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非美大卒がフリーランスのデザイナーになるまで ①学生編

こんにちは。編集とデザイナー夫婦の妻のほうです。

今回は私がデザイナーになるまでを振り返りたいと思います。本日は学生時代のお話です。

美大出身ではないことは以前にも書いた通りです。

これから「デザイナーになりたい」という方の参考になるかはわかりませんが、私なりに歩んできた道を少しだけ紹介します。

ご興味のある方は、ぜひご覧ください!

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学生時代は体育・芸術系◎、学業そこそこ

小・中学共に得意なことは体を動かすことと、歌を歌うことや音楽全般、図工や木工、美術の成績は良く、勉強はそこそこ、ソツなくこなす、という感じです。

とくに絵を描くことは大好きでした。

幼稚園の時はお姫様👸のドレスを自分でデザインして絵を描いたり、小学校では写生大会で金賞を獲ったり🎨、中学・高校ではノート📖に漫画を描いては、同じく絵を描くのが好きな友達と見せ合いっこしたり……

ずっと絵を描くことには触れていたのですが、真剣に「仕事」として考えたことはほとんどなく、おそらく高校2年生頃の進路を決めなくてはいけないというタイミングで

漫画家ってどんな仕事だろう……?

と考えた始めたのが最初だったと思います。

しかし、当時憧れていた漫画家さんの苦労談やサクセスストーリーを知るにつれ、

あ、私には無理

そう思うまでそんなに時間はかからなかったと記憶しています。

それでも絵を描くことを勉強してみたいなー、という淡い希望があったので、母親に「美大とか興味あるんだけど」と言い出したこともあります。

が、超絶リアリストな母親を説き伏せられるはずもなく。

ただ絵を描きたいというのではなくて、それでどう生きていくんだというプレゼンは皆無でしたし、そんな中途半端な気持ちで美大に行かせられるほど裕福ではなかったため、あっけなく玉砕しました。

仕事ってみんなどうやって選んで決めてるの?

リアルなことを考えると確かに、(よく言われているように)絵を描くことで食っていける人などひと握りなんだと今は思えます。

しかし当時は「好きなことを仕事にしたらええやん」的な圧みたいなものもあるのに、いざ好きなことを考えて相談すると「女の子だから一般職がいいよ」「稼ぐなら薬剤師とか良さそうじゃない?」的な(私的には一番的外れな)助言を両親からもらい、もれなく反抗期へ突入した気がします。

そんなこんなで私の「自分探しの旅」は決着をつけられるはずもなく、結局、ひとまず大学に入って考えよう、という風に進路の問題は持ち越されたのでした。

今思えば

高校の同級生で「私看護師になるんだー!」と言って本当に看護師になって働いている友達

「声優になりたい」と言って専門学校に行った友達

「なんか知らんけどおもろい事やりたいんだよね」と言って友人と会社を立ち上げて皆が知るようなサービスを作っちゃった友達などなど……

その頃から自分の行く道が見えて(?)いた人も何人かいて、当時も今も、彼・彼女らはとても眩しく見え、とても羨ましいと思いました

それでもなかなかそういう風には、自分の気持ちや能力は追いつかない……

そもそもなりたい職業とか好きなことってすぐには思いつかないんだけど、なきゃいけないの?

そう思うのは私だけではないんじゃないでしょうか。

まあ、自分が誰かを羨ましく思う以前に「とりあえず大学に行ってもまだ悩める」という状況自体、またある人にとっては羨望である可能性もあるので、他人と比較をしてもたぶん意味はなくて、結局は自分で考えて答えを出さなきゃいけないわけですが。

それでもやっぱり、人を羨む気持ちというのはなかなか抑えられるものではないですね。

就活、始まる

さて話を戻して、そうして入った大学では、社会学系の学部で「文化」と名のつくものを網羅的に学びつつ、音楽(バンド)サークルで歌いまくる、というこれまた中途半端な時間を過ごしました(夫とはここで出会う)。

そしてやってきた就活の時期。

迷子です。

まだまだ全然、迷子でした。

当時から付き合っていた4つ年上の夫も「卒業したら留学する」と公言し、卒業後本当に海外に行ってしまったので、(すぐに働くという意味ではないにせよ)進路を決めて行動をしていてすごいなあ……と、ここでも羨ましく思ったのを覚えています。

そして本当に迷子のまま、説明会を含めて200社近く受けたにも関わらず、運良く内定をもらえたのは1社だけ

それが自動車の販売会社でした。

動機はもはや「車を運転するのが好きだから」ということのみ。

ただ車通勤なのはよかった(満員電車嫌い)です。

運が良かったとしか思えない内定

女性営業がまだほとんどいない時代で、会社としても新しく女性を起用していこうという機運がある中、「普通の四年制大学卒の子が応募してくれた、興味がある」と言ってもらえたのは本当に運なんだと思います。
(基本的には工業系の専門学校卒や、四年制大学でも経済をかじっている人を採用していたと思われる)

そうして、めくるめく不慣れな営業マンライフが幕を開けるのでした………

この後の私のキャリアを再掲しておきます。

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続く。

……いや続くんかーい!!
(思いのほか長くなったので、本日はここまでとします……)

続きは明日、更新したいと思います😅

②自動車営業編です、お楽しみに(?)

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