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谷川雁の原子力(上) 長い二十世紀

 掲載にあたっての走り書き
 「谷川雁の原子力」は面白いものが書けたと初めて自分自身で思った論考でした。「谷川雁の原子力(上) 長い二十世紀」「谷川雁の原子力(中) 詩の隠喩としての原子力」「谷川雁の原子力(下) 「一万年」後の賢治童話」と『現代詩手帖』2014年8月号ー10月号に掲載されました。今回は(上)だけを掲載します。
 執筆した背景について説明すると、2011年の東日本大震災の直後、福島県在住の詩人和合亮一がTwitterで詩を発表して大きな反響を得ました。そのあと震災や原発事故を題材にした「震災詩」が広く書かれ、詩人以外の文学者たちも積極的に発言していました。
 しかし、その当時の雰囲気に対して、僕はどこか性急なものを感じて、ちょっと違うなあと思っていました。たとえば、震災直後の文学者の言葉を執拗に引用して、いい意味で意地悪く、そしてとても面白く論じた仕事に金井美恵子『〈3.11〉はどう語られたか』(平凡社、2021年)がありました。いま思い返すと、「もし本当だったら、けしからん」と真偽不明の情報を拡散させるような、何でもかんでも即座に反応することを良しとするSNS的な感性が広がっていく端緒だったのかもしれません。

 そういうせき立てる状況から少し離れて考えたいな、と思っていました。まず、詩と原子力という問題がありました。有名な「死の灰詩集」論争というものがあります。1954年にアメリカがビキニ環礁で水爆実験を行い、第五福竜丸事件が起きました。反米や反核運動が高まるなかで核兵器の反対を訴える「死の灰」詩集が編まれたのですが、その執筆者の中には第二次世界大戦中に軍艦建造のための資金を求めた「辻詩集」(1943年)にも寄稿しているものがいた。その点を問題視したのが、詩人の鮎川信夫の批判でした。つまり、いまは民主主義の陣営に立って核兵器反対を叫んでいるが、かつては軍国主義の立場で詩を書いていたじゃないか。政治的な立場は変わったが、「バスに乗り遅れるな」とばかりに時局に迎合しているだけじゃないか、という批判でした。このような問題は吉本隆明や武井昭夫といった「文学者の戦争責任」という問題にもつながります。
 また、「死の灰詩集」論争という問題はたびたび浮上してきます。1990年に湾岸戦争が起きたときに、柄谷行人などが「湾岸戦争に反対する文学者声明」を発表しました。このような文学者がいかに政治にコミットするのか、という問題は詩の周辺でも議論され、湾岸戦争に反対する詩を書いた詩人と、それに批判的な詩人とのあいだで「湾岸詩」論争と呼ばれる議論が起きました(詩人の藤井貞和、瀬尾育男など)。
 こういった歴史や背景をもとに震災と原発事故という出来事と、詩といった文学の問題を少し考えてみたい、というモチベーションで書かれたのが、「谷川雁の原子力」でした。
 
 谷川雁の詩を読むと、いつも驚いてしまうのは「詩を書くことは革命の代わりだ」ということです。詩を書くこと自体が革命的な行為であり、文学イコール革命なのだ、と。そんな確信が満ちています。これは谷川雁にかぎらず、吉本隆明といった「戦後詩」を担った詩人も同じです。もちろん、文学は政治から自立すべき、とか、革命に反対する保守主義、とか、それぞれの詩人によって政治的な立場は違います。しかし、そうであったとしても、文学が政治(革命)に比肩しうる、対抗しうる、政治を超えるものなのだ、という確信があったわけで、文学イコール革命という谷川雁と同じ前提を共有していることに代わりありません。
 もちろん、いまでは文学イコール革命なんてリアリティはありません。このリアリティの喪失は、おそらくマルクス主義の凋落とも関わっています。当然ながら、マルクス主義の優位性がなければ、そもそも「革命」なんて考えられない。いまでも小説を論じることで新自由主義の問題点を指摘する、みたいな批評はよくあります。まあ、文学をやることは革命なんだといえないまでにしても、ある種の政治的なコミットメントの代わりなわけです。ぼくもそういうタイプの文章を書いたことがあります。
 こういう批評に対して、ある社会学者の方が「新自由主義の問題点を指摘したいなら、小説を読むのではなくて、実際に市場を分析する経済学や、労働現場を調査する社会学をやればいいのでは?」と批判していました。ぼくは前者の批評になじみ深い人間ですが、「わざわざ小説を経由する意味がわからない」という社会学者の批判もよくわかる気がしていました。やはり、前者の批評はどこかでマルクス主義を前提にしている。もちろん、マルクス主義と文学の関係にはさまざまな議論があることは承知していますが、「下部構造(経済)が上部構造(文化)を規定する」とか「上部構造=文化での闘争を重視する」みたいな発想がないと、話が成り立たないからです。。

