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愛について大学生が考えてみた!③

明けましておめでとうございます!

今年はいろいろ環境が変化する年になるので、体調を万全に、教育について、愛について考えられる1年にできればいいなと思います。

今年も多くの方と出会い、自分の教育観についてアップデートできることを楽しみにしています。

さて、年末から僕がなぜ「愛」について考えるようになったのか、そのきっかけとなることを僕なりに考えている話をしていました。この投稿は、①、②からの続きですので、以前の投稿を読まれていない方は先に読まれてから以下の投稿を読んでいただくと、内容がスムーズに理解できるかと思います。

僕が愛について考えるようになったのは、人間関係で「承認されたい気持ち」とは裏腹に、「ステイタスを下げたくない」というわがままとの葛藤に悩み、折り合いをつけようと奮闘するも、フラットな視点で見てくれなかったことへの嘆きに大学1年生~大学2年生の間は苦しむことになった話をしました。

②の記事で、「友達をつくる」ことについては言及しましたが、「お付き合いをする」ことについては話していなかったので、書ける範囲で書きます。(関係者の方へ最大限に配慮して書きます)

反応は1通り!それを追求すれば…

②で登場したAさん以降、お付き合いをしなかったわけではありません。お付き合いをしたいな~ということで、合コンにも参加しましたし、書籍などで方法を調べました。そして、仲良くなった子とLINEを交換し、デートして付き合う事もありました。(ただし、それほど多くの方とは付き合っていません)

ただ、付き合ったとしても短い間で、自分が彼女を作ってやりたかったなと思う事をかなえることはできませんでした。今考えれば、付き合った女性を尊重する気持ちは十分に持てていなかったなと反省しています。

②でも言及した通り、何事にも全力投球だったことが、恋愛でも空回りする原因になったのです。目の前の方を機械のように考えていたのです。僕がある行動をすれば、女性はこうなる、という方程式に当てはめたかのような対応を必ずしてくれると期待していたのです。

大学2年生の夏。ある女性とお付き合いした際に、女性が誕生日という事で、僕はプレゼントを贈りました。しかし、そのプレゼントもその女性が欲しいと思っているものより、僕が女性に送れば、喜んでくれるだろうとネットや書籍で調べたものを買って渡していたんです。(例えば、マグカップとか)

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今思えば、バカなことをしていることを理解していますが、当時は、それで女性は自分により興味を持ってくれると期待していたのです。そこに女性の感情のプラスの変化などあるわけないのです。どちらかというと、女性からすれば、「え、いらんねんけど…」とか、「なんでこんなもの渡すの?」という気持ちの方が大きかったかと思います。

どこまでも自分を主語にしていたこともあり、「自分がこうしたい」と思ったことに突き進んでいっていただけなのです。そうして突き進む様子は、いつしか必死さを生み出し、「重い」とか考え方の違いにつながり、破局につながったと考えています。

女性(女性だけに限らず他人)の気持ちをきちんと考え、言動から行動を推測する必要性はこのとき身に染みて分かりました。「僕は人間と接しているのだから、その方程式は必ずしも成立するわけではないよな~」と気付いたんです。

今までの自分はどこか他人を量的に見ていたところがあったのです。僕があるAという行動をすれば、他者は必ずBという反応を起こす。そのAとBの関係性を追求することに必死になっていたのです。しかし、A→Cになることもあれば、A→A’のような反応が起きることもあるはずです。しかし、僕はそのCとかA’の可能性を捨てて、Bだけだと過信していたのです。

質的な側面の重要性や、質的なものへの追求はこの時から興味を持ち始めていたのかもしれません。(実際、勉強で取り組み始めるのは、2021年夏ごろからですが)

次こそは失敗すまいと奮起するが…

そうして、時は流れていき、次に付き合った方とはこうした失敗をしないように配慮をしていました。女性が何を求めているのか、何を聞いてほしいのか、それに耳を傾けていました。しかし、付き合ってもすぐに別れることに。これも今、考えると自分が悪いのです。

