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自分で決めて、葛藤して。その繰り返しが「自分の人生」になる〜スタッフインタビュー:Edo副代表 盤所杏子〜

EdoNewSchoolは、岐阜県飛騨市にある中高生向けの探究塾です。「やってみたい」を見つけ「やれる!」と思える子に、をコンセプトに自身の興味を向き合える環境を提供すべく、2023年春の開校に向けて準備しています。

今回は、スタッフインタビューをお届け。運営元の株式会社Edo副代表に、お話をお伺いしました。

レストランで注文する時、アパレルショップで洋服を選ぶ時…。

つい悩んでしまって、人に判断を委ねてしまいます。

無意識のうちにそれが癖づいてしまい、大事な場面での決断さえ、自分で決められなくなっていることに気がつきました。

自分の意思で、自分の道を決める。

自分の人生を歩くために大切なことだけど、簡単なようで実はとても難しい気がします。

「自己決定できる自分でありたい。それはすごく大事にしていることかな。これをやりたいっていうのもそうだし、何か間違ったことをした時に、じゃあ謝ろうって行動するのもそう。規模感が大きいものから小さいものまで、なんでも自分で決めるってことを積み重ねていきたくて」

そう話すのは、株式会社Edoの副代表を務める、盤所杏子さん。

杏子さんが”自己決定”を大切にするようになったのは、自身の経験が大きく影響しているんだそう。

”自己決定”という切り口から、杏子さんの歩んできた道のりについて、お話を聞きました。

ペコんと折れた、弱い根っこ

「もともとは、小さい頃からずっと『こうした方がいいいんだろうな』に合わせてきた人生だったんです。親や周囲の期待に応えようとしてたというか。自覚はなかったですけどね。振り返ったらそうだったなって」

例えば、と聞かせてくれたのは、今でもよく覚えているというエピソード。

「小学生の時、陸上と野球をやっていて。6年生になるタイミングで、陸上のコーチに『陸上に専念しないか』と声をかけられたんです」

野球を続けたい。

本当はそう思っていたものの、「女の子が野球を続けるのは難しいんじゃない? 野球はもう辞めたら?」という親や周囲の人の言葉に、気づけば「そうする」と答えていた。

「でもその夜は、ずっと泣いていましたね。これでよかったのかなって。野球仲間の姿を見るたびに、あの時『やっぱり野球やりたい』って言えてたらって、今でも思うんです」

その後、中学高校と陸上を続け、高校生の時はインターハイにも出場。大学も、体育専門学科のある国立大学に合格した。

「一見、順風満帆に見えるんですけど、周囲が『良いね』って考える選択をしていただけだったのかもしれません。自分で決めて、それがもし失敗だったら検証して次に繋げる。そういう経験をしてこなかった分、根っこの部分がすごく弱かった」

その“弱い根っこ”がペコんと折れたのは、大学生の時だった。

高校からの流れで、当然のように入部した陸上部。自分よりはるかに実力のある選手たちに、予想はしていたものの激しい劣等感を覚え、次第に疎外感を感じるようになったという。

「今思えば、私が勝手に仲間に入れてないって感じていただけなんですけどね(笑)。その頃、ここでは陸上競技での結果が全てで、その期待に応えられないと、人としても駄目なんだって思い込んでいたんです」

ストレスから食べる量が増え、体重増加により腰を痛める、そんな時期が続いた。

大学2年生の時には、あまりに無理なダイエットをきっかけに摂食障害を発症。ストレスから過食に走って、でも体重増加が恐ろしくて吐く。次第にメンタルも崩れ、鬱病に発展してしまった。

友人たちに支えられ大学生活は無事に過ごせたものの、社会人となり環境が変わっても、摂食障害の症状は続いたそう。

「結局、全部同じなんです。勝手に周囲の期待を必要以上に自分で背負って、それに応えようとして。その期待に応えられてない自分にがっかりして、また期待に応えなきゃと焦る」

新卒で入った会社を辞めて転職しても、状況は変わらなかった。

自分で決めないと、人生は変わらないんだ

2014年、結婚を機に岐阜県飛騨市へ移住。家庭に入り、田舎でゆっくりする。そんな生活の中で、きっと摂食障害も自分の性格も治っていくのではと期待していた。

しかし、引っ越した当初こそ、のんびりとした生活を送っていたものの、程なくしてパートの仕事やまちづくり活動に携わるように。

第一子を出産した後は、木育イベントや高校生のプロジェクト伴走支援など複数を掛け持ち、精力的な活動をしていた。

「行動していないと、何かから置いていかれるようで不安になってしまう。子育て以外にも忙殺される日々を過ごすことで、期待に応えようと頑張る虚しさを感じないようにしていたんだと思います。

