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日本の教育はどこに向かっていくのか?

今日は、カジュアルに日本の教育の行先について考えていきたいと思います。

私自身は、これまで千葉市の公立小中からベルギーのインター中高、そして日本の高校、大学と教育を受けてきました。また学生時代は、カンボジアで英語教育に携わり、今は日本の教育に携わっています。

詳しくは私のプロフィールをご覧ください。

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なぜ現在日本の教育にいるか、その経緯を少しだけお話すると、その理由はシンプルで、自分は日本人であり、日本のプレゼンスをもっと高めたいからです。その背景となったのは、幼少期に日本教育のレベルの高さと日本人の優秀さを感じたからです。

中学2年生の時にベルギーのインター校に転校したのですが、そこで目の当たりにしたのが、ちょっとしたQuiz (小テスト)やExam (定期テスト)で常に日本人か韓国人が理数系ではトップ5を独占していました。

正直海外の中学で習う進度が日本よりも遅く、既に学習した単元ばかりだったというのもありますが、全く英語がわからない中でも簡単に思えたのも非常にレベルの高い授業を公立でも実現できていたのだな、という実感していました。

一方で、国語や社会になると、明確な答えがないので、どう答えたらいいのかわからず思考停止してしまいました。加えてプレゼンやディスカッションばかりで、数年経ってそれなりに英語がわかるようになってからも、日本人は全体的にプレゼンやディスカッションになると、下を向いてしまう全然発表しようとしない光景をたくさんみてきました。(ちなみに自分もその一人でした。)

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日本人はもっとできるのに、知識や情報処理能力は高いのに、、
表現できない、伝えられない、考えられない。。もったいない!そんな思いは積もるばかりでした。

良くも悪くもそれこそが日本教育の象徴だったなと痛感しました。

だからこそ、私自身は日本教育に携わり、これまでの知識レベルの高水準維持をしつつ、表現力を向上させることで日本人が世界におけるプレゼンスをもっと高められるようにと思って活動しています。

いつも通り前置きが長くなってしまいましたが、そろそろ本題に移ります。

さて少し話は変わりますが、新学習指導要領では、以下のような記載があります。

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(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/09/28/1396716_1.pdf)

「学びに向かう力・人間性等の涵養」「生きて働く知識・技能の習得」「思考力・判断力・表現力等の育成」のこの3点は様々な勉強会やセミナーで取り上げられる点ですよね。

「〇〇をすることで、学びに向かう力を育むことができます...!」
「〇〇は思考力・判断力・表現力が身につきます...!」など

上に挙げたPDFで後に述べられているのは、これらの軸に対し一つ一つ丁寧に記述があるわけですが、実はこのもう一個上のレイヤーにおいて、日本はどこに向かっているのか?という点がとても重要だなあと感じるわけです。

なぜなら、日本教育の必要性を真剣に考えると、日本という国の存続のためだったり、世界における日本のプレゼンス(GDPをはじめとする経済的指標が中心)を維持もしくは向上させるためだと言えるのではないかなと思ったりします。

もうちょっと大きな話をすると、そもそも教育自体の存在意義として人類の存続と繁栄のためだったりもするわけです。それを日本教育に狭めると、日本としてどう生きていくか、というところがやはり重点を置かれるわけです。

先ほどの図に戻りますが、真ん中の部分の記載では「社会に開かれた教育課程」となっています。

そもそもなぜ社会に開かれた環境が必要なのでしょうか。

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これを掲げているということは、現在の教育業界は社会に開かれていないことを意味しているとも言えます。確かに学校は閉鎖的だなと感じるところはあります。

また、先ほどの日本教育の必要性について着目すると、社会に開かれていないとこれからの日本は大変なことになってしまうんだよ、というメッセージであるとも言えます。

なぜ社会に開かれていないと日本が大変になってしまうのでしょうか。

日本が大変、というのはすなわち経済的な欠落を意味する側面がやはり大きいでしょう。資本主義社会ですから、やっぱりお金を稼いでなんぼという部分はあると思います。

つまり、まとめるとこんな流れになります。

教育は社会に開かれていない→日本の経済が落ち込む→日本が大変

ここでもう一つ疑問があります。

なぜ教育が社会に開かれていないと経済が落ち込んでしまうのでしょうか。

この問いを考えると浮き彫りになるのが教育と経済が連動していないことがわかります。

つまり、今教育課程で学んでいることがダイレクトに経済発展に繋がっていないということです。確かに、昨今から言われている知識一辺倒の一方通行型学習ではなく、アクティブラーニングやらPBLやらという概念を使って双方向の学習をしていこうという動きがあります。それらは全て現代社会における経済活動において必要なスキルだから取り入れているわけです。

元一条高校の校長だった藤原校長先生は、情報編集力が必要だと提唱していますが、まさに情報過剰な社会において自ら考え、能動的に情報同士を編集して、クリエイティブな発想が求められます。それらの能力は現代社会に求められるスキルであることはいうまでもありません。

今までの流れを聞くと、そんなの当たり前じゃん、セミナーでたくさん聞いている、と思うかもしれませんが、先に挙げたように学びに向かう力や思考力・判断力などはあくまでその先にある「日本をの経済力を上げる」というゴールを見定めた上で、逆算し、その中で定義された項目にすぎないことがわかります。この辺りを意識している人々は非常に少ないと思っています。

では、これらの内容からいよいよ本題である「日本教育はどこに向かっているのか」という問いに対して真剣に考えていくと、"現代社会の動きをみて柔軟に変更ができる教育の体制"がとても重要なのではないかなと思っています。

もちろん上の図にもある「何ができるようになるのか」「何を学ぶか」「どのように学ぶか」に掲げている点は現代社会において非常に重要となる指標です。しかしながら、これは「今」必要なことであり、点でしかありません。

もっと本質を突き詰めていくと、これからの世界にキャッチアップし、常に最前線を走っていくことが経済活動の繁栄とプレゼンス力の向上につながると考えます。

これからの社会は、エクスポネンシャル(指数関数的に)な社会の変化が起こると言われています。それは、技術革新が連続的に起こるがためにがそうなることで、それらの変化に応じて周辺に新しいマーケットが生まれています。社会が5年、10年周期で変わっていく中で、教育のあり方も変わっていく必要があります。

教育業界に足を踏み入れて5年ほどが経過していますが、正直5年前から目指すべき方向性は変わっていませんし、まだ当時に掲げていた理想を実現できているかでいうと、ちょうどGIGAスクール構想でタブレットが一台環境が実現するまでで50%くらいの到達度だと思っています。

そして、おそらくですがこの到達度が100%になる頃には、既に求める社会はそこになくて、もっと先の社会が存在しているのだと思うのです。

根本的に日本教育が本質的に良くなるということは、時代時代で臨機応変に体制を変えながら、その時代に求められるちょっと先の未来を想像しながら向かっていくことなのではないでしょうか。そのためには、文科省→教育委員会→学校→先生間の連携が極めて重要になると感じています。

ただでさえ教育の領域は3年から6年が必要です。中学1年生が卒業するまでに3年必要です。その3年の間に社会は変化し、求められる力やスキルは変わってきます。

日々変わる状況の中で、どのように柔軟に体制を変化させながら社会に通用する人材を育成していくのか。この意識をどれだけ多くの教育従事者が持つことができるか。これこそがまさに日本教育が目指すべき方向性なのではないかと考えます。

まだまだリサーチ不足や示唆が乏しいとは思いますが、この辺りを真剣に議論していきたいなと思います。

みなさんにとって日本教育をどう定義しますか?

そして、我々の教育はどこに向かっていますか?





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