【海外駐在】住めば都~新しい環境でも前を向いて生きるコツ
こんにちは、Edubalアンバサダーの葉子です。
帰国子女=バイリンガル! ではなく、今回は「環境の変化」について書きたいと思います。
海外赴任と言えば聞こえは良いですが、それには数々の試練も伴います。海外に移住したとき、そして日本に戻ってきたとき……ほとんどの子が(親も!)、大きな環境の変化に戸惑うことでしょう。
そうした戸惑いを、少しでも和らげてあげたい。10歳で渡米→15歳で帰国、18歳で渡米→19歳で帰国、さらに3〇歳で渡米→3〇歳で帰国した私が思う、こうすれば新しい環境でも前を向ける(かもしれない)方法を紹介したいと思います。
日本なんて大嫌い
前述したように、私自身も子供の頃からアメリカと日本を行き来してきました。とくにカルチャーショックが大きかったのは、15歳で日本に帰ってきた時です。
小5になる春に渡米し、中3の1月に帰国した私は、誰もが同じような髪型と服装をし、中学生は髪を染めては駄目で(少し染めてた)、ピアスが禁止されていて(しっかり開けてた)、女の子同士で手を繋いでトイレに行く(絶対に嫌!)日本が、すぐに大嫌いになりました。
現代のようにインターネットなどを使ってリアルタイムで日本の音楽や芸能情報を知ることができなかったからなのか、補習校に通っていなかったからなのか(私が書いた1つ目の記事参照)、完全なる浦島太郎状態……それも、反抗期の浦島太郎状態でした。
同じ轍は踏ませたくない
良い高校に出会い、大人になり、だんだんと日本の生活に慣れてきていた私が再び渡米したのは、2013年の夏のことでした。当時の子供たちの年齡は、4歳、7歳と10歳。奇しくも、長女は私が初めて渡米したのと同じ年齢でした。
アメリカ生活
アメリカでは、思いきり現地の生活を楽しみました。最初こそ毎日泣きながらキンダーに通っていた長男も、英語が喋れないせいでクラスメイトに嫌なことをされ悔しい思いをした次女も、なかなか現地の生活に馴染めず毎日お腹を壊していた長女も……。
少しずつ友達を増やし、夢中になれるスポーツを見つけ、現地校の勉強も頑張り、いつの間にか現地で生まれ育ったのではないかと思うほど、アメリカ生活をおおいに楽しみ、スポーツでも学業でも大活躍していました。
帰国
2020年8月、7年間にわたってアメリカを大満喫してきた私たちは、日本へ帰ってきました。アメリカでハイスクールを卒業していた長女は大学受験の準備、日本の学校は小学校に3ヶ月通っただけの次女は中学2年生、日本の学校はまったく初めての長男は小学6年生として、言葉こそ通じるものの、またまた慣れない環境での挑戦が始まりました。
そして、このときに頭をよぎったのが、自分の「日本なんて大嫌い」という苦い記憶。あの頃の自分みたいに、見るもの聞くものすべてをアメリカと比較し、拒絶するようになってほしくない!
気をつけたこと
幸い、帰国先の長崎では誰もがも優しく、温かく迎え入れてくれたため、それぞれ公立の中学校と小学校に転入した次女と長男は、(少なくとも私から見て)すんなりと馴染むことができたようでした。
その上で、私が気をつけたのは「良いほうに解釈する」こと。アメリカでも意識的にやっていたことですが、とにかくポジティブに捉えること。
NG アメリカって適当で嫌だよね
OK アメリカって大らかで良いよね
NG 日本っていちいち細かくて嫌だよね
OK 日本って何でもピシッとしていて丁寧で良いね
さすがに言い繕えない……ということもありしたが、そういうときは、「まあ、It is what it is(そんなもんだよね)」というふうに、なるべく軽く流すようにしていました。
それから、「みんなあなたのことが好きなんだよ」というメッセージを伝えるようにもしていました。
これは長女が幼稚園に入園する頃から意識してやっていたことなのですが、先生は〇〇のことが大好きだから危なくないように注意してくれたんだね、△△ちゃんは〇〇と仲良くなりたいんだね、というふうに、子供に「相手が自分に好意を持っている」と思わせることができれば、自然と友好的な態度になり、それを嬉しく思った相手が良くしてくれるはず……(良い循環)。そう考えていたからです。
まとめ
子供は親を良く見ています。親が文句や愚痴を言えば悪い印象を持つし、その逆も然りです。たまに、ウッと思うこともありますが、少し立ち止まって、良い解釈はできないかな? と考えてみることをお勧めします。どうにもならない場合もあるかもしれませんが、きっと良い循環が生まれることもあるはずです。