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滝沢歌舞伎のライブビューイング観てたら、日常で感じてるモヤモヤの正体がわかった

先日、友だちと滝沢歌舞伎ZERO FINALのライブビューイングを観にいったんです。「滝沢歌舞伎」っていうのはSnowmanが新橋演舞場でやっているショーのことです。

昔、タッキーがまだ現役でメインでやっていた頃に、わたしが好きなV6三宅健くんがゲスト出演していて、幸運にも2017年・2018年は新橋演舞場にて観劇することができました。

当時はSnowmanというユニットは既に存在していたんですが、まだデビュー前のジャニーズJrだったので、「こういう人たちがいるんだな〜」って漠然と思ってたのを覚えてます。V6はデビュー10周年のタイミングから解散する26周年まで、コンサートにジャニーズJrを入れず、6人だけでステージをやっていたので、わたしはJrの知識が皆無。多分他のデビュー組のファンだったら、「いつもコンサートのバックについてくれてる誰々くんだ!」みたいなのがあったのかもしれないのですが、V6ファンはそうはいかない。健くんにめちゃくちゃなついていて、度々健くんのラジオで名前が出ていた佐久間くんと、当時ロビーに展示されていた手書きの天気予報の作者である阿部くん(気象予報士の資格を持っている)だけ、当時顔と名前が一致してました。今考えると、一人ひとりをもっとちゃんと観ておけばよかった…タッキーと健くんばっかり観てた…。

ひとつ強烈に覚えてるのは、2018年の滝沢歌舞伎を観劇後に近くのカフェに入ったら、同じく観劇をしていた若い女の子3人組と隣のテーブルになって、どうやらその子たちはSnowmanのファンっぽい感じの会話をしているんです。なんでわかったかっていうと、テーブルの上にジャニショで買った写真がいっぱい並んでたからです。一人のリーダー格っぽい女の子が「ふっか」「ふっか」って何回も言ってて、その「ふっか」を見るために、ほぼ毎公演 観ているとのこと。若いのにどこからチケット代を?そもそもどうやってチケット取ってるんだ?と色々な疑問が頭の中をふわふわ、そして何よりも「『ふっか』って何者!?どんだけかっこいいの!?」って思ったのを覚えてます。そして帰りの電車でのネット検索によって、「ふっか」が、あの「お丸ちゃん」(コミカルなキャラクターで決して二枚目ではない)であることを知り、なんとも言えない気持ちになったことを覚えてます。今では、バラエティ番組やYoutubeを見て、私もふっかの良さがそれなりに語れるくらいにはレベルアップしたんじゃないかなと思います。

レベルアップのきっかけになったのは、友だちの熱心な布教活動?のおかげです。全員の顔と名前はバッチリ一致してますし、ライブDVDやPVのマルチアングルなどを勉強させられ?ました。(いい意味で)

2018年以来、5年ぶりに滝沢歌舞伎を観たんですが、当時タッキーや健くんがメインでやっていたことを、Snowmanがしっかり受け継ぎながら、タッキー時代を知らない人が見ても、Snowmanのショーとして十二分に成り立つ素晴らしさ…そして随所にタッキーの存在を感じさせる演出やカメラワーク。V6ファンとしては、最後に「LOVE」っていう楽曲を歌うんですけど、それが作曲:タッキー、作詞:三宅健っていう、KinKi Kidsの「愛のかたまり」ばりの最高の布陣(作曲:堂本光一、作詞:堂本剛)。健くんがあの時そこにいたことを、歌という形で最後まで残してくれたことに感謝です。「LOVE」には途中ラップのパートがあるんですけど、それが めちゃくちゃV6サウンド。「太陽のあたる場所」とかを出してた、1990年代のV6サウンドみがありすぎて、「三宅健やってくれたな〜〜〜〜!!!!」って感じです。ジャニーズJrの子たちがラップパートを歌っていたんですが、わたしには「あの頃のカミセン(V6の年少3人組のユニット名)」に見えました。2018年はそのラップパートをSnowmanが歌っていて、カミセンラップ(いま勝手に名付けた)を、Snowmanが、そして今のJrが、世代を超えてその時代の若いパワーで歌い継いでくれるエモさが「LOVE」にはあります。

熱烈な「ふっか」ファンの女の子とカフェで居合わせたときは知らなかったんですけど、最近「ふっか」と自分が同い年であることを知り、Snowman思ってたよりめっちゃ同世代だったという驚き。

