昭和史最大の謎 ・近衛上奏文

 昭和史最大の謎 ・近衛上奏文

  「戦争」について書きます。

 その理由は、当時の戦争に突き進んでいった状況と今日の混沌とした政治の状況が、少なくとも世界の情勢を正しく理解せずに矮小な動機で動いているという点では、 全く同じだと思うからです。

 以前も書いたような気がするのですが、 日本史には 「嘘」 がたくさんあります。 「嘘」 を信じ込まされているだけでなく、「大変重要な歴史的事実」 が全く無視されていることも多いのです。

 だから日本史は「疑うことから始まるのです。

 本日はその1つの近衛上奏文についてです。

 近衛文麿は五摂家 (注) 筆頭の近衛家の第30代当主で、1937年~1941年の間に3度首相の座に就き、在任中に大政翼賛会の設立、日独伊三国同盟の締結、 日ソ中立条約の締結などを行ない、戦争の開始と深刻化に大きな責任があったと言えます。 終戦直後の1945年12月に自殺しています。

(注) 藤原不比等の次男・ 房前 (ふささき)を祖とする藤原北家の流れを引く近衛・九条・二条・一条・鷹司の5 家で、摂政・関白の座を独占していました (例は豊臣秀吉と秀次だけ)。

 その近衛文麿が、 敗戦が濃厚となった1945年2月14日に昭和天皇に上奏したのが近衛上奏文です。 近衛のみが昭和天皇に上奏したわけではなく、 7名の首相経験者らが別々に昭和天皇に上奏しているのですが、この近衛の上奏文だけが 「謎」とされています。「謎」というより、 あまりにも特異な内容だったからです。

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