2024年5月19日(日)

昨夜も消灯して5分以内には寝ていたと思う。
ただ、毎日1時半と4時に中途覚醒している気がする。でもいいのだ。中途覚醒をしてもすぐ眠れるし、朝は看護師さんが温かいおしぼりを持ってきて起こしてくれるのだが、娘Mに「大丈夫?」と起こしてもらっていた時とは違って、スッキリと一度で起きられる(と言いつつ朝食まで時間があるので起き上がらないが)。
朝起きた時に、何もない壁と天井が見えた瞬間に「あぁ、ここは家じゃないんだ」と安心してしまう。
入院生活もあと12日。来週末の外泊をカウントしたらあと10日しかないが、すんなりと元の生活に戻れるかが心配で仕方ない。
頭の中では度々考えてはいるが、読む本がなくなったらどんなことを修正できるか(以前の生活から何か変化できるか)を紙に書き出してみようかと思う。
入院して思ったこと、感じたこと、考えさせられることは色々ある。
ただ、「子どもたちはどうしているだろうか?」といったことは全く考えていない。それはおそらく夫が子どもの世話を一定水準できると考えているからだろう。
そして、昨日も読む本がなくなったので病院に何冊か送って欲しいと言ったらすぐに送ってくれたり、そういうサポートもあるからだろう。
つくづく私たち夫婦は変な関係だと思う。
ただ、仮に私の負担が重いからやっぱり一緒に住もうとかいう話になったら絶対それは無理だと思う。それなら私が一人暮らしをして、子どもたちは夫に面倒を見てもらい、私が夫に婚姻費用を送るのではないだろうか。
とまぁどうでもいいことを考えたりしている。
他に昨日は何かあっただろうか…。
別に昨日何かあったわけではないが、病棟は左右に女部屋の大部屋と男部屋の大部屋があるかたちになっていて、それぞれに椅子に座ってテレビを見たり雑談したりするスペースがある。
入院当初からずっと観察していると、女性の患者は朝から晩まで数人がそのスペースに集まって楽しそうにしているのに、男性の方はいても1人、多くても2人しかいないし、楽しそうでもない。
しかも、介護度の高さも男性の方が割合が多いように見える。わけのわからない言動をするのも男性の方が多く見える。
だからなんだという話なのだが、やっぱりこんな場所でも男女の違いが出るんだなと思う。入院していても意外と楽しそうなのは女性の方である。
廊下を行き交ったり大部屋にいる爺や婆を見ていると、自分が歳をとったらどうなるのだろうと思う。
というか、こんなになってまで…と言ったら失礼だが、記憶が曖昧になったり一日中寝たきりだったり、口を開けたままボーッとしていたり、あんなふうになりたくないなとはっきりと思う。
私には波があるものの希死念慮が常につきまとっているが、寝たきりになるくらいなら死んでしまいたいと思う。
病院とは何のためにあるのだろうか。もちろん病気や治療を治す場ではあるけれど、それ以外の意味・目的も含んでいる。よくよく考えると不思議で奇妙な空間である。

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