 いまでもマルクスはリバイバルされます。とはいえ、かつてのように「マルクス主義」がグランドセオリーであり、実際に革命を成し遂げた社会主義国が存在したような時代ではもはやありません。文学イコール革命なんてリアリティはよくわからない、というのがぼくにとっても正直なところです。だから、谷川雁を読むと「詩を書くことは革命(の代わり)なのか」と素朴に驚いてしまう。素朴すぎると自分でも思いますが、この驚きがあったからこそ、谷川雁やその周辺を人並み以上に読んできたのだと思います。
 だから、ぼくが谷川雁や吉本隆明を論じるにしても、距離があったと思います。自分達とはぜんぜん違うリアリティを生きている人なのだ、と。なので、いまの政治運動に活かすために谷川雁や吉本隆明をプラグマティックに再利用できます、みたいな論調にはどこかついていけない感じがします。

 あと、もう一つは、谷川雁の文章を読むと、マジで原子力の言葉がやたら出てくるからです。びっくりするぐらい。もちろん、これは谷川雁に限った話ではなくて、詩人の堀川正美にも共通します。彼も戦後詩を担った代表的な詩人の一人です。傑作と評価の高い詩集「太平洋」にも、やたら原子力の言葉が出てくる。まあ、当然ながら、ビキニ環礁水爆実験が行われた「太平洋」をモチーフにした詩集ですから、当然といえば当然なのですが、やはり原発事故を経験した人間からするとやっぱり異様な感じがしました。これは、原発事故後に原発肯定の発言をして世間の反発を買った吉本隆明にも似た感じを覚えました。
 この論考を発表した後、谷川雁好きの読者の方から、「原発を肯定した谷川雁を断罪している!」みたいな反発を受けたのですが、それは違います。いまから見ると異様にも思える「原子力」を取り巻く言葉はなんだったのか、どういうものなのか、を少し考えてみたいと言うのが、執筆のきっかけでした。
 まあ、いま読み返すと、「バディウ」とか「ユンガー」といった固有名詞を使わなくても、谷川雁の詩は論じられると思うし、こねくり回した文体でなくてもいいのに、と思わなくもないのですが、まあ、若書き特有の気負いも味がある感じがしないでもないです。

谷川雁の原子力(上) 長い二十世紀  綿野恵太


(初出 『現代詩手帖』2014年8月号)

「下部へ、下部へ、根へ根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちるところへ、そこに万有の母がある。存在の原点がある。初発のエネルギイがある」――谷川雁の最もよく知られる「原点が存在する」(一九五四年)の一節である。しばしば非論理的と称される一因となった、「根」や「母」といった過剰な隠喩がすでに見られるが、この文章には次のような「原子力の隠喩」が登場することはあまり言及されない。
 
風が急に寒くなり、砂が舞いあがった。遠い原子核分裂の渦――淡い太陽は退いていった。私は谷の岸に立つ――ここに人類が……
 いわばひとりの私のように、人類はいまや断崖にのぞみ手にした原子力の鍵をもって、自らの命を絶つか新しい太陽を呼ぶかに迷っている。始めか、終りか、それは今世紀のうちに決するのだ。思いがけぬ氷河期が訪れて来た。
 もし人類が行き続けることに成功するならば火の使用がそうであったように、私達の言葉もやがて核分裂し、無数の元素を産み、より高い次元の心情とその表現へ進むであろう。もちろん究極的には単一の世界語が。
詩人の任務は古い言葉の火を生きながらえた人類の新しい言葉に点ずるまで「火を消さぬ」こととなった。私たちが歌いやめたとき、すべての詩は死ぬのだ、あとつぎもなく古い詩は死のうとしている。一刻の休みもなく私たちは新しい子供達を創らねばならない。まだ暁闇以前に横たわっている、あの嬰児のために。そのために私達は「力足を踏んで段々降りて」ゆこう。平和のために戦い、平和へののぞみを歌おう。
汝、人類の生存を望むか。(「原点が存在する」一九五四年)

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