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第3稿:Z世代のキャリア闘争〜ハーフのもがきと苦しみ〜

引き続き読んでくださりありがとうございます。今回は志望校決定から当時の勉学状況まで、寄稿したいと思います。次の稿で高校編は終わろうと思います。

#4 引退〜高校生活その3〜

2014年の6月に最後の試合があり、部活動を引退しました。高校バスケ生活は試合に出られる機会はあまり多くはありませんでしたが、最後の追い上げでベンチに入ることが許されるまで努力を続けたことは一生の財産になりました。一緒に頑張った当時のメンバーは今でも交流があり、”高校時代の友達は一生の友達”とはよく言ったものだと思います。こうして3年間挫折と苦難の連続だった高校バスケ生活は幕を閉じました。

3年間を振り返ると、プライドなんて本当にいらなかったなと思います。本当に純粋にバスケットボールという競技を楽しんで、自分なりに試行錯誤して、昨日の自分より上手くなることだけを考えれば良かった思います。ただ、この経験があったからこそ、自分自身を振り返り、わからないことや知らないことは恥ずかしいことではないという今の考えにつながったと思います。

もちろん最低限ググったり、関連資料を読むことは絶対に必要ですが、基本的にわからない事があればとにかく有識者に聞く事が大事だと思います。数あるコミュニケーションの中でも、これがしっかりできるかは仕事、ひいては人生の質を高めることに繋がると確信しています。

#5 希望学部決定〜高校生活その4〜

一方で学業については、早慶を目指すという線で決めたもののどこの学部にするか悩んでいました。「自分の興味のある分野を4年間学ぶ学部と大学を半年〜1年以内に決めてね」と言われているみたいでなんて理不尽なことだろうと思いました。自分が何をやりたいかなんて、やってみるまでわからないし、好きな分野をそもそも見つけることなんて本当に難しいことだと思います。

しかし自分の中でコンプレックスになっていた事がありました。それは母親がフィリピン人で且つミドルネームもあるのに英語を一切喋る事ができない事でした。名前だけで期待され、いざ英語を喋る事ができないとがっかりされる場面が多くて、その度に悔しい思いをしていました。

志望校を決定する際には、1つの出会いもいいきっかけになりました。高校2年次後半に出会ったテニス部の男の子でオーストラリアに1年間東京都のプログラムで留学しに行った子がいました。オーストラリアから高校2年の秋に帰ってきて、たまたま僕と同じクラスになりました。彼もハードに勉学に励んだことは重々承知ですが、英語の授業で彼の英語の発音や自信に満ちたコミュニケーションを目の当たりにしたときに、自分自身もそうなりたいという思いがありました。

そこで僕は英語が喋る事ができるようになれる可能性が高い場所を選ぼうと学部の軸を決めました。その中で1番に引かれた環境は早稲田大学の国際教養学部でした。現在でもそうだと思いますが、強制的に1年間の留学を課せられるので行けばどんな結果になろうと留学生活を送れるという環境が大変魅力的でした。

その他に類似した学部がないか調べたところ、ざっと下記の大学・学部がいいなと思いました。とりあえずこの中でも最難関だろうと予想される早稲田大学の国際教養学部を目指しとけば、他も受かるくらいの実力が付くだろうと思い、同学部を第一志望にし、勉学に集中しました。

上智大学 外国語学部
青山学院大学 総合グローバル学部
明治大学の国際日本学部
立教大学の異文化コミュニケーション学部

全ての学部を個別入試で受けると受験料だけでバカにならないお金がかかるので、MARCHはセンター試験•上智はTEAP入試で決められるように勉強を頑張ろうと決心しました。TEAPは当時上智大学が新規で打ち出した受験方針で、上智が提携している英語力を図る試験であるTEAPの成績がよければその学部の英語の試験が免除されるというものでした。

新しい受験方法は絶対避ける人が多いので、逆張りでTEAPの試験を受ければ倍率が下がるだろうという仮説のもと、そちらの受験形態で同校を受けることにしました。

部活引退後も平日は帰宅後、ずっとオンライン授業を聞き、各科目の知識を詰め込んで演習を4~5時間くらいやったと思います。勉強する中で特にいいなと思った習慣は、①寝るときにその日の勉強内容を思い出すこと&②翌日に昨日勉強したところの重要項目だけさらっと復習することの2点です。寝てる時に脳は情報を整理してくれるらしいので、寝る前に当日やったことの振り返りを脳内で行うことを意識し始めてからは、勉強の効率が非常に上がったと思います。

休日は1日15時間くらいを勉強に捧げていたと思います。基本的に英語・日本史・国語を1日で5:3:2の割合で勉強してました。早稲田大学国際教養学部は英語の配点が非常に高かったので、まずは英語を攻略することを念頭にプランを組んでいました。英語が飽きたら日本史、日本史が飽きたら国語というように教科を回し、別の教科をやることを休憩にする形で勉強しました。狂ったように勉強して、親からも心配されましたが、僕がこれだけ頑張れたのは、次の項で記載する状況があったことも理由にあります。

#6 ライバル心〜高校生活その5〜

遡ること高校1年生の終わりに自分の人生で初めての彼女ができました。しかし、当時の僕は彼女との接し方が全くわからず、2ヶ月も経たずに別れてしまいました。その後サッカー部の人とその子は付き合ったのですが、自分が別れた後に当時幸せそうに過ごしている彼らを見て、強烈に落ち込んだことを覚えてます。

高校3年生になり、たまたまそのサッカー部の彼が同じクラスになり、「俺早稲田第一志望だから仲間だね」と言われた時に、すごく斜を構えていた僕は、「コイツにここで負けたら、生きている意味なし」と勝手にライバル心を燃やしていました。しかもその子はめちゃくちゃ予備校で俺今ここまで勉強進んでるんだぜ的なことをアピールしてくるタイプだったので、塾に行かずに勉強をしていた僕は尚更負けたくないと思いました。

勉強は必ず報われます。とにかく量をやること、周りが休んでいる間に時間を投下して走り続けること。これだけです。余談ですが、この経験を全て弟にも還元し、塾に行かずに大学受験を突破させました。次回は僕の大学受験の終盤から高校生活の終わりまでを、寄稿します。高校編が終わり、その次からは大学編について話していこうと思います。

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