ミーハーと時代の流れep3

東京進出し暫く

雑誌媒体にもガンガン掲載正にブレイク前夜

新しいミッションがセカンドライン立ち上げである 自社ではなくライセンス的な物で三菱商◯、オリゾンテ◯(インポート輸入アパレル)と組み新しい形のビジネスモデルでした。

23歳にして始めて商社や大手の会社とビジネスでした。こらまたわからない事だらけでスタートにあたり、社長さんと差しで打ち合わせ、めちゃくちゃ緊張しましたね。

セカンドラインはカジュアルなストリートブランド的な物でした。立ち上げがまた大変で生産背景を商社、オリ社と一から組み立てました。日本全国飛びまわり帰ってはオリジナルライン兼任してたので夜からそちら業務を夜中まで…が続きました。カジュアルなのでデニムなんか主体で岡山、広島が結構メインで通い詰めました。

元々デニム好きだったので生地、洗い加工全て新鮮で勉強になりました。生地もグラボ◯のエビスとか手掛けたレジェンドな方と開発、その他縫製もドゥニー◯の林さん(その頃オリ社で展開してました)も教えてもらいモードにビンテージな感覚も入れました。立ち上げも成功し、東京事務所もオリ社の近所千駄ヶ谷に移しスタッフも増員、30人くらいにはなってたかな〜

セカンドラインも東コレに参加、セカンドはその時の売れっ子日本人モデルを使いキャッチーにしてました。相変わらずショーでは私もフィッティングやモデルのケア、出し、片付けもやってました。アラタ、伊勢谷、池内、ユアン、アンジー、市川さん、他誰いたかな…気さくでいい人たちでした。ファーストラインは外人モデルでやりたい放題本当に大変でしたw

もうこの時にはお店も増え、FCのオンリーショップ展開でセカンドライン合わすと100店は越えてましたね、正にブレイクでした。大阪にもオンリーショップがあり昔からのボスの友達の方が運営されてました、凄く良くしてもらってました。大阪事務所にいましたので

ボスたちはどんどん新しいミッションをこなしレコードレーベルからオリジナルアルバムとか出してました。(バットニュースレコー◯)全国クラブイベントツアーとか…手伝い要員で行ってましたが客層は凄く若くなってましたね

一番良い時期でしたね  

続く

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