ライブビューイングを観て、視聴者としてショーとしての素晴らしさを純粋に感じながら、人として同世代の人がこんなに頑張ってるんだなってことに励まされたり、大千穐楽を目前に控えて感極まってる様子のメンバーを観て、社会人としてこんなに感情が動くような仕事って自分にはこれまでなかったし、今の仕事だったらこれからもないだろうなって思いました。

終盤のシーンで、佐久間くんが泣きそうになってるのを堪えてるようにわたしには見えて、別に泣くシーンとかじゃなくて、おそらくあと数公演しかない彼らの思い出や時間に対しての涙で、台本から出さされた感情じゃなくて、本人から出てきた感情だと思うんですけど、

わたしの仕事の中で、自分自身から出てくる感情にこんな種類の感情あるのかな?って佐久間くんの表情を見て気づかされました。

彼らは一般の人から見たら特殊な仕事だから、で割り切ることもできるんですけど、そうだとしてもレベルの違いはあれ、仕事の中で喜怒哀楽の、何かしらが引き出される瞬間ってわたしにはないんです。

わたしから引き出されるものは、これまでのnoteに書き連ねてきたような、感情というよりは心の底に溜まっていくヘドロみたいなものです。会社では穏やかで常に冷静な性格だねってよく言われます。厳密にはそれは性格ではなくてキャラクターなのですが。

どうしてわたしには仕事に対してこんなに感情がないんだろう?って考えると、すぐに答えは出るんですが、もし感情センサーみたいなスイッチがあって、そのレベルを高めたら、負の感情に飲み込まれすぎてストレスで自分がダメになるのを、感情センサーのレベルを0に近づけて、良いことも感じなくなるけど、悪いことを感じなくするようにして、無意識に自分を守ってるんだと思います。

前回のnoteにも書いたんですが、人として本来備わっている機能、天気や季節の変化を感じたり、目で色々なものをみて、耳で色々な音を聞いて、感情を動かす、これが会社員でいることによって、一つずつどんどん封じられていく。スマホを持っているのにネット検索と通話機能しか使わない母親のように、わたしはわたし自身に備わっている機能の大部分を使っていない。これが、会社員に対して感じる違和感の、わたしをずっと日常で苦しませる正体なのかもしれないです。

わたしはもしかしたら、自分に内在してる本当の主体性みたいなのを使えてないんだと思います。

この前テレビで、オードリーの若林さんが「受験」のことを「外部が作ったテスト」みたいな言い方をしてて、それがすごくしっくり来たんです。

受験生だった頃は、偏差値が伸びなくて自分の偏差値でもいける学校に行かざるおえない同級生をみて、自分は比較的偏差値が高いから、その行きたい学校を選べる立場でよかったって思ってました。つまり自分は人よりも選択肢を多く持っているから、自分の意志を働かせて物事を決められているって思ってたんです。

けど違ったんですよね、そもそも外部が作った受験っていう装置の中にしっかり組み込まれていた。そしてそのことに気づいていなかった。

30歳になるまでのわたしの人生はずっと、その「外部が作ったテスト」をどうやって乗り越えていくかだったと思います。受験もそう、仕事にしても経営層が立てた方針を実現するために、自分用に切り出された目標に沿って動いていく、そして会社が定めた評価基準をクリアしていれば給料が上がるし、結局「将来のことを考えて自分の市場価値を高めていこう」とかいっても、それってまた新しい外部が作ったテストに受かりにいくためのことなんですよね。どこまでいっても、誰かが作ったテスト装置に組み込まれていく。

けどわたしは、「市場価値を高めていけば、行きたい会社を自分から選べるようになる、主導権はこっちにある」って思ってたんです。けど、本当の意味ではこの装置の中にいる限り、主導権なんて最初から自分になかったんです。

「人の物差しで生きるのはやめよう」みたいな言葉を見聞きすることが時代の流れ的に最近増えた気がするんですけど、突き詰めていくと本当の意味でこれを体現するのってめちゃくちゃ難しいことなんだと思います。「ここには人の物差しはない」と思って自分の物差しを置こうとしたら、実は既に大きな大きな物差しの中にいて、その中をただ走り回ってるだけだった。

走れるうちにもう少し走って、まだ自分で耕せる土地を見つけたいです。



「あ、佐久間くん泣きそうだ」って思ってから、すごいところまで感情が巡ってしまったんですが、滝沢歌舞伎からは持ち帰る感情が多すぎました。円盤でたら買おうかな…てかオープニングで着てた桜の衣装と同じ生地でできたポーチほしいな。

明日は月曜日、また仕事です。タスクが山積みなので6時には起きないと。

寝ます。

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