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惜しい!と思ってしまう、インタビュー記事中の″写真″の話

インタビュー記事をつくる仕事をしていながら、ほかの方がつくったのを読むのも好きなのでけっこうな数の記事を読んでいる。

そこで惜しく思うことが結構多いのが写真。あぁ、この写真盛れてない! と残念に思ってしまうんだ。

見た目をつくれる人は強いと常日頃思っている。上手なデザインをする人や写真を撮れる人に憧れてしまうのも、見た目が与える印象が大きすぎるからだと思う。

取材ではカメラマンさんたちとご一緒することがほとんど。わたしは彼らに尊敬の念がたえない。わたしが彼らの数倍の時間をかけて深く対話を重ねて「これは‼︎」というエピソードを聞くことができたって、そこにたどり着いてもらえるのは見た目の与える印象をクリアしたときだけ。

綺麗だな。かっこいいな。為になりそう。信頼感あるな。
自分でもデザインや写真まで担当することがあるからこそ、与えたい印象をきちんとつくれる人ってすごいなぁと思う気持ちは強くなるばかりだ。

ただ、わたしも受け取り手としてならかなりの鍛錬を積んできた。好きなアーティストやアイドルたちのお写真が新しく出るたびにチェックして、買い求めては「これは最高に盛れてる!感謝!」とか「んーーこうじゃないんだよぉ」などと一喜一憂してきたんだから。
他人の写真にお金をどれだけ使ってきたことか知れないよ。

特にステージフォトと言われる写真に、わたしはうるさい。そうとうガチのファンなので、突然そのとき1番に応援している子なら写真の表情や動き、衣装などの写真から読み取れる情報から、その写真がどの曲の、どのフレーズのときにシャッターを切られたのかを読み取る。熱量高めのファンの方ならきっと当たり前にしてるはず。

そうしたとき、「この瞬間じゃなくて!この一瞬後の右側向いてるときを!!」とかってかなり細かい話をし出す。好きな人の魅力が写真の中で出し切れているのか。切り取るとしたらどの瞬間がもっとも魅力的なのか。コンマ数秒単位でジャッジする。せっかく残すならよりよい瞬間を切り取ってほしい。そのツボが分かっているカメラマンさんがうちの子を撮影してくれると、即心で握手を求めるし、何かお礼の品をお届けしたい気持ちでいっぱいになる。

1枚ずつの写真にそうやって向き合ってきた人生だから、インタビューカットが「ひとまず対象のインタビュイーを撮影しましたよ!」って印象だと残念でならない。あぁ、実力がまだ出し切れていないのに…と、自分が関わったわけでもない記事を前に思っている。

インタビュー記事を担当するとき、プロレベルのハイクオリティーなものをお求めでなければ撮影まで担当させていただくことがある。そういうとき、きっとわたしの撮影は長い。普段から撮られ慣れている芸能関係の方なら別だけど、一般の方のこれ!って瞬間を切り取るのに、わたしは時間をかけて「この辺!」と当たりをつけたところでたくさんシャッターを切るしかないから。

お時間長めにかかってしまうところは申し訳ないと思うけれど、代わりに「あ!ここが良い瞬間!良い表情!」というのは逃さない。

こんなわたしですが、お写真ふくめたインタビューのご依頼あればぜひお声がけくださいね。ベストを尽くして推しカット撮影させていただきますゆえ。「これだ!!」って瞬間を納品させていただきます。

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