何が原因だったのか。必死さからくる余裕のなさだったのです。それは大学2年生の時にも同じことをしていました。僕はいろんなネットの情報や書籍の情報から「男性がリードしないといけない」「女性をエスコートするつもりで」という言葉を見て、何でも自分で決めなきゃ、自分が話題を提供しなきゃ、と焦っていたんです。

その焦りが女性にも伝わり、焦る僕についていけなくなり、「私と付き合うのは間違っているんじゃないかな…もっと、私以外にもあなたが求めるようなことをしてくれる女性はいっぱいいるよ」と言われたのです。

間違いなく、僕は焦っていました。現に、このことをある方(Eさん:仮名)に相談した時に、「何をそんなに焦っているんですか?あなたは女性ときちんと向き合えていますか?あなたにとって女性は何なんですか?」とはっきり言われました。当時は、「俺のこと何にもわかってないくせに!」と反抗していましたが、ゆっくり考えると、この方の指摘はまさにその通りだなと思いました。

この焦りの原因は②にも書いた通り、「みんなと仲良くなりたい」という思い、孤立したくない思いの結果でしょう。女性とつながることができれば、僕は孤独にならずに済む、そしてステイタスが(アイデンティティが)維持される。そう思っていました。

結局、僕は恋愛に関しては何一つ進歩していなかったんです。女性をモノののように見ていたこと、女性と付き合う(できれば綺麗で美しいと思われる方)ことが自分のステイタスを上げること、そのために僕がリードしなきゃいけないこと、この3つの思考が恋愛では、3年間ずっとあったのです。

袋小路から抜け出すきっかけとなったFさんの存在

そんな時に、ある方(Fさん:仮名(なお、僕は勝手に師匠と呼んでいます)と出会い、あることを教えていただきました。

「女性のリードしてくれる男性って余裕があるってこと。その余裕って、女性の発言で簡単に揺らいだりしないことだよ。女性は感情のジェットコースターの中で生きているから、会うたびに感情が違う。それに振り回されているうちは、君は一生変わらないよ。」

これを聞いて以来、多少の発言で揺らぐことをやめたんです。それは、結局、その方の外面的なことにしか触れていないから。例えば、「ゆうき君のこと嫌い!」といわれたら、すぐに落ち込んでは意味がありません。なぜ女性はこの発言をすることになったのか、時間をかけてゆっくり話を聞くこと、その思いを汲み取ることを大事にしようと思ったのです。

それからというもの、自分が感情ジェットコースターの餌食になることはなく、落ち着いて話を聞くことができるようになったのです。


ここまでが大学3年生までの話です。

お付き合いをするって言葉は簡単ですし、付き合えれば、楽しい、嬉しい、というプラスの感情がまずあるでしょう。しかし、人生がずっとバラ色となるわけではありません。人間なんで、多少喧嘩もしたり、八つ当たりすることもあるでしょう。そこを捨象し、楽しい部分だけ切り取ると、「こんなはずじゃなかったのに…」とがっかりするかもしれません。

人は孤独になりたくない、孤立になりたくない、という思いを根源的に持っています。その思いから抜け出すにあたり、「お付き合い」するというのは大変即効性があるのです。僕も、お付き合いすれば孤独感を解消できると本気で信じていましたから。ですが、自分の感情を無視したり、相手の感情に配慮しないことは違います。僕は、その視点が欠落していたのです。

僕はリードすることに意識を向けすぎて、自分が目の前の女性のことを愛しているのか、好きなのか、全く考えていませんでした。それが結果さらに自分の首を絞める結果になったのです。

大学4年生になり、もうすぐ学部生の4年が終わろうとしていますが、この4年間で「恋愛」に関しての一番の教訓というと、「自分の感情に従うこと、相手の感情に耳を傾けること」です。それに気付けたから、今は別の方とお付き合いして幸せな生活を送ることができています。

「性愛」や 「恋愛」は、自然発生的な感情から始まるのですが、それを無視したが故の結果だという事を僕の経験談から理解いただけると嬉しいです。


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