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あるべき論が主流になる時代到来の予感 ~良いものは良いと評価される社会~

今日は、コロナ禍における様々な注目トピックスに対する民衆のリアクションやビジネスで成長している企業の傾向をみていると、本来あるべき論であったり、今の時代に必要な本当に良い商品、良い制度が脚光を浴びる時代になってきたな、ということを思ったので書いていきたいと思います。逆にいうとこれまではなかなか"あるべき論"が主流には時代だったのかなと思います。少し教育から飛躍した抽象度高めな投稿ですが、教育業界にも同じことが言えるので、最後に教育業界については言及します。

これまでの社会 - あるべき論よりも巨大資本やマウンティングがものを言う時代 -

これまでは、本来のあるべき姿であったり、本質をついた正論よりも、大きな資本力を持つ法人や地位の高い人がある意味力技のごとく、彼らの方針を正解にしてきた流れがあります。

これは大量生産、大量消費時代において、良いものや正しい声があっても、大量の商品の中で埋もれてしまっている現状がありました。

これは時代背景が影響しており、とにかく「たくさん作って」「たくさん売る」そして人は、「とにかく早く動いて」「早く捌く」世の中でしたから、このたくさんの中から消費者に消費してもらうためには、多額のマーケティング費用をかけて、多くの人に認知してもらえた商品が購入される傾向にありました。消費者もとにかくたくさん消費していましたから、できるだけ安く、利便性の高いものを好んでいましたので、規模の経済で有利に立つ大企業の商品を購入する時代だったかなと思っています。

生産者は、たくさん作り、たくさん売る・早く動き、早く捌く傾向
→ 消費者も「安い、うまい、早い」を求めていた 

しかし、近年のSDGsの認知度拡大に伴う持続可能な社会の実現のために経済活動をどのように推進していくかという風潮やESGの重要性の高まり、スマホをはじめとするインターネット・テクノロジーの発展により個別最適によって、個人でもツイッター等のSNSで多くの共感を呼ぶことが可能な社会になっています。

つまり、個人ベースで良い商品の発信、良いと思われる思想や発言が多くの人に届くということです。

消費者は個人の好みや良いと思ったものを買う、嗜好もサステナブルを意識
→生産者は好みに合わせた商品を売る、持続可能性を考慮した商品開発

以下の図に経済活動と消費行動に関して「これまで」と「今、これから」の比較表としてまとめました。

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今の経済活動を見ているとまだまだ大企業は資本力を使って多くの人に認知するためのマーケティング活動をしていたり、個人ベースで発信できることを利点にSNS広告やYoutube広告などで商品のポテンシャルの100%以上ものアピールを行っています。

しかし、現代社会において商品のマーケティング活動による最初の印象と実際に使ってみた時の実態が伴っていない商品は初動は良くても中長期的には良い商品に淘汰されているなと感じています。

なぜならそれは遅かれ早かれインターネットを通して見える化してしまうからです。良くも悪くもインターネットの登場により、ブラックボックスになっていたことが見えてきています。

これは商品でなく組織体制でも同じことがいえます。今までは組織のトップ以外がメディアに出ることもない時代でしたから、管理職の力技でパワハラも過剰な労働を強いることも簡単にできる社会でした。しかし、現在これだけパワハラやブラック労働などが叫ばれているのも、様々なインターネット媒体を通して多くの人に"リアル"が認知されているからに他なりません。官僚のシステムの機能不全さが露呈しているのも一緒です。

これからやるべきこと、大事なことは"常に良いものやこと、誠実さ"が勝てる時代

これまであげてきた内容から、これからどのような行動をするか、ということを考えていきたいと思います。

タイトルにもあるように、"良いものやこと"というのは前提にあります。何をもって「良いもの」と定義するかは様々ですが、大きくは、これからの社会にとって良いもの、地球にとって良いこと、というのは間違いありません。

SDGsやESGの流れにあるように、企業の利益至上主義ではなく、社会的にどのように良いものを作っているか、良いことをしているか、という部分が判断軸になっています。(もちろん営利活動なので自社の利益を追うのは当たり前ですが)

日本経済はこれまでの慣習を大切にしたり、まだまだ近視眼的にどのように自社の利益をあげていくか、という部分が根強く残っているなと感じています。私たちの生活は当たり前で溢れかえっています。これらを一つずつ当たり前だと捉えない、ということは大事になってきます。ただ、少しずつ上にあげたようなインターネットによって”見えてきた部分”があり、それらの主張はだんだんと強さを増している傾向にあります。

これからは自分たちが行っていることやものが”良いこと"なのかを考え直し、"良いこと"に今の事業を転換するにはどうしたらいいか、がある意味今後の事業成長につながっていくと思います。

そして、"誠実さ"というのももう一つの重要なキーワードだと考えています。つまり、良いものは良い、悪いものは悪い、といった正直さ、に加え良いものを作りたいと素直に思い、愚直に改善に努めようとする姿勢も大事です。

これも良い意味でインターネットを通して伝わっていきます。反対に少しでも手を抜いている様子や不誠実さというのも周りに伝わってしまいます。

なので、良いことやものを作っていくには、同じレベルで誠実さも求められます。

教育業界はどうなのか

教育はというと、そもそもの産業構造的には教育自体が社会にとって"良いこと”に分類されていますが、「どのような教育をすべきか」ということはまさに変わってきています。

詰め込み型学習からの脱却、個別最適化、探究学習の台頭などは未来の社会で活躍できる人材育成のためにすべき「良い教育」になっていきます。

やっとこさGIGAスクール構想によりICT教育が加速化したのもそうです。あるべき姿というものは、いずれは現実になります。

また、よくメディアでも話題にあがる「先生の働き方」もあります。理想は、先生= 教える専門家であり、それ以外の業務は外部の人に任せてもいいかもしれません。このようなあるべき論は実現されるべきですし、もう少し時間はかかると思いますが、いずれは達成されるのではないかと感じています。(なぜならこの課題意識は教育業界なら誰しも感じており、教育外の人でも認知している人がいるほどあるべき論があるためです)

このようにして、多くの人が唱えるあるべき論というのは概ね社会にとって"良いこと"なので遅かれ早かれ実現する日が来ます。

普段使っている教材、学校の建物自体、先生、働き方、保護者、校長、人事制度、子どもたちなどなど”あるべき論"がそれぞれあると思います。

これらのあるべき論を一つずつ、どう実現すべきか、を地道に考え伝えていくことが必要なのだろうなと思っています。

みなさんもどんなあるべき論がありますか?





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