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小説・うちの犬のきもち(8)・皇帝のこと

すっかり春だと思ったら、寒い日に戻る。ぽつりぽつりと咲いた土手の菜の花の黄色は、まだ迷っている。そういうのがくり返されて春になるんだよ、とパパンは説明した。何度目かのすっかり春と思える日だった。夕方のお散歩。この時間は、のんびりした空気が流れている。土手を散歩しているのは、老人か、犬を連れた老人か、外国から働きに来ているらしい若い人たち。彼らは数人で連れだってママチャリに乗って楽しそうにおしゃべりし、グラウンドに勢いよく降りてサッカーをする。

ぶへえくっしゅ! 
ぶへっくしゅ!
へっくしゅ!
ぶへへへえっくしゅ!

ぼくのくしゃみにパパンは、初めてぼくに気付いたように、立ち止まって屈みこむ。
「しーちゃん、大丈夫?」

くしゅ!

小さなくしゃみがまだ出る。
「かふんしょう、かな」
パパンはぼくを撫でて、「よし、家に帰ろう」と言う。とはいえ、もうこの散歩コースの折り返し地点で、ぼくたちは帰りかけているのだ。

パパンは、夕方の散歩のときは考え事をしすぎて、どんどん歩いてしまう。ときどきぼくは立ち止まってパパンにもう帰ろうよ、と言うけど、パパンは軽くリードを引っ張り返してぼくのことを無視してしまう。

だからパパンに合わせている。
そうするしかないからだ。

そういうパパンに、ママンは注意する。ちゃんとしーちゃんを見て歩いて。ちゃんとしーちゃんと遊んで、三回くらいボール投げしたくらいで、遊んだことにしないで。仕事とか勉強とかしながら隣に座らせるだけじゃなくて、本を読みながら、片手でとなりのしーちゃんを撫でるだけじゃなくて、一日に十分でも、スマホも本もパソコンもテレビもなく、ちゃんとしーちゃんと向き合うべきだよ・・・それがしーちゃんの願いだし、権利だし、飼い主の義務だよ、と思う、と。

ママンは、自分が残業や休日出勤ばかりだからあまり強くは言えない。いつも、「と思う」尻切れトンボになる。

翌朝、ママンは通勤電車の中で、「飼い犬と遊ばないことによるデメリット」という記事がスマホに出てきてタップする。ーー散歩してごはんをあげれば良いのではなく、一緒に遊ぶことで、犬にも人間にも心身健康になりますーー

そんなことは知っている、とママンは思う。

それでも、一時間以上かけて会社に着いて、リモートワーク中の人にデータを送ってあげるけれど、自分はリモートワークへの切り替えを申請できないでいる。小さな子供がいる、介護をしている、病気療養中、そういう理由が必要だった。ママンはそのどれにも当てはまらない。子供はいない、おばあちゃんが元気なことはみんな知っている、ママンは健康そのもの。

はあ、とため息をつく。

帰りの電車で、本を開く。図書館で借りているトーン・テレヘンさんという人の本だ。ある国の皇帝が出てくる物語を読む。皇帝は神より偉大なのだそうだ。犬に足を噛まれた皇帝は、犬に復讐をすると言う。国中から犬を集める。側近にも、愛玩犬を差し出すように言う、という話だった。

すう、と息を吸って、
はあ、と吐いた。

乗り換え駅に本屋があり、立ち寄ることにする。早く帰りたいから急ぎ足で進む。犬の写真集を見かける。見本用に立てかけられた写真集は、角がめくれている。手に取るとずっしりと重い。野生の犬の写真だ。真っ白の雪の上にひょっこり姿を見せる犬、移動する姿、群れてじゃれあう姿、ジャック・ロンドンという人の小説を思い出す。写真集をパラパラとめくりつづけ、カメラを構える人のことを想像する。雪の中や、人里離れた自然の中に、テントを張り、風を受け、朝の日射しを受け、カメラを構える姿を思い浮かべる。しんとした自然の中。敬意があり、愛がある。ママンはずっとページをめくっていく。写真集の最後の五分の一くらいのところで、「愛玩犬」という見出しが出てきた。スタンダード・プードル、キャバリア・スパニエル、グレートデン。彼らどこか外国の家の庭や、暖炉の前に座る姿があった。

何も買わないまま本屋を出て、乗り換えの電車に乗る。窓の外をぼんやり眺めながら、動物の美しさや本来のあるべき姿などを思い浮かべる。愛玩犬という言葉についても考える。昔のロシアの皇帝のことを思い浮かべる。

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