yogaとの出会い

今から遡ること、19年前。
僕はその時、オーストラリアにいた。
オーストラリアはメルボルン。

ワーキングホリデーという制度を利用し、
1年間の滞在をした。
いま考えると、そこでの出会いやきっかけが現在に繋がっていることも多い。

今みたいに携帯やネットも便利な時代ではないので、そりゃまぁ、いろいろと苦労はした。その旅行後記のようなものは、また書こう。

メルボルンでは、飲食店に食材を配達する会社で働いていた。日本人が経営している会社で、日本語で大丈夫だった。
毎日、いろんなお店を周り、その中には
日本人オーナーの店も数件あり、そういう店は働いている人も日本人が多かった。

ある日本食のレストランに、メルボルンでは少し有名なシェフがいた。ちなみに日本食レストランは現地では、高級レストランが多く、テイクアウト(現地はテイクアウェイと言っていた)の寿司ロールなんかの店は中国人が経営し、中国人が働いていた。そしてそれを多店舗展開していた。
これって考えると凄い。
例えば日本人がアメリカ行って、フレンチで展開したり、イタリア行って中華を展開したりするのと同じこと。
日本人だから和食でしょとか、そういう考え方はない。
日本人の生真面目さが出ていると思う。
話がそれた。

そのメルボルンの和食のシェフというのが、職人気質というか、悪く言うと、とっつきにくいというか。先輩配達員の中でも、気をつけろよ。機嫌損ねるなよ。みたいなことを言われている人だった。

たまにしか、自分が配達する時は無かったが、無難にやり過ごしていた。
ある時、その店に配達に行くと、その人が裏で休憩をしていた。
その時に、そこで初めて少し立ち話をしたように思う。会話は覚えてない。というのも、だいぶ前のこともあるし、日常の何気ない会話だったせいで記憶が定かではない。
それからその店に配達に行くたびに話すようになった。
日本に戻ったら自分が独立して店をやること、メルボルンには見聞を広めるために来たことなと、酒が好きなこと。

久々に配達した時、その人が今度うちの店に食べに来なよと言ってくれた。
だいたいのワーホリの人は、もれなく貧乏生活を送っている人が多い。貧乏とまでは言わなくても、質素な暮らしをしている人学校多い。むしろ滞在資金を家から援助してもらっている学生の方が、贅沢だったりする。
そんな状況を知ってか、うちの店のおごりだからと言ってくれた。
めっちゃ嬉しかった。
おごりももちろんだが、
何より声をかけてくれたことが。


カウンターの寿司屋に一人で初めて座る気分と言えば分かるだろうか。
凛とした空間で、現地のある程度の富裕層だけが来ているような場所。
一人でカウンターに座る。
目の前に顔見知りのシェフがいることだけが救い。
それでも、いつもの顔とは違い仕事用のプロの目つきになっている。

そこからの時間はあまり覚えてないなぁ。
ワインを気持ちよく飲み、日本では当たり前のように飲めた日本酒を味わう。
料理はお任せで出てくるし、夢のような時間を過ごせた。

その瞬間は、突然やってきた。
メルボルンに来て、やってみたかったボルダリングに出会い、始めてみたという話になったとき、
「じゃあ今度、一緒にヨガしようよ」と言われた。
ヨガ?
ヨガって?
それが初めての出会いだった。

ヨガのイメージは今とはだいぶかけ離れていて、どちらかというと怪しい?イメージがあった。
決して、今のように健康的で爽やかな素敵な女性のイメージはまるで無い。
社会的事件があったり、極度の修行であばら骨が浮き出るぐらいのガリガリであったり、どちかというとネガティヴなイメージがあった。

それでも、酔いのせいなのか、はいとしか言えない空気感からなのか、次のお互いの休みの日に約束をしていた。

約束の日。伝えられていたのは、時間とビーチの名前とだいたいの場所。この時間にそのあたりで目立つはずだから、分かると思うよ、とだけ。
直接の連絡先もわからないまま、どこですか?と連絡する訳にもいかず、本当にいるのかなと半信半疑の中ビーチを歩く。
すると、ビーチで楽しく遊んでいたり、日光浴していたする人とあきらかに違う何かが目に入ってくる。
ん?という気持ちでその影にだんだんと近づいてみる。
一瞬見間違えと思っていたその影が、周りの人たちとまるで別世界のように、異彩を放っていた。
その人は頭を下に足先を上にして立っている。
いや、立っていたというより砂浜に逆さまに刺さっていたという表現がぴったりだった。
近づいて声をかけると、何ごとも無かったように、その生き物は起き上がり、よぉ!と反応した。

それがyogaとの初めての出会いだった。