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人物列伝①後編 秋田和徳氏と東條雅人氏との絆、「Editors talk」出演まで

 前編に引き続き、グラフィックデザイナー秋田和徳さんに関連することを書かせていただく。秋田さんについてなら何字でも書けるし、いつか氏が作品集でも出そうものなら、いの一番に何か書かせてもらいたいと本気で思っている。

わたしが説明するまでもないことだが秋田さんは現在ではBUCK-TICKのアートディレクションや、漫画家・楠本まき氏の本の装幀などなど引きも切らない超多忙のグラフィックデザイナーである。
今回は、筆者の企画するイベント「Editors talk」(秋田さんもご出演)の直前ということもあり、編集者であった故・東條雅人さんと秋田さんの共通点や絆について書かせていただくことにする。

 秋田さんと東條さんの共通点は、
岡山出身であること。
学生時代、とある同じ運動部に所属していたこと(秋田さんは軟式、東條さんは硬式)。
とにかくアーティストに好かれること。
お酒を飲まない(飲めない)こと。ゆえにライブ後の打ち上げなどが好きなタイプでは決してない。
仕事人間。仕事一徹。ともに無類の音楽好きで、音楽を表現する手段としてそれぞれデザイナー、編集者という仕事を選んだのではないかということ。

 とはいえ2人の見た目は正反対で、秋田さんは例えるならスナフキンを全身黒い衣装にしたような細身、東條さんはクマのキャラクターのようながっしり体型。2人が笑いながら好きな音楽の話を夢中でする様は今でもありありと目に浮かぶ。
2人の出会いが正式にいつだったのかについて記憶は曖昧だ。
まず秋田さんより先に東條さんと出会った筆者の話を少しさせてほしい。
それは1992年12月19日のこと。なぜ出会った日付まで分かるかというと、著書である黒夢の単行本「夢中占夢 〜むちゅう ゆめを うらなふ〜」に書いてあるからだ。その日、筆者は黒夢の3人と初対面し、その3人と一緒に向かった目黒鹿鳴館で東條さんとも初めて会った。人生においてそんな運命の日とは本当にあるものなのだな、と今にして思う。

 当時、東條さんは、音楽誌「FOOL'S MATE」の新米編集者。ライバル誌として(?)ライブ会場などでよく会ううちに意気投合し、お互いの新刊を交換しては感想を述べ合うなどしていた。どういう流れかは忘れたが「夢中占夢 」の最終工程である校正を東條さんにも手伝ってもらうことに。その時から「本のデザインがカッコいい、こんなデザイナーさんにお願いできてうらやましい」と秋田さんについて羨望の念を語っていたのを覚えている。

 この前編にも書いたが、黒夢とは、結成間もない初期から1995年ごろまで携わった筆者と秋田さん。
一方、東條さんは黒夢が2人編成となった中期から編集を担当。そして1999年の黒夢の活動停止を見届け、間もなく結成されたSADS、ソロと、ヴォーカリスト清春氏と離れることなくずっと伴走し続けた。まるで “出会いから生涯をともに清春氏に添い遂げた” かのような関係者は、東條さんだけなのではないかと思うほどだ。

 秋田さんと筆者は数年の隔たりを経て再び清春氏と距離を縮めることになるのだが、そこにはそれぞれ東條さんの関与がある。
おそらく、秋田さんのほうの “復縁” についてはトークイベント「Editors talk[page2]」(2022年7月7日)で語られることになるだろう。やがてSADSのグラフィックデザインを手掛けることになり、そこから清春ソロにも関わる経緯などがーー。

 筆者は、SADSの現場で一緒に仕事をする秋田さんと東條さんの姿を実際に見てはいないが、東條さんから語られていた “秋田さんへのリスペクト” はそれは大きなものだった。
秋田さんのデザインは今回も最高だ、秋田さんのような方にはぜひ長生きしてもらわなくちゃ!などなど。
(そういう東條さんだって長生きしなければならない人だった。)

 2003年6月のある夜明け、東條さんが秋田さんに宛てて送ったFAXが今も残っている(秋田さんが数年前にコピーしてくれたものだ)。
「さっき、サッズのツアー2日目を観て、夜行バスで編集部へ帰ってきたのですが、どうしても今、伝えたくてFAXさせていただきました。秋田さん、ツアーパンフの美しさに感動しました!! 素晴らしいです!! また仕事、ご一緒させてください」(抜粋)。
A4のFAX用紙にびっしりと書かれた称讃の言葉。彼の人間性が溢れ出している一枚だ。

 また、2004年に刊行された清春氏の単行本「憂鬱という名の夢」は、編集・東條雅人氏、装幀・秋田和徳氏というタッグの最高傑作の一つだと思うし、勝手ながら、単行本「夢中占夢」(編集・伊藤美保、装幀・秋田氏)の続編であり完成形でもあると思っている。本当に美しく内容の濃い一冊である。

 2009年9月、今でも信じることはできないが東條さんの訃報が届く。
秋田さんもどうしても信じられなくて、仕事の往き帰りなどにも人目を憚らず泣いてしまうと言っていた。
その後、引きこもりがちになった筆者を、ご家族ともども食事に誘い出してくれたこともあった。
一方、清春氏。毎月のように取材やライブ、そのほかでも東條さんと語り合っていた氏の悲しみはどれ程のものであったのか。想像を絶する。
 
 編集者としての東條さんのことを語り継がなければならないと思い続けながらも、心身ともに動けず、10年が過ぎた。
丸10年と数カ月が過ぎたある日、意を決して「東條さんの話を聞きたい人だけを集めて会を開きたい」と、清春氏と秋田さんに相談した。
2人が快諾してくれたおかげで「Editors talk[page1]」を2020年1月24日に開催することができた。

 コロナ禍における約2年半の月日を越えて、2022年の七夕に第2回目を行えることになり、やっとあの “続き” や、まだ披露していない様々なエピソードを話せることになりそうだ。せっかくの七夕だから、好きな人たちと好きなことについて語ろう。逢いたい人に逢える日だというなら東條さんも天の川でキラキラ光って合図をしてくれるかもしれない。清春氏を笑顔にしたいし、それをお客さんが見て幸せな気持ちになってくれたら嬉しい。筆者はそんな心持ちで[page2]に登壇したいと思っている。
 秋田さんは多忙な中で今回も[page2]用のオリジナルグッズなどをデザインしてくださった。そのグッズにも注目してほしいし、みなさんには隙あらば秋田さんに話しかけてみてほしい。一見、無愛想なように見える氏だが、デザインや音楽に関することを話してみれば意外なほどノッてきてくれたりする。そういう気さくな秋田さんの一面もみなさんに知ってほしいと思うのだ。


(文=伊藤美保)


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