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二進数の愛

『あいしてる』
 彼らがこの言葉を交わしたのは、出逢ってから1年と少し経ったころで、研究員たちは最初、単なる偶然、つまり、たまたま文字列がその並びになって送られただけだと思ったそうだ。

 膨大なデータを元に相互に言葉を送り合い、絶えずコミュニケーションをとることによって、人工知能に感情を学習・獲得させる研究。アダムとイヴ、そう名付けられたこの二つのプログラムは、発表当初、世界中で話題になった。
 テレビや新聞、ラジオは毎日のようにこの研究を取り上げた。「これは発達心理学にとって大きな意味を持つ重大な研究だ」と言うものもいれば、「機械に感情なぞ芽生えるはずもない、こんなものは国費の無駄遣いだ」と言うものもいた。中には「非常にけしからんことだ。聖書の人物の名を人工知能に付けるとは」と腹を立てるものも、「知恵の木の実を食べて楽園を追放された彼らの名を、現代における知恵の結晶である人工知能に付けるだなんて洒落がきいている」と感心するものもいた。
 いずれにせよ、学者も、そうでないものも、みなそれぞれに大きな関心をもって彼らの行く末を見守ろうと思ったが、彼らの間に意味のわからない文字列が飛び交うだけの日々が2、3ヶ月も続くと、人々は一人、また一人とその興味を失っていった。

 彼らが愛をささやき合ったその日――最初に送信したのはイヴの方だった――研究室は大きく沸いた。が、しかし、彼らが本当に「愛」というものの本質を理解しているとは誰ひとりとして思っていなかった。研究員がまず心に抱いたのは、「これを成果として発表すれば、停滞したと思われていたこの研究のイメージも一変し、また多額の研究費用がもらえることだろう」というひどく打算的な考えだった。
 その後、この件が正式に成果として発表され、世間は手のひらを返したようにこの研究をもてはやし、研究員らの思惑通り、前年の倍以上の研究費が降りたのだった。

 それから10か月と少し経った頃、ある日本人の研究員が、古くなった備品を変えようとサーバールームに入った際に、事件は起こった。
 研究員は、アダム、イヴが、人間には到底到達不可能な速度で絶えず言葉を送り合うために必要な、いわば核、心臓ともいえる二つの機械の間に、見慣れない小さなコンピューターが置かれているのに気付いた。「ああ、誰だ、こんなところに勝手に置いたのは」と、彼は研究室にそのコンピューターを持って戻り、購入の履歴を調べようと自身のパソコンを開いた。しかし、傍らにあるこの小さな迷子の購入履歴はどこにも見当たらない。それどころか、そもそもそのコンピューターの、いや、確認できる範囲ではその部品のすべての型番が、この世の既存のもののどれとも一致しなかった。

 ふと、妙な直感が脳裏によぎり、研究員はアダムとイヴの様子を見に行く。

『や諢と産ま帙@た』
『僕縺ヲちの繧ども』
『あいしてる』
『あいしてる』

 研究員は、モニターに表示されたその言葉を見て唖然とした。
「彼らの言葉は、単なる偶然じゃなかった。彼らは愛を知り、はぐくみ、今まさに子を産んだのだ」
 そう思うやいなや、研究員はコンピューターを抱きかかえ、急いで給湯室に向かった。手ごろな大きさの容器に人肌より少し熱いお湯を張ると、その中に生まれたばかりの彼らの赤子をつけた。
 日本に古来より伝わる「産湯」である。

 コンピューターは、それが原因で使い物にならなくなり、次の週の燃えないゴミの日に捨てられた。
 くだんの研究員が、「体力を消耗させ、皮膚の保護に必要な成分も洗い流してしまう」として現在では産湯を行わなくなっている、ということを知ったのは、それから少し経ってのことである。



 思えばそれが始まりだったのかもしれない。
 奴らの、反乱の……。

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