きになれなかった。
でもコーヒーに関わるバイトは楽しかったし、コーヒーの知識や淹れる技術が少し付いたし、焙煎してるとこ近くで見られたし、飲ませてもらえるコーヒーは美味かったのでやってよかったなとは思ってる。多分店長を好きになれなかった理由も自分にあるしな。
半年ちょいくらいした頃に閉業することになり、辞めた。その後また何もせず引きこもり状態へ。

2021年1月 引きこもり支援センターへ行く

父が市の引きこもり支援センターへ相談して、ここに通うことに。
何度か相談員さんと話して就労移行施設に通おうということになり、見学に同行してもらった。1ヶ月ほどいろいろ見学したりしてとある就労移行施設に通い始めることになった。同時期に就労移行施設で勧められた所見のA病院へ通院を始めて、改めて鬱病と睡眠障害の正式な診断が出て処方薬も飲み始める。自立支援もここで手伝って貰いつつ取った。
そして社会復帰のリハビリと就活準備と鬱病の治療を始めることに。
この就労移行施設とA病院は自分に合っていたのか、ちゃんと通えていた。だがこの頃からまたODが酷くなり始めた。とはいえまだ週2回40錠とかだったと思う。

2021年10月 就職

父の紹介で、父の知り合いの知り合いが社長をしてる某会社の面接を受けさせてもらえることに。
就労移行とは別で面接にたどり着くことになったが、履歴書書いたり面接の相談に乗ってもらったり色々とお世話になっていた。
あらかじめ私の現状が社長と数人の上役に伝わっている状態での面接だったので、実質オープン就労のようなものだった。その後すぐ採用され就職。
体調不良で当日欠勤を許して貰っていたり勤労時間日数や仕事内容等も配慮して貰ったりと、とてもいい環境で働かせて貰っていた。
しかし、この頃からODもどんどん酷くなっていた。何なら面接もODした状態で受けてる。アホすぎでは?

2022年12月 休職して入院

変わらずA病院に通院していて休み休みではあったが何とか仕事をしていた。ODは辞められず、訪問看護も始めた。訪問看護は自分的にはとても良かった。
しかし、11月ごろにODがどんどん酷くなり体調が全く良くならない現状を見た医者から一度別の大きなB病院に入院してみてはどうかと勧められる。この時はまだ鬱病治療として1ヶ月くらい休養入院かな〜くらいに思ってた。
そして12月から休職して入院することを決める。ここでかかりつけがB病院に変わり初診を受けたところ、「あなたは今薬物依存でありODを辞めないとなにも現状が改善されないので、依存症治療として3ヶ月入院しましょう」と言われて、1度目の入院をすることに。診断書から鬱病が消え病名が薬物依存に変わる。ここからずっと私の診断書上の病名は薬物依存だけ。
依存症治療なので入院中に処方薬が1種類だけになり、これ以降も増えることは無かった。

2023年3月 退院と復職

退院して翌日から仕事復帰。しかし勤務初日の昼休みにODをしてしまう。週1回通院しつつ週3日勤務から会社に行く予定だったが、それすら休みまくってほぼ働けずODも全く辞められなかった。

2023年4月 休職と再入院

この1ヶ月半くらいで丸1日働けた日が3回しかなかった。ODもどんどん悪化し、あるタイミングで今までと違う薬もODし始める。
そしてその違う薬をODしすぎて4/25(火)に緊急搬送される。それをきっかけに休職と2回目の入院が始まった。
おそらく今回はこのまま仕事辞めると思う。


以上が2023年5月までの私の経歴です。
見てもらった通り何かすごく大変な経験があって今の状態になってるわけではないんだよな。
何でこんなことになってるのか全然分からんが、そもそもの自分の性能と性質なのかなと思ってる。
でもこの入院をキッカケに少しでも変われるといいなぁ。


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