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【衛生的かつ安全な町】江戸のリサイクルシステム、その1

江戸時代は衛生面でも世界トップクラスの美しい町であったと言われています。
その要因は様々だったのでしょうが、その中でも特徴的なものが『下水道の衛生管理』『ゴミのリサイクルシステム』だったそうです。


下水道の衛生管理

江戸幕府が実施した下水道の衛生管理の施策として「下水道へのゴミ捨の禁止」「川岸付近のトイレの撤去」「下水道上のトイレ禁止」などが挙げられます。

現代の認識では、下水は糞尿や生活排水などが混じった汚い水といった認識かと思いますが、江戸時代ではまず、糞尿は下水に流さないことが徹底されていました。

また、上記の禁止令の様に下水道へのゴミ捨て禁止など、下水が汚れる前に手を打つことで汚水を作らないようにする施策が敷かれていたことがわかります。

実際にこの時代の下水は生活排水、しかも現代と違って洗剤などの化学製品のない時代でしたので自然に悪影響を与える様な排水ではなかったと推察されます。


下肥(しもごえ)のリサイクル

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では、下水に流さない「糞尿」や「ゴミ」はどの様に処理していたのか。

まず、糞尿は田畑にまく有機肥料としてリサイクルされていました。

「下肥(しもごえ)」と呼ばれるこの有機肥料は、各家庭から出る糞尿を全て汲み取り式の便所に溜め、「下肥買い」と呼ばれる仲介屋が定期的に代金を払って引き取り、周辺の農民に販売していました。

江戸庶民が暮らす長屋には共同の汲み取り便所が設置してあったので、共同便所は大量の下肥が取れ、結構なお金が動いたとされています。

下肥買いがトイレ掃除をした後、その代金は大家に支払われていて、この「糞尿汲み取り料」が大家の副収入となっていたそうです。

農民はその下肥と藁や落ち葉などで堆肥を作り、農作物の収穫量を増やす為に使っていました。

この様に江戸時代には大衆→下肥仲介人→農民→農作物→大衆という下肥エコシステムが確立されていたのです。(下肥ビジネス自体は室町時代あたりからあったらしい。)


下肥ランキング

蛇足ですが下肥にもランクがあり、売買される値段が違っていました。

当時の武家、公家、商人の中で最も値段が安かったのは公家の下肥で、公家というのは名誉はあっても生活自体はあまり豊かではなく、ご馳走を食べなかったため下肥にもあまり栄養がなかったと言われています。

一方、商人は相対的に豊かで美味しいものを食べていたため、下肥の養分が多く良い肥料として高く売れたそうです。


世界の糞尿事情

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同じ頃、ロンドンやパリの町はどうだったかというと、排泄物を有効利用するという発想がなく、おまるのような物に取って道路にポイ捨てしたり、下水にそのまま捨てて川に垂れ流していたそうです。

そのため道路は糞尿だらけで町や川はものすごい異臭が漂っていたそうです。

この様な不衛生な環境がペストなどの伝染病の大流行の温床になったという説が濃厚なのだそうです。

なぜ江戸の町では下肥ビジネス・エコシステムが生まれたのに、欧州諸国ではその発想が生まれなかったのか、という点については今後深掘りしていきたいと思います。


ゴミのリサイクルシステム

幕府は江戸の初期からゴミの不法投棄を一掃するため、明暦元年(1655年)に「全てのゴミは隅田川の河口の永代島(えいたいじま)に捨てる」というルールを発布しました。

家庭から出たゴミは長屋などに設置された共同の掃き溜めに集められ、されに大きなゴミ集積場を経て船で永代島まで運ばれる仕組みになっていたそうです。

江戸の町では、堆肥用のゴミ、永代島に運ぶ埋め立て用のゴミ、燃料用のゴミ、と言うように分別回収のシステムも構築され、永代島以外の場所へのゴミの廃棄等は厳しく取り締まりました。

その結果江戸の町からゴミが消えとても衛生的な町になったと言われています。


江戸のリサイクル産業

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江戸時代には様々なリサイクル商売があり、その道のプロ達が活躍していました。また現代のリサイクルショップに近しいものもあちこちにあったそうです。以下に列挙します。

紙屑拾い
江戸時代には「紙屑拾い」というリサイクル業がありました。紙屑拾い屋は町中を巡回しながら紙屑を集め、それを問屋に売って日銭を稼いでいました。
一方、「紙屑買い」と言う買取専門の業者もいました。古い帳簿や書き損じの紙などを各家庭から買い取り、古紙問屋に売るのが仕事でした。
その古紙はさらに専門業者によって漉き直され「浅草紙」と呼ばれる再生紙などに生まれ変わり今でいうトイレットペーパーとして利用されました。

