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脱・大量生産型のわたし

最近、新しく3つのゆこを発掘しました。

ひとつは、安心・安全が大事なわたし。

「新しい」とか「挑戦」という言葉にわくわくするから、安心・安全みたいなワードは真逆で、わたしには必要じゃないと思ってきた。
安定志向とか現状維持をつまらないと思っていたし、かなり軽く見ていた。

だけど本当は、安全動機がものすごく高かったんだよ。

Cotreeのコーチングを受ける前、アセスメントで詳しい性格分析を受けた。
結果で唯一納得できなかったのが、安全動機の結果だったの。

いやだなって感じること・ものが多い気がするんですって正直に言ったとき、コーチが「それはきっと、自分を守るための動物的直観だったり、生存本能だったりが強いのが影響するのかもしれませんね」って返してくれた。
はっとした。

これは苦手だって思うと、静かに避けてしまう自分がいた。
関係ができている場所にはいかないようにしてる自分がいた。
それは、新しい場所に後から入っていって、輪に入っていけないと傷つくからだし、苦しい思いをしたくないからだったかもしれないなぁって気が付いた。
気持ちがキュッと閉じる感じ。

逆に、安心できる場所・人の前だと、ものすごく自由な気持ちで振る舞える自分が確かにいた。
そういう場所が、ほしかった。


ふたつめは、教育がやりたいわたし。

学校に勤めていた頃ずっと、教員してますって言うのがいやで、言えなくて、隠して暮らしてたんだよね。「ふつうにOLしてます」とかって言って。
たぶん教員あるあるの学校の外でも「先生」って呼ばれるのも、違和感しかなくて、呼ばれる度に気持ちが黒になった。

でもね、今年、学校をやめてみたら。

授業できないのって、すっごくつまんなかったの。

おもしろいことがあったり、本でためになる話をみつけたりしても、次の日に伝えにいける教室がない。
「わーこれ、ぜったいおもしろいじゃん!」って思いついても、一緒にためせる子たちがいない。

こどもたちとわくわくを共有するのも、一緒になにかをつくるのも、イベントごとを見つけて夢中になるのも、どうしようもなく好きだった。

ただ、学校での働き方とかルールが苦手なだけだったみたい。
自分なりに働き方変える努力はそうとうしたけど、モヤモヤ解消にはいたらないままそこにずっとい続ける自分が許せなかったのかもしれない。

教育っていう言葉を使うのが合っているのかは分からないけど、乳幼児~高校生・大学生までを変える何かを一緒にやれたらいいのになって、ずっと考えてるよ。
こどもが変わったら、周りの大人も変わっていくよ。こどもから変えてくの、ぜったいおもしろいなぁって思ってるんだ。


見つけた3つめは、好きなことしかやれないし、好きなことを止められないわたし。

好きなことをするのが、悪いことという感覚があった。
身近な人たちは、やるべきことをちゃんとやって、楽しみはその隙間に入れられる分だけささやかに入れているようだった。
どうやったら、そういう人たちの中で悪目立ちしないでみんなのなかに紛れられるか。
ちゃんと隠れられるように、そういう方向にばかり力をそそいできてしまった。

だって怒られるのが超絶いやだし、悪く思われるのもいや。
だいぶ好きにやってるように見えていたと思うけど、「教員だから、ちゃんとしないと」って自分なりには我慢してたこともいっぱいあった。

でもさ。


このがまんって、一体いつまで続ければいいの?
がまんしてやっても、苦手なことはずっと苦手なまま。
大人になったらできるようになるのかな、たくさんやれば苦手意識は消えていくのかなって思ってたけど、苦手はいつまで経っても苦手なまま。

「成功するには、一個にしぼって何年も全部の時間をそそぐつもりじゃないと」ってよく聞くよね。
でもさ、やりたいことを一個にしぼるなんて、わたしにはできない。

だってやりたいんだもん。
やりたいと思ったら、ガマンして、やらずになんていられないでしょ。
逆に、やりたいことのためなら何でもできるよ。
常時予定の最優先にできるし、職場変えるのも引越すのも全然こわくなかった。

これまではできないことを隠して、悪く目立たないことには成功してきたかもしれないけど、同時によかった部分も消えてなくなって。
いつの間にか、可もなく不可もない「紹介すべき自己がない自分」ができあがっていた。そっちの方がこわい。

そうじゃなくて、でこぼこでもいいから、好きなことで毎日を満たしたい。
それで、「今日もいい日だった―!」って心をいっぱいにして眠りたい。
逆に、苦手なことからはできるかぎり逃げたい。

わがままだけど、そういう風に暮らしたい。
すぐにはムリでも、近づくように試してみたい。そう思ってる。

自分でも気づかなかった自分を今回3つも発掘できたのは、「あなたはどんな企画をする人になりますか?」と問われたから。

これは、今年参加している、半年間の未来に待ち合わせするための連続講座『言葉の企画2020』で、主宰の阿部広太郎さんから出された課題。

未来なんてわかんないけど、一生懸命考えた。
自由に生きてる人を探してその人の本を読む。番組を見る。
コーチングを受ける。
同じ講座を受けている企画生どうしで壁打ちする。
過去のメモやSNSを振り返る。
あなたってこうだよねと人からもらった言葉を思い出す。
もらってうれしかった手紙を出してきてそっと読み返す。
昔の、写真や動画も振り返る。

そうして掘り起こしたたくさんの気持ちを、なんとか形にして11月3日に提出したのがこちら▼

好きしかない教室をつくりたい。これだった。

教室って、わたしが安心できる場所だった。
広さも、人数もちょうどいい。
顔と名前が一致して、一人ずつの性格や、最近ハマっていること、今日の体調、一瞬一瞬の表情とか、そういうのが全部見える距離感が心地いい。

勉強するだけじゃなくて成長につながるいろんなことができる場所だし、一緒に過ごすのは子どもに限らない。
好きな人たちとぎゅっと集まって、わーって楽しい方に向かっていける感覚がすき。
人もモノ・コトも、好きしかなくて、その場の空気ごと真空パックしてとっておきたくなるような瞬間をたくさんつくりたい。


2018年の1月1日、たまたま行き着いた記事をみてからずっと、「自分って何なんだろう」がわたしの中の問いだった。

少しずつ少しずつ分かってきた感覚はあるけれど、この半年でいろんな人にヒントをもらってぐんと深く自分の奥に進むことができて、なんとか言葉にできました。
あの日のベストにちゃんとたどりつけたなって今も思う。
同時に、いろんな情報にふれて、話を聞いて、現在進行形で変化していってる感覚も、しあげた直後からずっとある。
同じ言葉でずっと迷わずに直進できる人の芯の強さに憧れる。
けれど、毎日少しずつ変わって更新されていくのが、わたしには合っていてしっくりくるなと思ってる。

行きたい方向を言葉にできただけで、なんだかそっちに行ける気がして。
今いるところはいきたい未来につながってる場所じゃないなと気づいてしまったから、仕事もやめることに決めました。

未来に決まっていることがなーんにもなくて、からっぽなのがただただうれしい。今はそんな気持ちです。

サポートしていただけたら、あなたの読みたいnoteを書きたいです。 どんなものがお好みですか?^^