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Ep.3過去を知ることは無力だと思うか

過去になることは出来ない、過去は、知ることしか出来ない。

その事実に、打ちのめされる人がたくさんいる。

私だってその内のしがない1人。コナンが私の生まれる前から存在している作品で、それは致し方なく変えることのできない事実。ただとてつもなく残酷な事実であるわけではないのに、途方も無く遠い過去のような気がしてきてしまう。

青山先生が絵を描き始めた時からファンの人、連載が始まった時からコナンが好きな人、私が生まれまだ言葉を話すことが出来ない頃からコナンが好きな人に、どうやったって私は勝てない。私が生まれる前に描かれた絵や、販売されていたグッズの全てを私は知ることは出来ない。手に入れることはそう容易くない。その全てが過去であるように、今もまたいつかの誰かにとって耐え難い過去になるのだと、脳みそは分かっていて、だから良いじゃないか、と思わんとする自分も何処かには居る。

けれど失望保険で話したように、人間みんな(多分)目に見えるものは全てほしい。

過去からのコナンファンの人が、私が知らなかった過去のグッズや過去の話をする度に、私は自分の年齢や生まれた年に苛まれ、拒絶感が襲ってくる。目先のこと(この場合羨ましいという感情)に囚われて、自分を見失いすぎてないか?

でもじゃあ、だったら、なんでほしいと思うの?と言うところから私の嫉妬の念を紐解いていく。

過去のグッズがほしいと思うのは、作者様のことを知ることが出来ないから!というのが大きな理由だと思っている。知ろうと思うことや、知ろうと頑張ることはできる、それはやる、そうじゃなくて、その人の本当の事は、誰も知ることが出来ないでしょうという話、他人だから。

どう足掻いたって他人であることを、インタビューの書面を読み解いていく目が訴えている。

足掻く気も起きないほどに、作者様のことを知らない、知ることが出来ない。知りたいとは思うのに、インタビューを読んだり、聞いたり、Wikipediaを見たり、検索したりすることしか出来ない。

作者様が何処かで幸せで、好きなように好きな気持ちだけで絵を描いているのであればそれで良いとは思うけれど、私が作者様のことを知るにはメディアだけでは足りないと思う。本を読むだけでは、スマホで検索するだけじゃ、過去の話を聞くだけじゃ、それじゃ、足りない。もっと知って、もっと好きになりたい。もっと心から好きでいられるように、知りたい。

でもいくらそう思って、そう願ったってどうしようもないでしょ、過去を遡って作者様と同じ年に生まれて、作者様が絵を描き始めた時から好きになって、全ての単行本やアニメや映画やグッズを所有して、そんなの無理でしょ。

そんなこと、夢にすらならない我儘に躍起になるのは辞めなさい。

そう言いきれないような気がして、後ろ向きで過去を知りたがらなくなってきている。受け入れることは、容易いはずなのに、好きになればなるほど受け入れたくないと思う。

受け容れたら終わりなんじゃないかと考えている。

受け入れなきゃいけない自分と、受け入れたら終わる自分、闘わないでいい感じに混ざりあって溶け合って消えてくれればいいのに。好きでいたいのに、何もマイナスな要素などない所で好きでいたいのに。

だから見て見ぬふりをずっとしている。

自分のために、知らないままでいようと思っている、本当は自分の中のかなり脆弱な部分に潜んでいる醜い嫉妬心に気付いているけど、寝て忘れるようにしている。

(だからこそ誰かが、憧れですとか尊敬してますと言ってくれると跳ね上がるほど嬉しいのです。)

好きじゃなかった頃を思い出して安堵や安心を覚えるのは苦だ。

ならば私は、やっぱり、過去になりたい。

(振り出しに戻る)

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