でも、そのうち『家族を犠牲にしてまで何やってるんだろう』って。当然ですよね(笑)。結果的に、どんどん痩せて、入院する状態にまでなってしまったんです」

病室で家族と離れて自分と向き合ううちに、「自分が変わらないと駄目だ」と気づいたという。

「結婚したら、過ごす場所を変えたら、子どもができたら。そうすれば、自信を持てる自分に変われるんじゃないか、病気も治るんじゃないかって、どこかでそんな期待があって。だけど、自分で行動しないと何も変わらないんだなって、ようやく気がつきました」

まだ遅くない。自分が本当にやりたいことはなんだろう。

今後のことを真剣に考えるなかで辿り着いたのが、自分の事業を持つという選択。

木育の取り組みを通して出会った木工職人さんや、飛騨の森林に関わるたくさんの「人」に惚れ込み、個人事業主として「myu-kikaku」を立ち上げ、飛騨市の広葉樹を活用した新しい商品づくりに取り組んでいった。

「今まで周りの評価や、成功するかどうかばかりを気にしていた私が、初めて自分の意志で決めたこと。ここが、自分で決めることを意識するようになった、大きな一歩だったと思います」

悩んで決めて、また悩んで。その先に、自信があった

自分の足で少しずつ歩み出した杏子さん。

後に、ともに会社を立ち上げる関口さんとの出会いが、次の大きな一歩につながっていく。

「関口さんとは元々、同じまちに住む知り合いではあって。地元の高校の課外活動のコーディネートや伴走支援をしていると聞いて、『私もやりたい!』と思って一緒にやるようになったんです」

子育てと個人事業と高校のサポート、当然忙しかった。でも自分でやる、やってみたいと思って動いたことは、充実感が優っていた。

「初プロジェクトが終わった後、二人でノンアルコールで乾杯して。あんなに乾杯が心地いい瞬間って、今まで経験したことがなかった。『ああ、こんな瞬間を味わえる仕事ができたらな』って感じましたね」

「関口さんと一緒に活動する中で、この人となら想いを共有してぶつかって、自分の居場所だと思えることができるかもしれない、と少しずつ自信がついた自分にワクワクしていました」

教育や学びを通じて持続可能な社会をつくる。

そんな会社を共に目指して、2019年に株式会社Edoを設立。杏子さんは副代表に就任した。

「会社を立ち上げたのは、次男の臨月のとき。子育てをしながら副代表が務まるのかなって不安だったし、どうしようかめちゃくちゃ悩みました。それでも、諦めたくない。家も仕事もやりたいようにやるって決めて、家族の理解も得ることができました。また一つ、大きく自己決定できた場面だったのかな」

「自分で決めても、会社や旦那さんに迷惑をかけているんじゃないか、これでよかったのかって、悩む時ばかり。ずっと葛藤しながらだけど、そのフェーズのなかで、少しずつ変わっていけた気がします」

悩んで、決めて。また悩んで、また決めて。その繰り返しを経て、一歩一歩、自分の人生を歩めるようになったという杏子さん。

起業して、副代表になって。悩みつつ色んな人の力を借りながら、自分で決めることで、少しずつ前に進んできた。

「最近はやっと、自分に自信を持てるようになってきました。やると決めたことはきっとやり切れるっていう自信が、前よりも格段にできたかな。ダメだったら落ち込んで、でもまた立ち上がればいいやって。こんな風に思える日がくるとは思わなかったですね」

自分で決める体験をたくさんしてほしい

自身の経験を経て、自己決定の大切さを感じている杏子さん。

自分の子どもたちや、仕事で関わる学生たちにも、その想いを伝えていきたいという。

「Edoでは今年から、EdoNewSchoolという中高生のための探究塾の準備を進めています。具体的なプログラムは、今みんなでワクワク話しているところなので明かせないのですが、とても良いものになると信じています。

