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番の思想

実家に暮らしていた高校生の頃。
夏休みに大型書店に行ったのだ。

何階かでエスカレーターから降りたら、偶然にも同級生の女の子がいた。
そして声をかけられたのだ。
「今の彼氏?」
「???」
私は首をかしげるしかなかった。
意味不明な発言である。

彼女は私のすぐ後からエスカレーターを降りた男の子を指差した。

男の子は私には構わず勝手にむこうに歩いて行く。

そりゃそうだ。
知り合いでも何でもない。

たまたまエスカレーターに前後して乗っていただけの見知らぬ男子なのだ。

というか私は後ろに男の子が乗っていることすら気づかなかったのだ。

けれど彼女は、それを私の恋人と見做した。

おいおいおい!
ちらっと見ただけだが、じゃが芋に似た男子だったぞ。
私がそんな趣味だと思ったのか?

いや、そうじゃない。
一瞬にして彼女はエスカレーター前後に乗っていた男女をカップルと見做したのだ。

これぞ、番(つがい)の思想!!

また、こんなこともあった。
これは大人になって一人旅を始めたばかりの頃のこと。

山口県かどこかの観光地だったと思う。
観光地(神社とか公園とか、そんな場所だった)の出口で観光客の男性Aに声をかけられた。

「ここが入り口ですか?」
と道順を尋ねられたのだ。

「いえ、ここは出口で……」
と説明しかけた私を男性Aは無視した。
私を通り過ぎて背後にいた男性Bに近づいて行く。

男性Bも、
「入り口はあっちで……」
などと話し始めていた。

何だか私は不快だった。
男性Aは最初に私に声をかけたのに。
答えようとしている私を無視して背後の男性Bに近づくなんて。

無礼極まりない!!

むかつきながらその場を離れる私を、男性Aはあっけにとられたように見送っていた。

背後の男性Bは相変わらず道順の説明をしているのだが。

そうなって初めてわかった。

みなさんは、わかりますか?

男性Aは、私と男性Bが夫婦だと思ったのだ。
妻に声をかけて、夫の説明を聞こうとした。
なのに妻が勝手にすたすた歩いて行ってしまう。
夫婦の仲を裂いた!?
と、あっけにとられる……。

という仕儀である。多分。

番の思想!!

たまたま前後して歩いていただけの男女を夫婦と思い込む。

私はずっと独り者なので正直この発想に乏しい。

そうか。
世の中はそうだったのか。

そりゃ、ホテルでもレストランでもカップル基準になるはずだ。

おひとり様お断りは、番の思想としては正しいのかも知れない。
(別に納得はしていませんよ?)

などと思い出したのは、今朝ちょっとしたツイート(現X)を見たのだ。


女性からの悲鳴に近いツイートだった。

飛行機の中で隣に座った見知らぬ男性が、靴を脱いで大きく足を組んで座っている。

靴下は臭いし、こちらの座席半分にまで足を広げている。

女性は身を縮めて座るしかない。
助けて!!

といった内容である。
この傍若無人な男性客がクズであることは言うまでもない。
けれど、瞬間的に私は思っていたのだ。

番の思想!!

たぶん周囲の人々は、この男女を夫婦と見るに違いない。

ここまで身体を寄せているのだから夫婦に違いない。
礼儀知らずな夫と、それを注意もしない妻……という風に。

となればもう被害者の女性が自分で、
「やめてください!」
みたいに声を上げるしかない。

少なくとも隣の男性が赤の他人だと周囲に知らしめる言動をするしかない。

それで助けの手が差し伸べられるかどうかは知らないが。

とりあえず飛行機の中ならCAさんがいるだろうし。

世の中は番の思想で出来上がっているらしい。
政府までもが番を作る(的外れな)応援をする時代だし。

私は首を傾げるばかりである。

唯一、独り身の女性がこの番の思想を利用できる場合がある。

混雑した道を歩く場合、一人で歩いている男性の後にぴったりつけて歩くのだ。
周囲は夫婦か恋人あるいは息子と母親、孫と婆様と見做して道を開けてくれる。

この際、先を歩く男性に気づかれない事が肝要である。
気味悪がられるからね。

ちなみに独り身の男性はこの技を使わない方がいいと思います。

気味悪がられるだけじゃ済まない危険性があります。


番の思想……。

私はこのまま番にならず、三途の川の向こうまで一人突っ走るのだろうなあ。

どっとはらい。






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