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夢と現実の狭間の臓器売買
「忘れ物したら臓器売買だよ」
*
昨日、こんなnoteを読みました。
強くてでっかい犬さん
突然の引用失礼いたします>< 驚かれたかもしれませんが、恐ろしいほどに共感したので、引用させていただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
私も夢をかなり鮮明に覚えている人間で、noteに夢日記を綴っているくらいなので、それがどれだけ珍しいことなのかは常に気になっています。
そこでnoteをちらっと見たところ、こちらが目に入りました。
僕は見た夢をほとんど忘れない。
それを友人に話すとよく羨ましがられる。
しかし彼らは1ミリもわかっていない。夢を覚えているという恐怖を。
同じだ!と感動しました。
私も、夢を覚えていることを周りに話すと羨ましがられたり、すごいと言われたりするのは日常茶飯事です。
けれども、夢を覚えていることの恐怖や苦しみをわかってくれる人はほぼ皆無です。
しかし読み進めていくと、この方の恐怖と私の恐怖は、少し違うように感じました。
僕が見る夢はあまりにもリアルで、まるで体感した出来事かのように感じた。
映画よりもリアルで、混沌としていて、そして僕が主人公の物語。僕は夢日記をつけることはなかったが、忘れられない記憶としてずっと残り続けることになった。
ここまではもうまさにその通りなのです。夢の中では、経験したことがないことでも、現実では想像がつかないことでも、恐ろしくリアルに体感できるのです。
私はこれまで数え切れないくらい、人を殺め、大切な人を亡くし、自分自身も死んできました。
証拠隠滅するときの手の震え、警察から逃れるときの焦り、死の(精神的な)苦しみ。
そんな苦痛を何度も経験して、その度に死生観や人生観が大きく揺さぶられるのです。
しかしこの方は私とは違って、「夢があまりにもリアルすぎて、現実と区別がつかなくなってしまう」ことを恐れているようでした。
私の場合は、起きて1時間もすれば夢と現実の区別がはっきりつくようになるので、そのような恐怖に支配されることはありません。(起きてからしばらくは、「人を殺してしまった、どうしよう」と本気で考えますが)
「夢を覚えている恐怖にも色々あるなあ」
そんな気持ちで、このnoteを閉じたのが昨夕。
そして今日、夢から飛び起きた私は、日の出前にも関わらずこのnoteを綴っています。
私の中にもすでに存在していたのです。
夢と現実の区別がついていなかった記憶が。
そしてどれだけ考えてもやはり、それは夢ではなく、現実として私の記憶にこびりついているものなんです。
今日の夢はこんな夢でした。
*
「忘れ物したら臓器売買だよ」
入学早々、最初のホームルームで担任はそう言った。
憧れに憧れて入学した専門学校。
私は今日からこの学校で、プロになるために2年間勉強する。
この学校では特に忘れ物に対するペナルティが大きく、忘れ物をしたら、放課後に校舎全ての清掃を行うか、腎臓を一つ取られるかどちらかを選ばなければいけないということだった。
「忘れ物したら臓器売買だよ」
担任の一言に、特にざわめきが起こることはなかった。
私もそうだが、この一言がまるで洗脳のように「ストン」と音を立てて心の中に落ちてきたのだ。
それで、おしまい。
忘れ物をしたら臓器売買。
その日からこれが私たちの日常となった。
しばらくは何事もなく毎日がすぎていった。
1年は経っていただろうか。
ある朝、友人が私に耳打ちする。
「隣のクラスのあの子、昨日臓器とったみたいよ」
隣のクラスはどうも団結力に欠け、やる気のない者がはばを利かせているような雰囲気があった。教師にも反抗的な者が多い。
その中でも特に目立つグループがあるのだが、その中の一人が忘れ物をして、臓器売買となったらしい。
「ふーん」
意図せず気の抜けた返事をしてしまったが、友人は満足そうに自席に戻っていった。
それから何日かが過ぎた。
このごろの私はおかしい。
忘れ物をしたら臓器を取られるのは当然のことだ。
それなのに、なにがしかのもやもやが心を覆っている感じがして、気持ちが悪い。
そんな気味の悪さを抱えながら、また数日。
ついに私は気づいてしまった。
この前臓器を取られたと噂のあの子、翌日も元気そうにしていたし、前日に臓器を取られたようには見えなかった。
…だいたい、よくよく考えたら臓器を取られるなんてただ事じゃない。
私だったら校舎の清掃を選ぶ。
「…臓器売買なんて、行われるはずがないじゃないか」
そうだ!学校で臓器売買なんてありえないんだ!
私は無意識にスマホをとって、打ち込んだ。
「私気づいた!臓器売買なんてあるわけないじゃん。そんなものは法律違反だし、普通に考えたら臓器を取られるなら掃除する方を選ぶよね。ここ数日なんだかモヤモヤしていたけど、スッキリしちゃった。明日みんなに詳しく話そう〜」
Twitterに書き込んだら、もっとスッキリした。
明日学校に行ったら、みんなに話そう。臓器売買なんてなかったんだよって。
スマホを置いて、私は、眠りについた。
*
と、このような夢でした。
物語だったら、私はこの後誰かに命を奪われるのでしょうね。不用心すぎます。サスペンスで一番やっちゃいけないやつ!(笑)
さて、これだけなら普段の夢と大して変わらないのですが、腑に落ちない点が一つ。
「忘れ物したら臓器売買だよ」
夢の中の私は、様々な観点から見て「臓器売買はハッタリである」と結論づけました。しかし、夢の始まりから終わりまで、さらには起きた後、今でもなお「忘れ物したら臓器売買だよ」と言われた記憶が、私にとっては紛れもない現実なのです。
普段の私であれば、「『忘れ物したら臓器売買だよ』なんて言われるわけがない、これは夢だ」となるのですが、全くそうは思えません。
どうやらこの夢を見るずっとずっと前から、私の記憶の中に「忘れ物したら臓器売買だよ」という言葉がすでに存在していたようなのです。
しかしそれがいつの記憶なのか、私にはもうわかりません。
現実または夢の中で、先生は私に「忘れ物したら臓器売買だよ」と言った
これが私にとっての真実なのです。
もしかしたら学生時代に本当に言われたのかもしれない、とすら思っていますが、
友人に「学生時代、先生に『忘れ物したら臓器売買だよ』って言われた記憶、ある?」なんてちょっと聞けません。
そんなことはありえなくて、だからやっぱりこの言葉は私がいつか見た夢なんでしょうね。
でも、やっぱり夢だなんて思えません。
もしかしたら私が気づかなかっただけで、すでに私の記憶の大半は、夢で見た虚構に埋め尽くされているのかもしれません。
東の空が白んできました。
今日は日曜日なので、もう少しだけ眠りたいと思います。
起きた時、このnoteがこの世に存在していますように。
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