私個人の想いとしてはこの場所を、自分で決めて取り組んで自信をつける、その経験ができる場にしたいなと思っています」

EdoNewSchoolは、先生が教科学習を教える一般的な塾とは異なる。

様々な人や知識と出会うなかで、まずは自分がどんなことに興味関心があるのかを探る。

深めたい領域を見つけた後は、Edoスタッフの伴走のもと、それぞれの学びを探究していく場となる予定なんだとか。

「ここで、たくさんの大人や学生に出会い、色んな考え方や生き方に触れるなかで、自分自身と向き合ってもらえたら。『僕は何が好きなんだろう?』『私は何を学びたいんだろう?』って、自分で考えるプロセスを少しずつ踏んでいってほしいですね」

振り返ると、高校卒業後の進路を考える頃から「これから自分はどうするのか」を決める場面が、一気に増えたような気がする。

EdoNewSchoolは、親元を離れて自分の人生を進んでいく前に、自己決定力を育むための訓練の場でもあるんだろうな。

「そう!ほんと、訓練になると思います。……でも実は私、最初はEdoニュースクールに反対だったんですよ(笑)。あまり周りには知られていないですが、関口さんとも何度も意見がぶつかりましたね」

「探究することはとても良いことです。間違いなく。でも、知識詰め込み型の従来の教育も、全て否定されるものでもないと思うんです。

勉強してきたことが、今に役立っているかと言われたら、そうじゃない部分も確かにあります。でも、知識を入れてテストで点数を取るために努力する、そのプロセスは大切だと思っていて。探究だけに特化した塾というのが、勉強を否定するように誤解されたくないなと。勉強を疎かにして探究塾にくる、それを推奨したくなくて」

その考えは、話し合いを重ねる中でどんな風に変わっていったんだろう。

「探究塾での経験を通して、勉強の大切さに自分で気づいてもらえれば良いんだ、と納得しましたね。『面白い!もっと学びたい!』って探究したい分野を見つけた先には、必ず勉強の必要性が待っている。勉強と探究はミルフィーユ生地みたいに、重なり合っているものなんじゃないかな」

一見、自分の興味のあることが学校の勉強と関係がないように見えていたとしても。

その分野を深めようとしたら、英語の文献を読む必要が出てくるだろうし、文献に書かれている言葉の意味も理解できないといけない。

歴史的背景や化学の基礎知識を知ることで、自分が得た知識に奥行きも出てくるはず。そして、より一層探究が深くなる。

「やらなきゃいけない、じゃなくて自分の欲求によって、これを学びたいと決めて勉強したものは、いつか絶対『自分はこれを学んできたんだ』っていう自信になると思うんです」

自分が関わった人たちが幸せになる様子を、ずっと見ていたい

自分の興味関心や、人生と向き合うきっかけを提供するEdoNewSchool。

この場で、杏子さんがこれまで経験してきたことを、高校生に伝える場面もきっと出てくるはず。

「これでもかってくらい、何度も体調崩して、転職して、挫折して。それでも今は、会社の副代表をしながら、子育てをして、自分なりに納得のいく生き方はできていると思っています。きっと、この地域にはあんまりいないタイプの大人だからこそ、何か感じるものがあったらいいな。良いとか悪いとかじゃなく、ああこういう生き方もあるんだなって」

「親や先生以外の、頼れる大人であれたらなと思っていて。ずっと、その子たちにとって味方だと思える人間でいたい。ここで関わった子たちが大人になって悩むことがあった時に『どうしたらいいですかね』って聞きにきてくれたら嬉しいですね」

自分の興味関心に従い、様々な選択肢のなかから自己決定し、探究していく。それは、人生そのものも同じ。

杏子さんは、これからどんなことを探究したいのだろう。

「教育の仕事にはずっと携わると思っています。でも、私がこれからじっくり探究したいと思っているのは、私と同じように摂食障害に苦しむ人が減るためにどんな社会になればいいのか、という課題ですね。15年苦しんでいる私だからこそ伝えられる何かや、教育に関わっているからこそできるアプローチがあると思っています。自分の中でタイミングを感じたら、またしっかりと自分で決めて新しい道に進んでいきたいと思います」

「あとはなにより、自分が関わった人たちが幸せになっている様子をずっと見ていたいんです。Edoの仕事を通してたくさんの人と関わることで、思い入れのある人たちが増えていくのが楽しみだし、そうやって出会った人たちをちゃんと大事にして、その人たちといつまでも笑っていられる。それが私の幸せかな」

(取材・執筆:安久都花菜

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