集団の中にいるのに・・・孤立??「つながり」をきちんと考えてみませんか?

さて、突然ですが・・・以下の文章の訳を書いてみて下さい。ちなみに、これはかなり前の東京女子大学の入試問題で出た長文からです。

大学受験生を指導している際に、この文章を使用しジェンダー論について話しました。ちなみに、But以下の文章の和訳に注意が必要です。実際に紙などに書いて考えてみてください。

大学受験の時の気持ちになって訳してみてください。

More than at any other moment in human history, increasing numbers of us are becoming conscious of our deep need for and dependence on others for life in every sense of the word-physical, emotional, spiritual. 

But paradoxically, we have never been lonelier as individuals, nor more separated, one from the other.

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できましたか?本当なら、訳し方のポイントを説明すればよいのですが、そこがポイントではないので、和訳を書きますね。(ちょっとした頭の体操をしていただきたかっただけです)

(和訳)「私たちは、あらゆる意味での生活において、精神的、肉体的、情緒的に、他人を強く必要とし、より他人に依存していることをますます強く意識する人が増えてきた。しかし、逆説的に、今よりも、個人としてものすごく孤立し、相互に孤立している時代はなかったのである。」

この文章から何を考えてほしいか?「他者に依存しないといけない現代社会であるはずなのに、集団の中から孤立しているということ」です。

こうした社会の中で、学校という場は何を子どもに伝えていくべきなんでしょうか?学校という場で、極端に集団での指導、集団を意識した指導というものは考え直さないといけません。

人間は社会的動物であるからこそ、一人では生きていけません。だからこそ、人と支え合い、助け合うことが必要です。

ただし、集団、集団…とみんなで一緒を強調しすぎると、実は個人としての自分が浮き彫りになり、集団→個人という移動の際に、「一人って寂しい…」という心の動きがあるのかもしれません。(本当は一人でもなんでもないのに・・・)

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だから、こんな風刺画のようなことが現代社会では起きているのかもしれません。一つはっきりさせておきたいのは、ネット社会のせいでこうなった、とか、もっと孤独な人がなくなるようにしましょう、という決して悲観的に、考えの矯正をしようとは考えていませんので、その点はご留意ください。

この矛盾に気付いていただけるでしょうか?SNSを使っている方なら、そのことを意識する瞬間が多いかもしれません。「あれ?ネット上で人とつながっているのに、人とつながっている感触があまりない…」「一人じゃないことがわかるのに、一人のような感じがする…」

その感触はいろんなところで感じるのですが、多くの人はスルーしてしまうのです。それはスルーすると、恐ろしいことになるという僕の体験談をしますね…。(もし僕の知り合いが見ていたら、恐縮ですが、決して過去の出来事を掘り返して追求しようとは思っていませんので…ただ、僕の心の変化を追っていただけると嬉しいです)

(高校時代…)

クラスでテスト前になると勉強会をしていたのです。その勉強会は始めは、みんなの分からない問題を聞いていただけなんですが、同じ問題を質問されることの面倒さから一気に教えることをしたのです。黒板を使って解説をしました。

思ったより受けが良くて、高1の5月の中間テストから続けたのですが、それを3年間テスト前欠かさずやっていました。中には、「自分の勉強は大丈夫なの?」と心配されることもあったのですが、「教えることで自分の勉強ができているから大丈夫やで!」と答えていました。

高2になると、女子7人と僕の勉強グループが出来たのです。(男からすると、ハーレムですよね(笑))そこの女の子たちから勉強のことに関して、恋愛のことに関していろいろと相談されるようになったり…とそれなりに高校生らしい生活を送っていました。ただし、その女子7人に対して恋心を抱くようなことはありませんでした。

そのころから一つ違和感があったのです。

「あれ?俺は何のために必要とされているんだろう…本当はみんなと仲良くなりたかっただけなのに…みんなと距離を感じる自分がいる…」

これは気のせいだと特に気にも留めなかったのですが・・・

そして高3になると受験直前ということで、僕は6人ほどのグループを作り、数学の入試問題を解いたり、英語の長文読解演習のプリントを作り、解いたりしていました。(この時の経験があるから、教材作りが楽しいと思っています)

その時も、高2の時の女子7人のグループの子たちともそれなりに仲は良かったですし、文理の枠を超えて僕に聞きたりしていましたね。(ちなみに僕は文系でした…FBでつながった方には伝えていませんでしたが…)ただ、やっぱりあの時の違和感には引っかかっていたんです。さらに拍車をかけたのは、周りでカップルが大量にできたこと。そういう話を聞くたびに、

「みんなには心のよりどころになる人がいるのに、俺には何でも気軽に話せる心のよりどころのような人がいないんだな…一人で戦っていくしかないんか…」(もしかすると、ずっと一人なんかな…)

(ちなみにこの感情は最近(2021年になっても)までちょくちょく感じていました)

と感じていました。

そんなある時、事件が起きました。

学年でUSJに行くとなった日(忘れもしない10月24日です(笑))の1週間ほど前…

高3になってできたグループ6人の中の2人の子と帰る途中…その時僕と男1人と女の子1人いました。その女の子から・・・

「USJとか行くん?なんか、私の友達とも話してたんやけど、「USJとかの遊園地で楽しんでいるイメージないな~!遊園地とか行かなそう」って言っててん」

その時、僕の何かが切れた感じがしました!その2人に対し、大激怒していました!そして気が付くと、近くの物に当たっていました。

大声を出し、ものにあたる姿勢を見た2人の友人は恐怖を感じ、女の子は泣いてしまいました。結局、怒りは15分ほどで収まったんですが…

僕としてはその時、そういう風に自分達とは別の人間のような扱いを受けたことが悔しかった。集団の中にいて、一人ではないと感じていたはずなのに、いつの間にか一人のような状態を作り出してしまったんだ、と。

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その原因がまさか、自分が良かれと思って勉強を教えていた行為だったんだ、と。教えることで上下関係ができてしまって、同回生間だとそれが、距離感を生み出してしまうことになったのです。上下関係ができると、上に立つ人間は楽かもしれない、と思いましたが、それゆえに距離を作り、別次元の人間として扱われるという予想だにしなかった結果になったんです。

だから、思いました。

上下関係で何かしても結局孤独感が増えるだけかも。なら、対等な関係づくりを意識してみんなでスクラム組むかのようにある問題に取り組んでいこう!と。

改めて皆さん、本当の意味での「つながり」を考えてみませんか??



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