レジ袋有料って意味あんのか


本屋に行った。
相変わらず降ったり止んだり
こんだけ雨降ってるんだから有料のショップ袋じゃなくてもなんかビニールに包んでほしいなと思ってしまうが、こんな中お店に来て開けてくれてるだけありがたいと思わなければ。
せいぜい5円かそこらかと思ったら、10円するんだな、スーパーの袋は持っていったんだが、10円けちって本がぐちゃぐちゃになったら元も子もないので買いました。
でレジ袋有料っていうのは環境大臣の方針だったと思うが、本当に環境のためになってるのか?
むしろショッピングバッグが必要だということで、各企業がバッグを製造しまくり、こんなにいらねえだろというくらい店に並んでいる。
買ってもせいぜい一人1.2個でしょ。
うちの親はたくさん持ってるが…
前にこれが欲しいって言ったから通販で買ってあげたのに、この前見たらきれいなまま押入れに押し込められてたし…

プラスチックバッグが減ってもナイロンのバッグが増えるんじゃ、どうなの。
かわいいからって次々買って、購買意欲そそってどうすんだ
ここに至っても大量生産大量消費
ゴミにはなってないかもしれないが店の余剰在庫がどんどん増えてるんじゃないの。
買い物バッグを買いすぎてしまう人はむしろスーパーで袋を買った方が得だしエコかもしれんと思ってしまう

最近YouTubeでムーミンのアニメが載ってると知ってちょいちょい見てるが、最初外国のキャラが日本アニメの流儀に則って動いてるのが違和感あったけど英語の勉強にもなるしってことで結構おもしろい
それでグッズとかも見てしまうんだが、すごい色んな柄とかかゆいとこに手が届くどころかこれまでキャラプリントするんだ…布から作ってんだ…と圧倒されると同時に、
やり過ぎじゃねえか?ほんとに必要?ほんとに誰か買う?って思ってしまう。
案の定物によっては値下げされてたり(そもそもが高いんだが)、ディスカウントショップに卸されてて、結構安いのにずっと残ってたり

個人的に子どもの頃はポーチに取り憑かれがちだったんだが、そんなにあっても使えないんだよ。

ムーミンの作者もこんな風に大量生産に取り込まれることを望んでいたのかな?と思う。
一個くらい身近にあると心強いんだろうが、基本ムーミンは心の中にいる!と思うようにしている。

本当に最近なんでもかんでもTシャツになったりグッズになったりしていちいち買ってたらきりがない。
外国に行った時、ここまで物がなかったからつまんないな、働いても何に使うかわからないとは思ったが、やっぱり帰ると金を使うように常に言われているような、一個一個は大した金額じゃないけど回数増えると凄いことになるし気を引き締めないといけない。
それにこの量をこの金額でとっかえひっかえ生み出しているということは、ひずみがどこかに出ているとしか思えない。
何割かは捨てられる物を一生懸命作ったり買ってもやっぱいらねえやってなるものをせっせと作り続ける
選ぶのは楽しいけど、売れ残ってディスカウントショップでもさらに売れ残ったやつはどこに行く?ゴミ?

隠遁したいと思ってもまだまだそこまで悟れておらず欲を完全に捨てきれず、何かお金で買うということはお金を得るためにある程度システムに呑み込まれなければならないということであり

自分で作るとかオーダーメイドみたいになれば無駄は減るのかもしれないが、
こんなのが欲しい、というディテールに至るまで確固たるアイディアがない時、ある程度他人がデザインした中で偶然これいい!と発見する喜びがあるんだよな。
それとある程度量産している物のいい意味での生地と縫製の適当さというか、
ただでさえ高かったものはいつまでもしまってしまうのに、オーダーメイドのTシャツとか緊張して着られないだろうし

働きたくないと言いながら資本主義量産主義に侵されている。
でも最近ユニクロ買わなくなったな。偉い(?)
新聞とらなくなったからチラシも入ってこないし、たまたま入ってもこんなにたくさんあるから今度でいっかとなって忘れているうちにその物自体がなくなってる。
でも街でそれを着ている人は見かけないんだよな。どこにいったんだろう?

知らない間に全然違う話になっていた
いずれにしてもしぶとい物欲は脱資本主義脱量産主義の敵ですわということ


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