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彼が向く方へ

 数ヶ月ほど前から、部屋に小さな黒い毛むくじゃらが棲みついている。毛むくじゃらは、日がな一日窓辺で毛づくろいや昼寝にふけりながら、時折、何か飯をよこせとでも言いたげな視線で私に「ナァ」と声をかける。その度私は、水やら昨日の飯の残りやらをやって、耳の後ろや細っこい身体を軽く撫でてやる。毛むくじゃらの方は、私の厚意に深く感謝の意を示すでもなく、しかしせっかく整えた毛並みを乱す私の手を疎ましく思うでもなく、ただ淡々と飯を食うのだった。
 毛むくじゃらは、毛づくろいと、昼寝と、飯の時間のほかは、ほとんどずっと、窓の外をぼんやりと眺めている。それはもはや、ぼーっと見ているというより、熱心に見つめているといった方が似つかわしいほどである。

 ふと、私は、この珍妙な居候が熱心に見ているその向こうに、一体何があるのかを、無性に知りたくなった。いや、何があるもなにも、ただ何もない虚空が広がっているだけだが、しかしそれは、今私が見えている範囲の話であって、もしかしたら、その向こう、ここからでは見えないずっと先に、この小さな生き物が見つめていた何かがあるのではないか――ひょっとすると、それはこの世の果てかもしれない。そう思うにつけ興が乗ってきて、次の日には小さなリュックサック一つを背負い、私は家を後にした。
 あいつは、相変わらずただじっと窓辺から中空を見つめていた(そうでないと、私は向かう先を失ってしまうので、今度ばかりは助かった)。

 家を出て、街を出て、ゆっくりと、ただ真っすぐに歩き、歩き疲れたら木陰や道端で眠る。時に行きがかりの車や、出港前の船に乗せて貰って、その見返りに二、三、雑事をこなす。旅というにはのんびりとし過ぎていたが、放浪という程にあてどないわけでもなかった。
 私は、いわゆる"不死の血"を引いているらしく、老いないというだけでなく、病気もせず、怪我もたちどころに治ってしまう体質である――いや、血や体質というよりは、遺伝による「病気」と言った方が正しいか。つまるところ、時間は無限であり、これといった危険もないので、こんな風に、のんびりと歩いているのだった。
 ゆく先々で、私は様々な人と出逢ったが、とりたてて深く関わることはしなかった。そもそもが、ろくに家から出ることもなく、ひもすがら部屋の隅の方で小さな机に向かい書き物をしているような性質だったためもあるが、それよりも、私と、他の者との時間の流れがまるで違うことの方が理由としては大きかった。私がこうやって一人ゆっくりと歩いている間に、私と出逢った人々は、様々に彼ら彼女らの人生を駆け抜け、そのうちに私のことなどは忘れてしまうだろう。いや、私とて、出逢った者をみな覚えているわけではないが。忘れて死んでいくことと、忘れて生き続けることの間には、埋まりようのない溝がある。

 人は、必ず死ぬ。人に拘わらず、生き物はみな死ぬ。
 あの毛むくじゃらにしてもそうだ。あれはきっと野良だろう。幾年生きているかは分からないが、あれはどこぞで野垂れ死ぬのだろうか。願わくは、誰か弔ってくれる人と出逢えればいいが。
 それだけが、気がかりだった。

 もしかしたら、"この世の果て"にたどり着けば、私と同じように、不死の病を引き摺って生きている者もあろうかもしれないが。

 人との関りを深くしない代わり、というわけではないが、私は時々、旅行記をつけた。日記のようにまめまめしく書くわけでも、また、取材記のようにつぶさに書くわけでもなく、例えば、どこぞの深い森の中で足が沢山生えた奇抜な色の虫を食べたことだったり、岩ばかりの山の頂上に住む部族の奇天烈な儀式に巻き込まれたことだったり、夜の砂漠で両手では掬い切れぬほどの星空を眺めたことだったり、そんなことを乱雑に書きつけたものである。そんな具合でも、長く続けているとそれなりの量が書き溜まるもので、一人では持ちきれない量が溜まった際には、行き着いた街で本にしたためて売り、路銀の足しにしていた。
 たまに、私の本が予想外に受け、「このままこの街で本を書いて暮さないか?」と持ち掛けられることもあったが、「旅の途中なので」と断ると、「どこを目指しているのか」と聞かれ、その度に私は答えに詰まった。
 元より明確に目指す場所がある旅ではないし、強固な意志をもって続けているわけでもない。時間を持て余しているところにたまたま興が乗って歩き始め、そのままずるずると彷徨っているような身だ。それに、どこかを目指すというのは、たどり着く場所――つまり「終わり」がある人間の発想だ。私には、それがない。持って生まれた性質を今更恨むでもないが、こういった言葉を受ける度、私は彼らとは違うということを自覚させられる。結局私は「それを探して旅をしているんだ」などと当たり障りのないことを言って、曖昧な笑みを返すのだった。
 とはいえ、一人気ままに見知らぬ地を訪れるというのは案外と気質に合っていたようで、長年自分のことを根っからの出不精だと思っていたが、やってみなければわからないことというのはまだあるものである。もちろん、好ましくない国や人もあったが、過ぎてしまえばそれは本の1ページとなるだけだ。

 数えきれないほどの月日が巡り、歩きつくせないほどの地を歩き、きっと私がいつか住んでいたあの小さな街にひっそりと建っていた小さな図書館ならば埋め尽くせるほどに旅行記を書きあげたころ、私は懐かしい匂いに運ばれ、小さな街にたどり着いた。ずいぶんと様変わりしたし、見知った顔などは一つとして見えないが、それでも、かつての私が歩き始めたあの街であると、不思議な直感で分かった。なるほど、どうやら私は、この世の果てを目指しておきながら、ぐるりと世界を回って、またここに帰ってきてしまったらしい。
 私は小さな宿の一室を都合した。質素ではあるが、手入れの行き届いている部屋で、きらびやかな装飾の凝らされた客室よりもいっとう落ち着く。もはや見知らぬ街といっていい景色を窓辺からちらりと望み、どうしてか私の記憶のどこかで覚えている匂いに包まれると、自分でも意外なほどノスタルジーを覚え、案外私はこの街を故郷のように思っていたことを自覚する。しばらくぼーっと景色を眺めていたが――それは、見ようによっては「熱心に見つめていた」といった方が似つかわしかったかもしれない――、やがてそれにも飽き、部屋の隅の小さな机に向かい、もうそろそろで一冊にまとまる旅行記をぱらぱらと捲りながら、私は、次に向かうべき場所を思案し始めたが、結局たいした目標は決まらないまま、夕飯が運ばれてきた。
 静かな部屋で飯を口に運ぶ。簡素ではあるが、いかんせん一人では少々持て余す量だったため、冷めきったころには箸は進まなくなり、私はまた本を開き、ぼんやりとページを捲り始める。まだ続きを書くか、それともここで綴じてしまうか――――
「ナァ」
 不意に、背後から聴こえてきた声に、私は振り向く。窓辺に、小さな黒い毛むくじゃらが一匹、細っこい身体をちょこんと乗せて、私の方を見ていた。目を見張る私に、そいつは何か飯をよこせとでも言いたげな視線を投げかける。私は一つ呼吸をしてから、持て余した飯を出してやった。そいつは私の厚意に深く感謝の意を示すでもなく、しかし耳の後ろや身体を撫でつける私の手を疎ましく思うでもなく、ただ淡々と飯を食った。そうしてもう一度、私に「ナァ」と鳴いた。

 なるほど、どうやら私はたどり着いたらしい。旅行記は、これで書き納めだ。

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