なぜ、私は時間を守る人は信頼できると考えるか?

さて、今日は教育にも関わる話をします。

皆さんのまわりにもいませんか?時間を守らないことに対して平気な人。

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僕は基本的に、時間を守らない人間は信用していません。ただし、全員がそうというわけではありません。時間が遅れる(遅延や用事が押している)ことがわかって連絡してくれるのなら、そうではありません。

多くの方は「時間を守らないといけない」と当然のように考え、行動してくださいます。遅れることがあれば、きちんと連絡してくれますし、自分が遅れそうになった場合は、そのことが分かった時点で、きちんと相手の方に連絡を入れます。それが、先輩や後輩、同期、友人、赤の他人関わらずです。

ですが、ほんの一部に「遅れることに無頓着」で、遅れることを平気にしている方がいます。そういう方と接すると、「二度と関わりたくない」という思いになります。実際、僕はそういう方は一度でもそういうことをしたら、信用なり信頼をしないようにしています。

それはなぜでしょうか?

それは、「人の命の一部を消費している感覚があまりにもなさすぎるから」です。

例えば、ある方が資料の提出を「今日の21時までによろしく!」と言ったとしましょう。その人は適当に21時と言ったのでしょうか?21時でないと駄目な理由があるはずです。明日の会議に必要だから、その方がじっくり資料に目を通したいから、色々考えられる理由があるはずです。

もし、その時間に提出しないという事は、他の業務や予定が圧迫されるのです。その人の時間を、命を、一部ではあるものの消費しているのです。

ある人のために時間を使うのではありません。自分の人生は自分のために使うのが最も良いことだと考えます。

遅刻だけでなく、人の時間を消費することに何の悪気もなしに堂々としている方は、人の命の一部を消費している感覚が少し欠けているのではないかと考えています。一度ならずとも何度も繰り返すなら、その人への信頼や信用度は回数に反比例するのではないかと考えます。

裏を返すと、時間に律儀な人や仮に遅れても、申し訳ない気持ちになる人は他者の一部を消費している感覚があるからではないかと考えています。

時間に無頓着な人が、もう少し他者への愛の気持ちがあるのなら、小さな問題かもしれませんが、嫌な思いをする人が少なくなるのかもしれないと感じた秋の夜長の一日です。

皆様は時間を守らず、無頓着な人にどんな印象を抱きますか?

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