馬糞拾い
道端の馬糞を拾って肥料として売る「馬糞拾い」と言う仕事がありました。

ロウソクの流れ買い
ロウソクが燃えた後、灯明皿(とうみょうざら)にたまったしずくを集める専門業者がいました。

灰買い
竃(かまど)や炉の中の灰を買い集める業者。

鋳掛屋(いがけや)
鍋や釜に空いた穴を塞ぐ業者。

瀬戸物の焼き接ぎ職人
割れた茶碗を直す職人。

古椀買い
古い椀を買う業者。

箒売り
使い古した箒を下取りしてくれて、新調してくれる業者。壊れた箒はタワシなどに再生されてまた各家庭で利用される。

古傘買い
壊れた傘を買い取る業者。

提灯の張替え屋
古くなった提灯の紙を張り替えてくれる業者。

羅宇屋(らうや)
キセルの掃除をしてくれる業者。

雪駄直し
磨り減った下駄の歯の入れ直しをしてくれる業者。

おちゃない
抜け落ちた髪の毛を買い集めてカツラなどの専門店に売る業者。


しかもこれらの業者はたいてい各家庭を巡回してくれていたので、頼む方は家で待っていればよかった点を考えるとかなりユーザーフレンドリーなサービスでした。

ここでの疑問は、こうした業者はどこかの組織に所属していたのか、それとも今のフリーランスの様に手に職を持った人々が商いをしていたのか、リサイクル業者の業態と売り上げが気になりました。
この辺り深掘り項目に加えておきたいと思います。


江戸時代のリサイクルショップ

江戸時代に大繁盛したリサイクル業といえば古着屋でした。
江戸には沿道に古着屋がずらりと並ぶ古着街も多く、最盛期には一万件以上あったと言われています。

当時布は全て手織りなので大変な貴重品でしたのでその辺りの必然性がリサイクルショップを生んだと考えるのが自然そうです。

今のように季節ごとに新品の服を買うなどとても贅沢な話で、ほとんどの庶民は古着屋で日常着を入手していました。

当時の着物の知恵として、一反の布を直線に裁断して縫い合わていました。それゆえ、分解がしやすく、糸を抜けば元の布の形に戻るため洋服と違って再生しやすく何度も生まれ変わらせることができました。

こうした『壊すことを考慮したデザイン』によって、古着を売る「古着商人」、古着を回収する「古着買い」、さらに仕立て直しをする「仕立て屋」の分業が確立され、古着の売買は主要産業と言えるほど盛んになりました。

この『壊すことを考慮したデザイン』は他の分野でも見られます。
日本家屋は壊しやすく再生しやすい様に釘を打たないで楔(くさび)を抜けば全て解体でき、再利用しやすいように設計されていたのが一例です。


着物のリサイクル例

リサイクルに出せないくらい着古して擦り切れてしまった着物はどうするかというと、捨てずにリサイクルしていました。

端切れを使って継ぎ当てをして着る方法もあるし、擦り切れた着物を解いて、布団や座布団用、あるいは袋物などに縫い直します。

その布団や袋物がさらに擦り切れてしまったら、今度は赤ちゃん用のオムツとして使いました。

それがボロボロになったら次は雑巾などにして使い、最後は燃料として使いました。

燃やした後に残った灰は肥料として使うという、本当に最後の最後まで有効活用するマインドが一般大衆まで浸透していた様です。


循環型のシステムを確立できた社会情勢の仮説

江戸時代には下水道管理から派生した下肥エコシステムやゴミ処理・リサイクルシステムなど様々な循環型のエコシステムを確立しました。

これらのエコシステムのおかげで江戸時代では人口の増加と反比例してゴミ問題が減少し、衛生的に世界トップクラスの町となった様です。

これらのシステムが確立できたのは何故なのか?その仮説を後述したいと思います。

一つ目、物資の乏しさ
一つ目は何と言っても物資の乏しさが現代の比ではないでしょう。当時は鎖国政策も取られていますし、急激に人口が増加しているでしょうから特に江戸初期から中期は少ない物資を如何に効率的に使い回すかを考えることは生きることと同義だったと思われます。

それが江戸の後期になり、人口の増加も落ち着いて余裕が出てきたときに江戸文化として「粋」みたいな概念として花開いたのかなと推測しています。

ですので、現代の大量生産、大量消費の時代、つまり「使い捨て」が効率的な時代にこうしたリサイクルの仕組みを確立することは難しそうです。

もしリサイクルの分野においてビジネスを考えたり世界での競争力を確立しようと考えるときには、「使い捨て」の効率性に勝るインセンティブを設計してあげる必要性を感じます。

これは今後の深掘り課題に入れておきたいと思います。


二つ目、一般大衆の自主性
この辺りのリサイクルの仕組みを調べている際に最も気になったのは、一般大衆から自主的に生まれた仕組みや知恵が多いということでした。

確かに大枠のルールを決めたのは幕府かもしれませんが、下肥のエコシステムやリサイクル業の興隆など、これら一連の動きは一般大衆から生まれたものと考えるのが妥当なのかなと思います。(もちろん幕府の働きかけがあったのかもしれません。)

こういった仕組みがどの様に生まれ発展していったのか、一般大衆の自主的な創造性という切り口で今後深掘りしていきたいと思います。


今後このテーマで深掘りしていく点

・なぜ江戸では下肥の有効活用が徹底され、欧州諸国ではその発想がなかったのか。
・リサイクル業者の業態と売り上げ規模。
・現代社会にリサイクルシステムを確立する際の「使い捨て」の効率性に勝るインセンティブ
・様々なエコシステムはどの様に生まれ、発展してシステムとして確立したのかを調べてみる。


今日はこの辺りで終わりたいと思います。

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